見出し画像

わたしの音。わたしの言葉。

朝、ひと通りのことを済ませて、noteを開く。そんな生活を始めて、2ヶ月がたちました。
2ヶ月、と自分で書いて、本当に驚きます。
これが2ヶ月?全くもって、SF小説の世界に入りこんだ氣持ちです。あるいは、浦島太郎を思いだしたり。
実態は、2ヶ月などというものではなく、2年といわれても、まだ短く感じられるくらい。
これ以上力説しなくても、おそらく多くの方が、わたしと同じように感じられているのではないかと……みなさんの記事を拝読しながら感じています。
時間て、本当に不思議ですね。

さて、2年のようにも感じられるこの2ヶ月で、とてもたくさんのことが「かわった」氣がしています。そのひとつが、文章の書き方です。
とっても大きくかわったのです。でもその変化は、わざわざ誰かに話すようなものではないと思っていました。
そんなわたしに、メッセージのように届いたのが、素敵なクリエイターみさぼんの記事(ご本人曰く、「ぼん」が敬称だそうなので、「さん」づけはなしにします)。

『神』という字は、【申=音、示=奏でる】という意味だそうです。
『神』とは、自分の音を奏でるヒトのこと。
私の本当の音を知りたい。本当の音を奏で、日々、響かせたい。
ここnoteでの表現も、もっともっと本音で書いていきたい。

この言葉は、みさぼんが少し前に参加した講演会で出会ったものだそうです。
そして、記事のコメント欄のやりとりで、みさぼんはこんなふうにも話してくれました。

皆んな、自分の音を奏でているんだって。

ああ、そうなんだよなあ!
と、わたしは嬉しくなりました。
というのは、しばらく前から、わたしは「自分の音」に包まれて、日々を過ごしているからです。
結構な高音です。でも不快なものでは全くなくて、みなさんが知っている音でいうと、グラスハープの音に近く、やさしく体を振るわせてくれるような穏やかな響きです。

いつもきこえていますが、瞑想をしたり、文章を書いたりしているときに、ボリュームが大きくなります。
目にみえる、というのとは違うのですが、その音がどこから聴こえてくるのか、は感じることができます。

金色の、きらきらした球体から、です。
それは、わたしをすっぽり包み込むように存在しています。両手を横に広げるとそれが直径になる、ちょうどそのくらいのサイズです。
その球体は高速で回転していて、「自分の音」は、その回転から生まれてきます。
高速で回転はしているのですが、球体の表面がどんなものでできているのか、は、不思議とよくわかります。金色の粒々した光です。
高速で回転しているので、それは繊細な金の縞模様のようにも、泡立った波が水面に広がるときの不規則な編み目模様のようにも感じられます。でも、それが無数の金色の粒でできていることははっきりとわかります。

そして、この粒々の正体が言葉だということが、やはりはっきりとわかります。
無数の言葉が、わたしのまわりに球状に広がって、きらきら光りながら高速回転している、そんなふうにお伝えするのがいちばん近いと思います。

ここで念のため書き添えますが、みさぼんの投稿にあった、
「『神』とは、自分の音を奏でるヒトのこと。」
という一文。もちろんわたしは、自分を神だと思うわけではありません。
ですが、全ての人が神様であり、すべての人が自分の音を奏でている、というふうには思っています。
ですから、わたしは特別な神ではないけれど、みなさんと同様に神様であり、たまたま耳がよくてその音が聴こえる状態、というふうに感じています。

あるいは、別の見方をしていただいてもかまいません。
わたしはもともと、お話を書く仕事をしていました。ジャンルとしては児童書ですが、そのなかでも、ファンタジーに属するものを書いていました。
ですから、こういう話は受けとりづらいな、と感じたら、これはわたしの創造するファンタジーである、という読み方をしてください。
わたしのなかでは、現実とファンタジーの間には、それほど大きな差はありません。
そして、ファンタジーだと感じることでその世界を想像できるなら……それは何物にも代えがたいファンタジーの価値です。それを利用して、一般的とはいえないわたしの「文章の書き方」を、以下を読みながらイメージしていただけるなら──本当に嬉しいと思います。

さて、冒頭でもお話したように、このところ、文章の書き方がかわりました。大きく大きくかわりました。
簡単にいうと、自分の頭で書くのではなくなったのです。
かわりに、文章を書き始める前に、わたしは両手を広げます。
そうして、しばし目を閉じます。
すると、わたしのまわりで高速回転している金の粒々たちが、わたしの両手に吸い込まれるように、しゅうっと体に入ってきます。
わたしはそのてのひらを、パソコンのキーボードにそっとのせます。
てのひらに吸い込まれた言葉たちは、わたしの頭を経由することなく、キーボードを伝って画面に並んでいきます。心地よく並んでいきます。
いまわたしはそんなふうに、文章を書いています。

金色の球体の音を意識するようになったのは、たしか半年程前のことですが、この方法で文章を書くようになってからは、まだひと月にもなりません。
ですから、いまの状態も過渡期であるかもしれませんし、変化はこれからも楽しんで受け入れたいと思っています。

そういう書き方をしていますから、最近は、自分の書くものが、書きあがるそのときまでよくわからなくなりました。
キーボードを打っているのはわたしですし、そもそも金色の粒々も、他ならぬわたし自身。あるいは分身。
だから、自分の考えと全く違うものがでてくるわけではないのですが、書きながら、(そうだったのか!)と自分で学ぶことが増えました。

逆に、いままでなら力技で書いてしまえていたものが、すっかり書けなくなりました。
「こういうことを書こう!」と決めて書き始めてみても、「表現するタイミング」でないと、どうもさっぱり形にならないのです。
文章を書いてきた時間は長いので、ある程度は鍛えられていた「自分の考えをまとめる力」のようなものは、なんだか戸棚の奥にしまわれてしまったような感じで、いまはほとんど機能していません。

みさぼんの記事を読んだあと、さら~~っとこの文章が形になったのは、いまこれを書くときだよ、という、金色の球体からのメッセージだと受けとっています。金色の光が、待ってましたとばかりにキーボードを叩き、画面に並んでいく様子を、半分読者の氣持ちで眺めるのは至福です。

みさぼんは、いつもわたしに変化のきっかけ、表現のきっかけを与えてくれる人です。
「自然や見えない世界との共栄共存の世界創造が願い」とプロフィールにある通り、身のまわりで起こる出来事を、いつもおおらかに、自然に受けとめる姿勢が素敵な人です。
おかあさまの介護をされながら、ご自分の会社も最近立ちあげてしまった!という、アグレッシブな一面も持っています。
書かれる記事の内容は、まさにそんなみさぼんらしく、日により、ときによって自由に変化します。ぜひ、上のバナーから、素敵なお部屋を訪ねてみてくださいね!

最後に。いつもわたしを幸せな音で包み、振るわせてくれる金色の球体に、心からの感謝を届けます。
ありがとう。わたしの音。わたしの言葉たち。



追伸
こちらの記事に、数週にわたり、計5つのコングラボートが届きました。スキをくださったみなさま、記事にご協力くださったみなさま、本当にありがとうございました!

この記事が参加している募集

宇宙SF

私は私のここがすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?