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人を見て自分を見る【映画感想文:夜明けのすべて】

ある映画の舞台挨拶を鑑賞した。
私は雪国に住んでいるので、直接ではなく全国生中継の恩恵を受けた観客のうちの一人だ。


正直、今回の作品を最初に知ったのは、私の好きな俳優さんが映画をやると知ったからだ。

原作があるというのなら、先に読んでおくのが礼儀だと自分勝手にルールを作った私。作者やパッケージに触れて「読みたい」と思ったわけではないあたり、不純な理由から入ってしまったかもしれない。

だがこの作品は、小説・映画とも私にとって宝物のような存在になった。


「実写化」という技法の映像作品を何度も観たことがある。小説や漫画など、原作があるものは、それが全てだと私は思う。だがそれを映像に捉えることで新しい目線で物語を眺めることが出来るのかもしれない。でもその相違についていけないと小説好きの友達に話すと「原作(小説や漫画等)にはそれの良さがあって映像は映像で良さがあるから、どちらかの良さをどちらかで出すことは難しいのかもしれない」と話していた。それを聞いてから「実写化」映画と原作を、互いの違和感を感じることより、お互いが知らせたいものは何かと考えながら観るようにした。

本作は原作へのリスペクトが垣間見えるどころか丸見えだった。
監督を始め、出演者の方々の舞台挨拶のコメントや、映画自体を鑑賞して、原作における大切な部分をしっかりと捉えていると感動し、原作を読んでからでも十分楽しめる映画だと感じた。


本作は、それぞれの悩みを抱えた人々が、周りと同じ環境の中、その悩みとどう対峙していくのか、そんな人々が自分とどう重なっているのかを考える作品であった。
特に映画では、主人公以外の人物のシーンや台詞から「それぞれの悩み」というのが強いテーマになっていると感じた。

彼らの悩み自体は共感出来なくても、解決方法や向き合い方はどんな悩みでも理解出来る部分があると感じた。

自己解決したり、そもそも悩みが無い人もいるのかもしれない。
だが、主人公の二人は、自分ではどうにもならない悩みを抱えていて、それのせいで自分を見失ってしまっているし、そんな自分を中々好きになれない。

そこで気付かされるのは「他人を通じて自分を見つめることの大切さ」だと思う。

二人はどうやっても自分だけでは上手くいかない。自分をよく知りたいのに知れない。周りの人と生きているのに、働いているのに、自分は普通だと思いたいのに、どこか自分だけの世界にいる気がする。
だから、嫌でも居続けてしまうその空間から顔を出すには、他人を見ることだと気付く。

他人を見ていると、ああこういう所が素敵だな、この人の姿勢を見習ってみようと思う肯定と、この人なんでいつもその動きをするんだろう、なんでいつも上手くいかないんだろうという疑問が生まれる。
人は自分を客観視することは難しいとされているけれど、他人は他人なので最初から客観視。よく見える。

他人から見えた特徴や性格、動き、言動。自分に当てはめるとどうだろう。

他人を見た時に得た肯定、自分はどうだろう。この行動は私と似ている気がする、この言葉はとても心に響いた。

他人を見た時に得た疑問、自分はどうだろう。当たり前だと思っていたけれど他人がやっているのを見ると不自然な行為だな、この疑問を解決するには他人の補助が必要だな、など、他人を観察しているだけで、他人から見た自分が見えてくる。

主人公の二人は、それを自然と行っているように感じた。お互いに自分のことはよく分からない。だけど、お互いのことは他人だからよく分かる。それを見ていると、自分のことがよく分かってくる。
最初は不器用な掛け合いも、たった2時間の映画の中で少しずつ進んでいき「他人を見ることで自分を見つめる」になっている気がした。


私はそれを見て、本映画で伝えたいのは「自分を1番知らないのは自分で、それがあるからこそ他人を見ることが出来る」という事なのではないかと思った。


他人に興味を示さず過ごす人は、自分のこともよく知っていないのではないか。

本作にいる人々は、常に人と人と繋がりがあって、如何なる場合も「人」によって解決されている。人に優しく触れている人こそ、人を良く見て、自分をよく見ている人なんだと思った。


原作を読み終えた時、読書感想文を書いた。


優しい人になりたいと書いた。
優しくされたら、優しさを返せる人間になりたいと書いた。

それは、私がこれまでの人生で優しい人と出会って来たから、自分のそのような人になりたいと願う肯定から成っている。


私は本作を心の中に持ち歩くことで、本作全員の優しさを胸に優しい人になれるのだ。

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