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素を隠す皮『2023.10.22』

本を一冊読み終えた時、私はいつも口を噤む。

作品を読んで身体中で感じたことを、上手い方法で変換して世に出したいと感じるからだ。

上記を読んで分かる通り、今日の日記は本のレビューに近い。
本やドラマ・映画を一通り観ると心が全て奪われてしまうので、自分の身体に引き戻す為にも、ここで消化させて欲しい。


私はどんな本でも一日で読み終わろうと試みてしまう。
早読みであることと、途中で閉じた場合続きが気になって上手く人生を生きられないからだ。

五百ページ程の小説を、三日に分けて読んだ。
故意的に分けたかった訳ではなく、今の私は何もやる気が無くなるタイプの体調不良に襲われているからだ。

今日もどうにかして起き上がり、人生を上手く生きるために続きを読み、幕を閉じた。

小説を読む度に思うが、私は語彙力が足りない。想像力とは反比例して、知識が足りない。だから感想を上手く伝えられない。
この悩みに、『本を読む』という行為が出来るようになってから今まで非常に悩まされている。

だが語彙力が無い分、私より語彙力が無い子どもや、新しい言葉を知らないお年寄りなどに物を教える技術には長けている。しかし、自分自身が難しい論文を読む時や、カタカナ語でマウントを取ってくるようなエセベンチャー社員のような人との会話では実力を発揮することは出来ない。

そんな私は今回の本を読み終えて、自分の事を何も分かっていないのではないかと感じた。

私は自分では、正直で、素直で、言いたいことがあれば言うし、やりたいことがあれば一人でも動く。人の目なんて気にしない、私自身の人生があると豪語出来るような性格だと思っていた。
もちろん、人の迷惑になるようなことや、人を傷付けるようなことはしない。そんな風になる前に、迷惑・傷付けるかもフィルターに通して、言動・行動を改める。

でも一冊の本を読んで。
私はただ自分の素、すなわち『核』を見せていないだけなのだと知った。しかも自分にまで。

その人の考えが理解出来なくても、その人の考えはその人のものだしと割り切ったり、話が通じなかったらそちらに全て任せて放棄したり、無意味に自分の情報をひけらかしたりせずに、1聞かれたら1返すだけにしたり、話したい人の前では聞き役に回り聞きたい人の前では話し役に回ったり、自分が素を見せた所で誰の賛同も得られずにいるなら隠して行動した方がマシだと考えたりする。

人の為だと考えて行動していた気もするが、全ては自分の為のような気がする。

自分が行動する上で、否定されたくない・評価されたくないと考えているから、自分の『皮』をペリペリ何枚も剥がして渡して納得してもらい、核の部分は隠し切ったままだ。

しかし、自分の中の『核』は、素は、自分に見えているのか?
自分の素に気付けている人間はどれくらいいるのか?

会社の核、家族の核、夫婦・恋人の核だって、当人は気付けていないと思う。

強面のいかにもボスのような顔をしている後ろに、本当に怖い裏ボスがいるように。
自分が家族ヒエラルキーで一番上だと考えているが、実はペットのワンちゃんが一番だったりするように。

私達が本当に見なければいけないものなんて、いつも隠されていると思うのだ。
それを探ることもせず、『皮』を本当だと信じて疑わない人が、本当に効率良く生きられる人だ。
『核』について、人と話し合いたいと考えている時点で愚かなのかもしれない。世の中全てが上辺で丁度良く生きているのだ。

見えていることが全てだと錯覚してしまうような人間が一番生き延びている生物なのは、『核』に触れずに生きていこうと模索し続けているからである。

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