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出世払い『2023.10.24』

「分かる」

ビールのジョッキを片手に、半分以上入っていたアルコールを一気に体に流し込む。彼女は酒と仲が良い。

「分かってくれるの先輩だけです。正社員でいると、働いているうちにどんどん責任感が増していくというか」
「仕事を卒なくこなすと次の仕事が回ってきて、それをこなしたら新しい仕事教えられて、自然と出来る仕事を増やされて」
「そうなんです!!」

私は、ジョッキを手に持った。取っ手に親指以外の四本を入れて持ち上げる。ハタチで身に付けた、一番力を使わないジョッキの持ち方である。

「でも人それぞれなのかもね。責任持って成長出来る人もいるのかもしれないけど、私は成長を望んでない。ただ生きていたいだけなのに」

ただ生きていたいだけ。

彼女の言葉は、酔っ払いの私の心臓と肝臓に響いた。

大学三年生。就職活動が始まった。
学内で行なわれる就職説明会、会社訪問等は、大企業からどんどん募集が来て、やる気のある面々が続々と応募していく。大学生は就職の制度が手厚いのを有難いと思えるのは、卒業した今だからである。その当時は、鬱陶しいとさえ思っていた

そのおかげかそのせいか、私の周りには就職をする人しかいなかった。
新卒という言葉が飛び交って、大学進学後は就職が当たり前。新入社員は当たり前の人生だった。もちろん私もその波に乗り、内定を貰い就職をしたが、半年経った今、こうして働かずに文章を打っている。


今日は、大学四年間ずっと働いていたアルバイトの先輩と飲み会をした。
彼女は前も今もずっとフリーターで、アルバイトをしながら過ごしている。同じ場所で働いている時からご飯に連れて行ってくれていて、コロナ渦で同級生と飲みに行けなかった分、地元にいる先輩と飲みに行き、飲みのルールを教えてもらっていた。
自分や自分の周りの人には無い生活をしている人だったと同時に、やりたいことをやる先輩に羨ましさを感じていた。

「じゃあそこ受かったらまた会えるね」

先輩は、仕事を辞めた私のことを責めないし、何も言わない。アルバイトの募集をした場所が前働いていた場所だからと、会えるのを楽しみにしてくれている。
元々人を励ましたり、アドバイスをするのが苦手な人だと知っていたけれど、ただ話を聞いて、そりゃあ大変だったなあと呟く彼女は、今の私にとって大切な存在だ。

「出世払いでお願い」

先輩は私の夢を知っている。脚本家になりたいと伝えてから『出世払いでいいよ』と、授業で覚えたての言葉を使う学生のように多用する。

私はその言葉がある度に救われて、この人に早く、誇らしくご馳走出来るようになりたいと願うのだ。

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