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否定的になると『2023.11.27』

自分に何かが乏しい。


来月旅行に行くことになった。当たると思っていなかったコンサートに当選したからだ。友達と予定を立て、観光場所を調べたりしていたらあっという間に五時間経っていた。

夕方家に帰り、母と話をしたりして、もう夜になっていた。
ご飯を食べて、お風呂に入って、日記を書いて眠る。

何にもやってないかも。
創作にすら手を出していない自分に驚いた。

仕事をしていないので、自分から動き出さない限り、人に会わない動かない。そんな毎日を過ごしていると、自分はなんて怠惰な人間なんだ……!と否定的な気持ちになっていたがそれもない。ちゃんとしなければという感覚すらも無くなっている。

感情がない。
やる気がない。
野望や執念がない。
生きる意味がない。

でも、生きる意味を見出さなくても生きてしまっている。
「生きる意味を見いだせない」と迷走していた社会人一年目の私を完全に否定している。

人は割と生きがいが無くても生きていける。その事に気付いてしまった私の中には、何の感覚も無くて、感覚を掴もうともしていなかった。

今の自分には「否定」がない。


働いていた時、脚本家になりたくて仕方が無かった。その為にもたくさん創作を書いて、評価されて、すぐに辞めたかった。
「こんな会社、絶対に辞めてやる」その気持ちで生きていた。

自分で何かをする時、否定的な気持ちから動き出していた。誰かを否定する、物を否定する、自分自身を否定する。何でもいいけど、何かにバッテンを付けることで、自分の振り返りに変えていた。

大学の時に就職活動で相当落ち込んでいた時があった。でも全く進んでいない同級生を見る度に「自分はまだ大丈夫だ」と鼓舞していた。

今思えばハチャメチャな性格だ。

信頼していた人にそれを話したことがあるけど「そんなこと言っちゃダメだよ」と優しく否定されたので、この人は良い人だなと思ってもう信頼しなくなった。

それくらい私は「否定」で生きてしまう人間なのかもしれない。

悔しい。悲しい。辛い。
経験したくないのに、経験することで自分が強くなっている気がする。というかそれが無ければあまり動きたいと思わない。元々欲がない。

私が物書きとして動くためには、どんな悔しさや悲しさや辛さが必要なんだろう。

それを見つけた先に、答えがある気がする。

上のマガジンは、仕事を辞めるまでに書いた日記だが、否定に溢れている。

これはこれでなんだか可哀想なので、慈愛の精神で何本か見て欲しい。

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