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「フェミニスト」は「炎上」を起こしていない―反フェミニストの「嘘」について

※本記事は全文無料で読めます。記事末尾をご参照ください。

こんにちは。烏丸百九です。

先週、反フェミニズムの論客で知られる「青識亜論」さんが、フェミニストのなりすましアカウントを持っていたことが判明し、話題となっていました。

なりすまし問題自体については既に↑こちらのまとめが出ていますので、詳細はそちらをご覧下さい。

今回は、こちらの問題をきっかけに、私が「所謂ネットの「フェミニスト」が起こした「炎上」事案は、実は殆ど存在しないのではないか?」と考えたことと、その理由について論じていきます。

1.フェミニストは「炎上」を起こしてきたのか?

a.そもそも「炎上」は起きているのか?

フェミニストが起こした「炎上」の一覧表としては、青識氏とも親交のある「すもも」氏の以下のツイートが有名です。

この怒濤のリストを見ると、「フェミニストは大量の炎上を起こし、キャンセルカルチャーを駆使している」と思われるのも無理はないかも知れません。

しかし、このツイートで注意すべきは、すもも氏も「圧力」とは書いているが、「炎上」とは書いていない点です。そして、「圧力」の定義は文脈上明らかになっておらず、ネットでホット・トピック的な盛り上がりが発生し、企業の謝罪や撤回が発生したことしかこの図からは読み取れません。

では、「炎上」とはどんな現象でしょうか。Wikipediaの定義を確認してみましょう。

この時、コメントにはサイト管理者側の立場に対する賛否の両方が含まれていたとしても、否定的な意見の方をより多く包含するものを炎上とし、応援などの肯定的な投稿だけが殺到するものは普通は炎上とは呼ばず[4]対義語と言えるバズが用いられることが多い[5]憲法学者キャス・サンスティーンは、個人がインターネット上で自分自身の欲望の赴くままに振る舞った結果、極端な行動や主張に行き着いてしまうという現象をサイバーカスケードと呼んでおり、炎上もこの現れの一種と言える[6]

「Wikipedia - 炎上 (ネット用語)」より

ネットでは伝統的に、意見の集中するトピックのうち、否定的な意見の方がより多く見られるものが「炎上」と呼ばれてきており、私もこの定義に賛成します。つまり、反フェミニストが反論するなどして「賛否両論状態」になっていれば「炎上」とは言えないことになります。

フェミニストは否定的な意見を集中的に投稿しているのだから、「炎上」の定義に当てはまるではないか!」と言われるかもしれません。では、実際のケースとして、「最初のジェンダー炎上」とも言われる、人工知能学会の表紙の件を見てみましょう。

b.「反フェミニストの勝利」としてまとめられる「炎上」

普段は主にサブカルチャーを取り扱っており、特に党派的な偏りはないと思われるネットメディア、「KAI-YOU.net」では以下のような纏め記事が掲載されています。

女性型アンドロイドのイラストが「女性差別」と大炎上
メイド風の女性型アンドロイドが手にほうきを持ち、読書をしながら掃除する姿の『人工知能』表紙に対して、「女性差別」「男の欲望が具現化されてて気持ち悪い」という指摘が起こり、学会が「差別する意図はなかった」という声明を出すまでに至った。

気になるのは表紙だけではなく、最新号の小特集が「「人工知能」表紙問題における議論と論点の整理」と、前号での表紙騒動自体を扱った自己言及的な内容となっている点だ。

この人工知能学会のスタンスに、Web上では
・いいぞもっとやれ
・この切り返し方は好感が持てる
・素晴らしい対応。知性を感じる
・懲りないなwww
・火に油を注いじゃうのでは…?
・ストーリーがありそうで気になる

など、様々な声があがっている。

KAI-YOU.net「女性型アンドロイド表紙で物議の人工知能学会、意表をついた最新号が話題」より

このように、明らかに「フェミニスト」側に批判的な観点で「炎上」の顛末がまとめられており、「大炎上」とは書きつつも、表紙自体に否定的な意見が決して多数派ではなかったことが見て取れます。

この傾向は人工知能学会の表紙の一件に限った話ではなく、「碧志摩メグ」の「炎上」宇崎ちゃん×日赤コラボの「炎上」アツギタイツ企画の「炎上」Vtuber戸定梨香氏の「炎上」、最近では私も記事にした「月曜日のたわわ」広告の「炎上」など、事案後のまとめ等に目を通す限り、ほとんどの「炎上」において、「フェミニスト側」は多数派のヘゲモニーを取れておらず、結果的に「敗北」もしくは「賛否両論」状態に終わっていることがわかると思います。

さらに、すもも氏はネットアンケートなどで自説の優位性を説くことでも有名なのですが、彼の記事から「フェミニスト」的な意見がどれくらい支持されているか、調査結果を確認してみましょう。

Q2:VTuber「戸定梨香」が警察の交通安全啓発活動のキャラクターに採用されることの問題性 - 「このキャラクターが、警察の交通安全啓発活動のキャラクターに採用されることは、問題があると思いますか?」の回答結果。

このアンケートでは、最も否定的回答の割合が高い60代女性でも、全体の46.3%であり、「問題があると思う」人が多数派を取っているケースは、全年代を通じて存在しない事が明らかになっています。

このような「客観的なデータ」を踏まえれば、「フェミニスト」の意見は常に世間的には少数派にすぎず、「炎上」を起こすような多数動員力はないという推察は成り立つのではないでしょうか。

c.「キャンセルカルチャー」批判は正当なものか?

このように書くと、すぐに次のような反論が来そうです。

「賛否両論状態なのは事後に適切な批判が加えられたからであり、フェミニストが「キャンセルカルチャー」を駆使して「炎上」紛いの行為を繰り返している事実に変わりはない」と。

確かにそうかもしれません。でも、そもそも根本的な問題として、社会現象としての「キャンセルカルチャー」なるものは存在するんでしょうか?

イギリス人ジャーナリストのモニシャ・ラジェシュ氏は、イギリスの著名な絵本作家であるケイト・クランチィ氏の作品を「人種差別」と批判したことで、「キャンセルカルチャー」を主導したとして幅広い非難を受けました。英紙「ガーディアン」では、ラジェシュ氏の主張を以下の記事に纏めています。

モニシャ・ラジェシュ氏。

注意すべき点として、ラジェシュ氏は女性ですが、特に「左翼」や「フェミニスト」を名乗って活動しているわけではありません。

白人女性作家のグループは、サニー・シンチミーヌ・スレイマン[訳註:ラジェシュと同様の批判を行った人々]と私を、クランチィを「攻撃」している「活動家」と鋭く貶めました。フィリップ・プルマン[訳註:イギリスの著名な児童文学作家]は、私たちが自ら不快感を求めていると示唆し、私たちをISISタリバンになぞらえました。このコメントは、私たち3人がすでに「オルタナ右翼」からの協調的な人種差別攻撃を受けており、メールやソーシャルメディアで標的にされていたときに出されたものです。

プルマン氏は現在、自身が引き起こした被害について謝罪のツイートをしています。

クランチィはその後、批判的な読者レビューに「過剰に反応した」ことを謝罪しています。彼女はツイッターでこう書いています。「私は多くのことを間違ってきたことを自覚していますし、より良いことを、より愛情を込めて書く機会を歓迎しています」

多くの主張とは逆に、アジア人や黒人の作家は、人種差別的な言葉に噛みつくことを楽しんでいるわけではありません。むしろ、学術論文を書いたり、本を研究したり、『ラブ・アイランド』を見たり、子供たちとかくれんぼをしたりしているほうが楽しいのです。しかし、人種差別を見たり聞いたりすると、すぐに屈辱の熱を感じ、不公平のチクチクした痛みを肌に感じます。そして、怒りの声が聞こえ、その後に、発言したことによる反動への恐怖が襲ってきます。

「キャンセル・カルチャー」という言葉は、説明責任を恐れている人たちの間で飛び交っている言葉です。しかし、言論の自由は、結果からの自由を意味するものではありません。私たちには、公に入手可能な本を公の場で批評する権利があり、著者は自ら、その中の人種差別的な表現に注意を喚起していたのです。

シン、スレイマン、そして私は、クランチィや彼女の本を「キャンセル」したくはありませんでした。それは、シンが継続的に共有していた、異文化についての書き方を注意する教育リンクや、私自身が反論者に、なぜその言葉がそんなに苦痛なのかを理解してほしいと懇願したことからも明らかだと思います。私たちの誰も、クランチィが生徒の詩に対して行ったすばらしい仕事に異論を唱えた者はいません。私たちの誰も、ピカドール社がこの本を書き直すという決定に関与していませんし、この本が書き直されるべきだとも思っていません。誰も、作家の想像力を取り締まったり、何を書くべきで、何を書くべきではないかを指示したりはしません。しかし、私たちは執筆に取り掛かる前に、お互いに十分な注意を払う義務があります。

この2年間、出版社は人種やアイデンティティに関する本を量産してきましたが、問題が出版業界自体の奥深くにあるのなら、この試みは意味がありません。作家、エージェント、編集者、出版社、文学の主催者は、真の多様性と包括性について学ぶべきことがたくさんあること、そして、私たちが発言したことで罰せられるのであれば、空疎な決まり文句や多様性維持制度は何の意味もないことを受け入れる必要があるのです。読者は、白人で中流階級で健常者という一様な集団ではありませんし、作家もそうです。私たちはあらゆる分野から集まってきており、本がそれを代表するためには、まず出版がそうでなければならないのです。

"The Guardian - 本の人種差別を指摘することは「攻撃」ではない–それは業界改革の呼びかけである"より[拙訳]

これは一例であり、中には本当に「作家の想像力を取り締まったり、何を書くべきで、何を書くべきではないかを指示し」たいという動機で「キャンセルカルチャー」を起こす人々もいることでしょう。

しかしながら、そうでないケースでも、特に「左翼」や「フェミニスト」っぽいことを言うと、敵対勢力から「キャンセルカルチャー」と言われることが、欧米諸国では本格的な社会問題になりつつあり、「キャンセルカルチャー」という言葉自体が、一種のストローマン論法であるという非難を受けているのです。

相手の意見の一部を誤解してみせたり、正しく引用することなく歪める、または一部のみを取り上げて誇大に解釈すれば、その意見に反論することは容易になる。この場合、第三者からみれば一見すると反論が妥当であるように思われるため、人々を説得する際に有効なテクニックとして用いられることがある。これは論法としては論点のすり替えにあたり、無意識でおこなっていれば論証上の誤り(非形式的誤謬)となるが、意図的におこなっていればそれは詭弁である。

Wikipedia - ストローマン」より

国家による表現規制や作品の回収、作家の引退などを求めているわけではないにもかかわらず、「左翼」「フェミニスト」っぽい視点で「これは差別だ」と非難すると、途端に「キャンセルカルチャー」としてフレーミングされ、猛攻撃を受けてしまうのは、「言論の自由市場」を支持する立場からも、到底許容し難い状況ではないでしょうか。

より根本的な指摘として、批判が「多数派」を占めていない以上は、それらの勢力が左翼ポピュリストとして国家権力をも簡単に動かせるようなヘゲモニーを握るのは、特に保守派の強い日本の政治状況を鑑みれば、かなり荒唐無稽で大げさな話だと言わざるを得ないでしょう。

2.嘘つきはネット右翼のはじまり

a.「フェミニスト」は「フェミニスト」がちゃんと批判している

もちろん、だからといって「フェミニスト」と呼ばれる人々が問題を起こしていないわけではありません。J.K.ローリングに代表される所謂TERF(ジェンダークリティカル・フェミニスト)については、以前の記事で批判しました。

また、現在国会ではアダルトビデオ出演者の契約取消権を巡り、与野党で所謂「AV新法」の制定が議論されており、一部の「フェミニスト」が可決阻止の活動を行っています。

このような動きに対して、「AVの合法化・性売買合法化」そのものを問題視する視点は、セックスワーカーへの排除であるとして、リベラル派や反フェミニストからの批判が噴出しています。

ここで青識氏は、「フェミニストのみなさん」という主語を用いて、あたかもセックスワーク排除がフェミニストの「常識」であるかのような主張を行っていますが、これは端的に言ってです。

実際、Twitter上だけでも、北原みのり氏らは著名なフェミニストから容赦ない批判を受けています。

え? 俺はフェミニズムに詳しいが、清水晶子も要ゆきこも知らないって? お引き取りください。

ちなみに、(当然ですが)お二人ともジェンダークリティカルに対して継続的な批判を行っている「フェミニスト」でもあります。

清水晶子先生の書いた上の記事に目を通すだけでも、同じ「フェミニズム」内に様々な立場があり、「フェミニズム的な原理で問題ない」とする意見もたくさんあることに気づけると思うのですが、知ってか知らずか、青識氏は主語デカ論法を用いて「敵の悪魔化」を行っているのです。

b.「嘘」は現代右翼のメイン武器

さて、今の世界で、敵を悪魔化し、主語を大きくし、嘘をついて相手を貶めている悪者と言えば誰でしょう?

言うまでもないですね。ロシア政府です。

ロシア政府や欧米のオルタナ右翼が「偽情報」を好み、「嘘」をつき続けることには、主に二つの動機があると思います。

  1. 正論では勝ち目がないと薄々分かっていること

  2. 相手を対等な議論の対象だと思っていないこと

1ももちろん問題ですが、より深刻なのは2です。ロシア政府は、明確にウクライナの人々や彼らに味方する西欧諸国を見下し、「自分たちと対等ではない」と見なしており、その基本思考が態度となって表れているのです。

正常な民主主義的議論をドライブさせるには、場の全員がお互いを尊重しあい、バカにしたり差別したりしないことが非常に大事です。だからこそ、特にTwitterのような匿名性の高いSNSでマトモな「議論」をするのは容易ではないわけですが、それと「だから相手を尊重しなくても良い」という開き直りとは、また別の問題です。

c.「敗北」は左翼の華

ここまで、「反フェミニスト」の人々の嘘や、ストローマン論法を批判してきました。

しかし、最初のすもも氏への言及で取り上げたように、私の立論は「左翼やフェミニストの意見は少数派であり、多数派からは普通に嫌われている」ことを事実と認定しないと成り立たないものです。そして、私は(この日本国内ではおそらく)左翼です。

では、私はこの事実を認めた上で、なぜ「反フェミニスト」をわざわざ批判するのでしょうか? こんなnoteを書いても、多数派の共感など得られるはずもないのに。

「キャンセルカルチャー・フェミニスト」の領袖とも評される(?)フェミニストの北村紗衣先生は、以下のような示唆に富むツイートをしたことがあります。

Washington Post - ブラック・ライヴズ・マターと公民権反対派に抵抗したアメリカの長い歴史”より、キング牧師の運動に対する当時のアメリカ人の評価。賛成が青、反対が赤。

保守派が批判する、左翼の悪名高いイデオロギーのひとつに、「進歩主義」があります。

そして現代では通常「進歩的」と呼ばれているのは「政治的変革や政府支援などを通じて、一般の人々の利益の実現を目的とする社会的または政治的運動」である[6]。例えば民主的なプロセスによる、不平等差別の改善のための公共政策、環境配慮のための政策提唱、社会的なセーフティーネットや労働者の権利、企業による独占や支配への反対などの多数の運動が「進歩的」と呼ばれている。それらの共通点は、現在の制度や対応方法のマイナスの側面に注意喚起して、民主主義の拡大や社会的または経済的平等の拡大や人々の幸福度の改善などプラスの変化を支持する。

Wikipedia - 進歩主義」より

進歩主義的な左翼に共通するのは、人類社会に対する、ある種の楽観主義だと思います。

古今東西、進歩主義的な見方には批判も強く、実際のところ社会は単純に「歴史の正しい側」に進んでなどおらず、「進歩的」な政策とそれに対する批判によって「行ったり来たり」しているのが現実なのですが、それでも最終的には「より良い未来があるだろう」と信じているから、左翼的な人々は今日も社会を批判するのです。まだ見ぬ明日のために。

これを読んだ反フェミニストの皆さん、ご安心ください。「左翼」も「フェミニスト」も、保守的な日本ではそうそう簡単には政治的に勝利出来ません。少なくともあと数年か数十年かは、「少数派」として政治的な「敗北」を続けることでしょう。

でも、あまり舐め腐って相手にしないでいると、いつか足元を掬われるかも知れませんよ。

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