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ツイッタラーは「文化戦争」を今すぐ止めよ―「月曜日のたわわ」問題について

こんにちは! バーチャル評論家の烏丸百九と申します。

タイトルの件について、少々出遅れた感があるのですが、だいたい意見も出尽くしたように見えるので、少し別の視点から掘り下げてみたいと思います。

記事の内容を要約しますと……

  • 日経新聞の「月曜日のたわわ」広告について、批判する側も擁護する側も、本来するべき文化批評の次元を超えて「文化戦争」状態に陥っている。

  • 私は反戦平和主義者のリベラリストである。文化を「戦争」の具にすることを望まない。よって、両陣営は「文化戦争」を止めてほしいと願う。

  • 「文化戦争」は私の造語ではなく、欧米、特にアメリカで繰り広げられている政治闘争のことを言う用語。

こんな感じです。

以下では、より具体的な内容を解説していきます。


1.「文化戦争」とは何か?

Wikipediaの定義では、以下のようになっています。

文化戦争とは、社会集団間の文化的対立と、その価値観、信念、慣習の優劣を争うことである。 一般的には、社会的な価値観の不一致と分極化が見られるテーマを指すことが多い。
この用語は、米国における現代政治の側面を説明するために一般的に使用される。 これには、中絶、同性愛、トランスジェンダーの権利、ポルノ、多文化主義、人種差別など「文化の楔」についての問題や、大きな政治的亀裂として説明される、価値、道徳、ライフスタイルに基づく文化衝突が含まれている。

Wikipedia - Culture war」より

このように、特に米国社会では、道徳観やLGBTQの人権など、本来「政治的に争われる」べきではないことまで「文化戦争」の題材にされてしまい、様々な問題を引き起こしています。

アメリカの状況について、毎日新聞が以下の記事で解説しています。

ルーズベルト像と、彼の衣服を抱え従う黒人像。黒人は裸であり、奴隷のように見える

ニューヨーク市中心部マンハッタンのセントラルパーク前にある自然史博物館。入り口には第26代大統領セオドア・ルーズベルトの銅像が建つ。像はルーズベルトが馬に乗り、その両脇に先住民と黒人が付き従っている。博物館は「ブラック・ライブズ・マター」(BLM、黒人の命は大事だ)運動が広がっていた6月21日、この像を撤去するよう所有者の市に求めると発表した。

6月28日には像の前で、トランプ大統領を支持し、撤去に反対する約150人のグループと、撤去を求めるグループがにらみ合う場面もあった。トランプ氏は各地で広がる撤去の動きに強く反発。「歴史の否定だ」として保守とリベラルが対決する「文化戦争」を仕掛け、分断を深めようとしている。だが、ニューヨーク市内でBLM運動に参加する白人の会社員、クラリス・ディーンさん(27)は言う。

「人種差別を見て見ぬふりをしてきたのが米国社会の現実」
 「実は人種差別がはびこっているのに、見て見ぬふりをしてきたのが米国社会の現実だ。差別的な像を放置してきたのはまさにその象徴で、私たちはこれ以上同じ場所にとどまるべきではない。歴史の否定? それなら、トランプは自由や平等という米国の歴史的な価値観を否定している」

毎日記事より

このように、トランプ前大統領は左派やリベラル派からの「人種差別だ」という批判をかわすために「これは文化の戦争だ!」というレトリックを用いて、自分(とその支持者である保守的な白人層)を正当化したのです。

こうしたことから、米国の左派やリベラル派には、「文化戦争」はそれ自体が保守派のレトリックにすぎず、現実には存在しないもの(所謂ストローマン論法)だ、と主張する人もいます。

しかし、残念なことに、「月曜日のたわわ」をめぐる議論では、左派の方が積極的に「文化戦争」を仕掛けたように見えます。

2.不誠実な手法で「戦争」を煽るリベラルメディア

おおよそこの「炎上」の発生源は、ハフポスト日本版の以下の二つの記事だと思います。この騒動についてよく分からない人は、これらをお読みになれば、「問題点」はつかめるでしょう。

全面広告で描かれた女子高生について、作中で男性会社員はこんな視線を向ける。
「いけないとは思いつつも 誰もが一度は目を奪われるーー
たわわに実った二つの膨らみが 少女らしく華奢な体をアンバランスに飾り立てる
男好きする設定が 制服を着て歩いているような少女」
この少女が日経新聞の読者を励ますように語りかける構図の全面広告。掲載した意図はなんだったのか。

「「月曜日のたわわ」全面広告を日経新聞が掲載。専門家が指摘する3つの問題点とは?」より

上に書いたようなハフポスト(と、取材を受けた「専門家」)の書き方は、リベラルな文化批評の次元において、信じられないくらい不誠実なものです。
なぜなら、「こんな視線を向ける」と書かれた「作中(の内容)」は、ヤングマガジン連載分で既刊4巻、同人誌も含めると17巻以上に及ぶ漫画作品の、ほんの一ページを切り抜いただけのものだからです。

「月曜日のたわわ」全てがこのように女性蔑視的な内容なのか?

実はそうではなく、反対の主張も含まれているのか?

この記事ではさっぱりわかりません。ただ、「差別的な内容だ」ということだけが無言の前提として、論理が展開されていきます。

どんなにひどい作品でも、「現在発表されている」「アクセス可能な内容には」一通り目を通してから批判するのは、あらゆる文芸批評の基本のキでしょう。

こんな批判の仕方が通用するなら、例えば実写版「デビルマン」を批判するのに、「世間でそういう評価だから」と言って、予告編だけを見てボロクソ言うのも許されることになります。どんなに女性差別的なクソ映画雑誌でも、そんな「批判」の仕方は許さないのではないでしょうか。

「女性差別を批判する(政治的に正しい)目的があるからいいのだ」と抗弁するなら、それこそ「文化を政争の具にする」「文化戦争」の手口に他なりません。

そして、「文化戦争」が盛り上がることで一番得をするのは、PV稼ぎに執心する左右のタブロイド・メディアでしょう。実際、欧米で「文化戦争」を主導しているのはハフポストのようなネットニュース・メディアです。

私はリベラル派として、こんな死の商人みたいなやり口は許せません。「戦争」で金儲けをする人々は、主義主張に関係なく、等しく非難されるべきです。

ちなみに、UN Womenは、作品の内容ではなく、日経の広告に関する姿勢を指弾しているので、作品批判を行っているわけではありませんが(当然、表現に対する規制も否定しています)、同じ「差別的表現に対する批判」でも、例えばニューヨークセントラルパークのど真ん中に立てられている大統領の銅像と、一日限りの広告では、重大性に差があるのは明らかで、Twitterなどでそうした視点からの批判が多いのは致し方ないかと思います。

ちなみにルーズベルト像は1939年制作ですので、黒人や先住民の皆さんは、80年以上も白人の歴史観に「寛容さ」を示していたことになります。

「表現の自由派」と評される(?)手嶋海嶺氏の以下の批判は、BLM支持者の私から見ても、まあ妥当なものだと思います。(有料部分は読んでいませんが)

作品への擁護的な意見としては、以下の記事も納得感がありました。

ちなみに、私は「月曜日のたわわ」を読んでませんし、今後も読む気はありません。ですので、内容について良いとも悪いとも評価しません。

明らかに自分の好みではない作品を、わざわざ読んで批判するほど暇ではありませんし、「娯楽作品を批判するために読む」行為は、真っ当な文芸批評の為のそれを除けば、基本的に悪趣味で不健全なものだと思います。

3.批判に聞く耳もたぬ「反フェミニスト」の不誠実

では、「たわわ」広告に関する問題の全ては、針小棒大なリベラル・メディアと一部の過激な「フェミニスト」によるもので、何も問題はなかったということなのでしょうか?

広告を擁護する反フェミニスト(的な主張の人)のひとりに、神崎ゆき氏がいます。彼女はnoteで、次のような記事を書いています。

【ジェンダークレームの定義】

 ジェンダーの観点から、表現者、表現の監督者・責任者、表現の掲載媒体又は表現の消費者等に対して、女性の権利等を根拠に強く訴えられる一連の主張のうち、現状まで公的に認められていた権利の基準を少なくとも実質上、表現者側に不利に変更する内容のものをいう。

 ただし、自然科学的研究等、公的に正当とみなされる手法に基づく学術研究又は事実認定により、その主張に係る正当性の担保が取れる場合にあっては、この限りではない。

 なお、ジェンダーの定義は、独立行政法人JICAによる、「社会的・文化的につくられる性別」に基づくものとし、この定義に逸脱しない範囲において、同様の定義を認める。

note記事「ジェンダークレーマーの定義」より

私は、「ジェンダークレーマー」という用語については、神崎氏も言っているとおり、よくあるインターネットスラングのひとつと考えていて、明確な「定義」はないものと見ていましたが、これが神崎氏の考える「定義」のようです。

さて、この「定義」の何が問題なのでしょうか?

女性の権利等を根拠に強く訴えられる一連の主張のうち、現状まで公的に認められていた権利の基準を少なくとも実質上、表現者側に不利に変更する内容のものをいう

note記事「ジェンダークレーマーの定義」より

「変更」を求める声だから議論になっているのに、「不利に変更する(のを求める)」事自体が「クレーム」とは、どういうことでしょうか?

「我々に問題はない。よって、変わる必要などない」と思っていないと、まず思いつかない表現だと思います。最初から話し合う気などない人の態度です。

さらに突っ込めば、「公的に正当とみなされる手法に基づく学術研究又は事実認定」とやらも、反フェミニスト(である神崎氏)がそう認めている研究以外は認めませんよ、ということなのですから、やっぱり「「フェミニスト」の言い分など一切聞きません」宣言にしか見えないですね。

最初の問いに立ち返りましょう。

「たわわ」広告に関する問題の全ては、針小棒大なリベラル・メディアと一部の過激な「フェミニスト」によるもので、何も問題はなかったということなのでしょうか?

4.日本社会は「変更」されなければならない

広告を批判した人々が一様に口にするのは、(作品批判ではなく)こうした「社会問題としての痴漢」と、「痴漢を想起させるような広告は気味が悪い」という素朴な感情でした。

少なくとも、これらのツイートは「過激派フェミニスト」のそれでもなければ、文化戦争を推進する「リベラルメディア」の悪意にも見えません。

痴漢の脅威に怯えている人々にとっては、世の中が「痴漢のない社会に変わって欲しい」のです。その切実な願いを無視して、「我々に問題はない。よって、変わる必要などない」と言い放つことが、どれほど不誠実か想像出来ないでしょうか?

俺はアフリカに寄付してるから経済差別や人種差別を肯定していない」と言い放つネオリベラリストみたいな言い分ですが、こういう行動に出ること自体は良いことですし、少なくとも神崎氏が内心に「気まずさ」「良心の呵責」を抱えている証明になっているような気がします。ご本人は認めないかもしれませんが……。

当たり前の話ですが、上に書いたようなツイートをする人たちが求めているのは「社会が変わること」であって、「痴漢被害者を支援すること」ではありません。社会が変わらなければ、被害者はずっと生まれ続けます。どれほどのお金を寄付したところで、苦しみは何も変わりはしないのです。

メディアは無意味な「文化戦争」を煽るのを即刻止め、ツイッタラーも(大切な漫画やアニメを政争の具にしたくないなら)「戦争」に参加するのは止めるべきです。

私たちが本当にしなければいけないことは、既に明らかなのですから。

参考資料:

サムネイル出典:神聖かまってちゃん「僕の戦争」Music Video

Angels planning disguised with devil's faces
(天使たちが悪魔の顔を装って計画する)
Children cling on to their very last coins
(最後の硬貨にしがみつく子供達)
Destruction and regeneration
(破壊と再生)
You are the real enemy
(お前が本当の敵なんだ)

神聖かまってちゃん「僕の戦争」より

補足.それでも真実へと向かうこと

4月21日現在、未だに「戦争」が止まる気配はありません。とある扇動的ツイートに対して、本稿の補足的な内容を書きました。

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