"写心"撮影と私が"わたし"になっていくこと
人生の流れが変える時に出会うカメラマン、大学卒業後、とある大企業の総合職社員として普通に働き、家と職場の往復をメインにしていた私にとっては、よく分からないような肩書きを持つ人物だった。
大学時代のアルバイトでお世話になった先輩を経由してFacebookから流れてくる数々の"写心"と呼ばれるものたち。
それらは、心の扉を優しくノックするように、胸を打つような美しさで、その世界観に次第に引き込まれるような感覚があった。
1.私と人柄写心家TSUGUとの出会い
"写心"に心を引き込まれ、こんな写真をいつか撮れるようになってみたいなぁと思いつつも、「カメラは高い」というイメージが強い。
いくら趣味であってもいわゆる"自己投資"みたいなことをする気持ちにはなれないまま、社会人として3年間を過ごし、4年目には兼ねてから憧れていた海外駐在をさせて頂く機会に恵まれた。
帰国後の5年目、てっきり海外経験を活かして本部で仕事ができるかと思いきや、3年間を耐え忍ぶことだけでも精一杯だった営業の仕事に戻される。
さらに人事部からは海外経験は求められていない旨の発言をされ、ショックを受けていた中で、直属の上司とのウマが合わず、訳の分からない指示や嫌味のような言動を受けるようになった。
転職した方がいいのかとエージェントに赴くも、活動を進める気力はなく、藁をもすがるような気持ちで飛び込んだ精神科医院で、私にとっては頭の片隅にもなかった「休職」と書かれた診断書を受領をする。
とりあえず実家で1ヶ月程度お世話になることになり、気力は少しずつ回復していった頃、何か新しいことを始めてみたいと思うようになった。
フラワーアレンジメントやらアロマクラフトやら陶芸やら、少しでも興味があるものはとりあえず調べてみることにした。
ここでどうしても頭に残るのは、"写心"のことだった。
職場のある都会に戻った時は、ちょうど春バラの最盛期。
とりあえず近くの公園に行って、スマホでバラを撮ってみるも、一眼レフのような質感はどうしても出ない…。
そして"写心"というものを撮るべく、一眼レフを手にすることになった。
とりあえず初心者向けの本と睨めっこしながら、Aモードでの撮影技術までは、独力でなんとか身につけた。
だけど、思っているようにはなかなか撮れなかった。
憧れの"写心"を撮る先生として名前が上がっている「人柄写心家TSUGU」のHPを見てみると、タイミングよく夏から"写心入門講座"と呼ばれる初心者向けのような講座が開催されるようだった。
習ってみたいとは思ったが、金額もそれなりだし、そもそもどんな人なのかも全く知らない。
そんな時に見つけたのが、「100人撮影」という写真撮影サービスと「人生の流れを変える時に出会うカメラマン」という肩書きだった。
正直、Facebookのアイコンなんて他撮りでそれなりに可愛かったらいいかなと思っていたし、結婚式でもないのに、写真に撮られるってどうなんだろうとは思いつつも、ただ先生(になるかもしれない人)を知りたいという動機だけで、撮影に申し込むことにした。
2.TSUGU撮影までにやったこと
初めての撮影の時は、特に打ち合わせなどはなく、撮影前日か当日に軽い挨拶をした程度だったと記憶している。
ただ、撮影に関する案内メールの中に「やった方がいいことリスト」みたいなロジックツリーの図のリンクが貼られていたので、これは人生の流れを変える1つのポイントかもしれないと思い、1ヶ月くらい掛けて真面目に取り組んでみることにした。
撮影に向けて、洋服やヘアメイクなどをただ準備するというのではなく、未来のありたい姿から逆算して今すべきことを考える・やってみるという視点が私にとっては斬新だと感じた。
2回目以降の撮影では、その後の写心の講座を受講したことをきっかけに、コミュニケーションが取りやすくなったので、メッセージで私の中にある撮影のテーマを伝えたり、逆にTSUGUさんから提案してもらったりしながら、新たなチャレンジだったり課題を明確にして準備に取り組んでいった。
洋服に関しては、購入前の段階でも試着の写真を送ると、把握できた範囲内で(被写体としての)私のイメージに合うか・サイズ感にズレはないかなどを客観的に見てもらえるので、もし撮影をする機会がある場合は、事前にコミュニケーションを取ることをおすすめする。
洋服に関しては、特にこだわりもなくアウトレットモールで買ったり、デパートで買ってもサイズ感を気にしないで大きめの服をそのまま買ってしまうということが当時は当たり前だったが、値段ではなくいいと思ったものを買うこと・自分のサイズに合う服を選ぶことが日常になった。
ある時にはアンダーウェアに関する提案もあったりで、かなりびっくりすることもあったが、便利なだけで常用していたブラトップを卒業し、時にはランジェリーなるものを着用してみる機会を得ることで、"女性としての私"を意識するきっかけにもなった。
3.TSUGU撮影とは
待ち合わせ時間に事前に案内された場所に向かうと、大抵は先に着いていることが多く、遅くなる場合にも早めに連絡を入れてくれたので、迷うことはほとんどなかった。
初回の撮影では会話がほぼなく、私もとあるトラブルで萎縮してしまってはいたが、そんな中でも光るような笑顔だったり、未来を感じるような美しさが私にもあることを感じさせてくれる"写心"でとても感動した。
2回目以降の撮影では、撮影前や撮影途中に会話をする機会も増えて、私の中の"感情"がカメラの前で出てくるようにもなった。
カメラを向けられてから思いもよらぬ行動をして、(恐らく)TSUGUさんを困らせることもあったが、真剣に”私”という存在に向き合ってくれていた。
そして、喜怒哀楽が素直にむき出しになった"私"が表現された"写心”は、他者からも美しいと評された。
4.TSUGU撮影を経て、いま感じること
TSUGUさんの撮影を初めて経験したのは、2019年6月。
今の時点で4年半ほどが経ち、小規模の撮影会を含めると、合計20回のTSUGU撮影を受けさせて頂いた。
それは、自分の中で抑圧していた感情や感じることさえも自分に許していなかった感情の存在を知り、認めることの歴史でもあったように思う。
休職する前の私はチャレンジ精神こそはあるも、"失敗すること"を極端に恐れ、本当に失敗したことがあると、自分自身を激しく責め立てていた。
次第に自分が何を感じているのか分からなくなっていったが、辛い・悔しいと思う気持ちは私の中のどこかにはあって、置いてけぼりにされた感情たちは心身の不調や情緒の不安定という形で表に出ていたものさえも長年放置されていたのだった。
感情を素直に出した結果、美しく撮影してもらった"写心"は、私にとってのお守り代わりとして、これからの自分の在り方のベンチマークとなる。
そして次の撮影テーマを決める中で、本当はどういう思いを抱いてみたいのか、素直な気持ちで表に出していく。
それらによって、私はいい意味で"子ども"にも"大人"にも成長してきているように感じている。
“写心撮影”をきっかけに、自分を知り、認めて、行動し、愛していくことのプロセスを繰り返していくことが、TSUGU撮影の真髄であると、今の私は思う。
以前TSUGUさんに私のいいところを聞いたことがある。
その時の答えが素直さだった。
撮影を経ることに、その素直さの純粋性が自分の中で増しているようにも感じられるので、TSUGUさんはその人の本質的な部分での"らしさ"を開花させる天才なのかもしれない。
まだ私の中の課題は残るものの、さらに撮影を経験しながら、自分らしい生き方・在り方を実験的に模索していきたい。
5.終わりに
この撮影を追体験して欲しい人はどんな人だろうかと考えてみた。
⚪︎"自分"というものが分からない・知りたいひと
⚪︎自分の中にあるモヤモヤ感をうまく表現(言語化)できない人
⚪︎これからの生き方を見直してみたい人
⚪︎誰かの為ではなく、自分の為の自分らしい人生を歩んでいきたい人
⚪︎この記事や人柄写心家TSUGUのHPを見て、どういうことだろうと思った人・経験してみたいと思った人
ざっとこんなところだろうか…。
TSUGUさんは確かに人見知りなところはあるが、基本的には明るくて楽しいことが好きな人なので、撮影もただ楽しんでみるだけでいいと私は思っている。
実際に他のことをなにも考えず、ただ単にその場を楽しんだ時の"写心"は、自分で自分のことが"かわいい"って思えるような素敵な写真に仕上がったから。
「これからも、もっと、ずっと"写心"を撮られ続けたい。TSUGUさんと関わっていきたい」という私の個人的な想いとは裏腹に毎年値上げを続けている人柄写心家TSUGUであるが、いま来年前半の撮影をお願いすれば今年の料金のままとのことで、今後のことを考えてもよく分からないが、とりあえず下記リンクのチケットだけは買っておいた。
もしこの記事をご覧になって、"TSUGU撮影"や"写心"が気になった方がいらっしゃれば、来年の予定のひとつに組み入れてみてはいかがだろうか。
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