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【知られざるアーティストの記憶】第57話 Imakokoカフェに行く(上)

Illustration by 宮﨑英麻

*彼は何も遺さずにひっそりとこの世を去った。
知られざるアーティストが最後の1年2ヶ月で
マリに遺した記憶の物語*

全編収録マガジン
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第8章 弟の入院

 第57話 Imakokoカフェに行く(上)

2021年11月15日、マリは家業の商品を駅前のImakokoカフェに納品に行くことになっていた。カフェのコーナーの一角にそれはあり、コアなお客さんがポツリポツリと買っていき、在庫が残り少なくなると店主のせっちゃんがマリに連絡をくれる。納品の準備をしながら、マリはふと、前々からいつかこのカフェに一緒に行きたいと思っていた彼を誘ってみようかと思い立った。

納品の準備が整ったのはお昼の少し前であった。カフェまでは徒歩で20分、登り坂が多いとはいえ自転車でも10分弱で行かれる距離であったが、やや重量のある商品のため納品にはいつも車で行っている。マリは彼の家の前に車を横付けし、スタスタと彼の部屋を訪れる。彼はデスクに向かい、原稿を執筆中であった。

「ごめんね、邪魔をして。」
マリは彼のペンが一段落したのを見計らって声をかけた。
「いいんだよ、いつ来たって。」
「ねえ、今からImakokoカフェに納品に行くのだけど、一緒に行かない?前から一緒に行きたいと思っていたの。」
あまりに急な誘いだったにもかかわらず、
「ああ、行くかい?」
と彼は瞬時にマリの意図を飲み込んだ。そして、着の身着のまま玄関でサンダルを引っ掛けながら、
「財布は持って行った方がいい?」
とマリに訊いた。
「持って行かなくていいよ。私が誘ったんだから、会計は私がするから。」
彼は素直に財布を置いていった。

このとき、彼は初めてマリの車の助手席に乗った。車はあっという間にカフェ前のコインパーキングに滑り込んだ。

駐車場からカフェまでは、押しボタン式の信号を一つ渡らなければならない。駅前であるのに、「夜間押しボタン式」ですらなく、24時間ずっと、ボタンを押さなければ歩行者信号が青になることはない信号なのだ。細い道ながら大型バスも頻繁に通る、交通量の多い道であるから、マリはいつもの通りすぐさまボタンを押そうとしたのだが、
「押さなくていいよ。」
と彼に制された。彼は車が途切れたのを見計らって、赤信号を足早に渡った。マリも慌ててついて行った。彼は何をするにも動作が比較的速く、歩くのもどちらかといえば速かった。


©Yukimi 若い頃の作品『LAGRANGE POINT JMN-003』より


Imakokoカフェは家庭の居間ほどしかない小さなカフェである。真ん中に4人掛けのテーブルが一つと、向かって左側の小上がりには、それぞれ2人が向かい合えるちゃぶ台席が二つあるだけである。この狭い空間で、初めて会うお客さん同士も袖触れあってお茶や食事や会話をするのだ。

この日は真ん中のテーブルで何かのワークショップが行われていて、マリの知人が複数人いた。マリは、
「納品に来ました。ここに置いておきますね。」
とせっちゃんに声をかけた。すると、そこに居た人の一人が、
「この間、あなたのその商品を買って帰ったのよ。」
とマリに声をかけたので、しばし会話をした。

「ランチできますか?二人です。」
と言って中へ入ろうとすると、
「私はもう昼ご飯を食べたんだよ。だからキミだけ食べろ。私はちょっとこの辺りを散歩してくるよ。」
と言って彼は立ち去ろうとする。マリが彼を誘いに行ったのはお昼前だったのに、もう昼食を済ませたというのは本当だろうか。
「え、嫌だよ。それじゃあ一緒に来た意味がないじゃん。飲み物だけでもいいから一緒に居てよ。」
「このすぐ近くに同級生の家があるはずだから、見に行って来たいんだよ。見たら戻ってくるから。」

マリは仕方なく、一人分のランチを頼み、店内のお客さんと会話をしながら彼が戻るのを待った。ランチが運ばれ、半分くらい食べた頃に彼はふらっと戻ってきて、マリの前に座った。
「私が居るとキミが気を遣うだろう?」
「ぜんっぜん、そんなことないよ。私は今日はあなたと来たんだから。」
彼は食べ物はちっとも入らないと言って、ドリンクメニューの中からジンジャエールを頼んだ。
「お目が高い。このジンジャエールはせっちゃんの手作りだからすごく美味しいんだよ。うちの長男が小6のとき、学校に行っていなくて週一回このカフェでお手伝いをさせてもらっていたの。そのときに長男もこのジンジャエールの仕込みをお手伝いしたんだよ。」

ジンジャエールが運ばれてきて、マリはせっちゃんに、この人は近所のワダさんですと紹介した。せっちゃんは、
「あら、ご近所のかた?これね、貰い物なんだけど、バンブーのストローなんだって。ちょっと試しに使ってみてください。」
と、ジンジャエールにバンブーストローをぎこちなく添えた。彼はまるで子どもみたいに、そのちょっと太いバンブーストローで、ジンジャエールをチューチューと吸った。
「おいしい。こんなおいしいものを初めて飲んだ!」
と彼は目を丸くして驚いた。その様子に、宇宙人に地球の文化を紹介したような気分になり、マリは悦に入った。

つづく

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★この物語は著者の体験したノンフィクションですが、登場人物の名前はすべて仮名です。


©Yukimi 『LAGRANGE POINT JMN-003』P・7

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