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栃木県宇都宮市大谷。アート×サウナで元気を沸かす「元気炉」で、ご機嫌に出会い直そう。【CQ×TRAPOLツアーレポート】

「自分の機嫌を、自分で取れるのが大人だ」。

そんな言葉を聞くことが最近増えてきた。たしかに正しいと思う。不機嫌そうな人は嫌だし、自分の機嫌をまわりに取ってもらうのは申し訳ない。

でも、一生懸命生きていれば、自分の機嫌を自分で取れないくらい落ち込んだり、イライラするときだってある。そんなときに、「自分の機嫌は自分で取ろう」なんて思えるほど、人は器用なものだろうか。

先の見えない社会で、誰もが手探りで生きる現代こそ、「ご機嫌」について改めて考えたい。

そんなことを思っていたとき、2024年3月18日〜20日にかけて開催されたCQ×TRAPOLのサステナブルツアーを通じて、栃木県宇都宮市にある「元気炉」と出会った。

訪れたのは、栃木県宇都宮北西部に位置する場所・大谷。ツアー参加者と一緒に、JR宇都宮駅からバスで40分ほど揺られ、そこから草木が無造作に生えた道を抜けていくと、巨大な石の壁が見えてきた。

この地域一帯では、「大谷石」と呼ばれる緑色凝灰岩が採れる。

この土地のみで採掘できる大谷石は、そのやさしい風合いと加工のしやすさから、高級石材として愛されてきた。

大谷石採石場跡にある「大谷資料館」。

大谷地域には、大谷石を切り出すために作られた地下空間がたくさんある。目の前に広がる空間すべてが大谷石でできているのだ。

この先に何が待っているのだろうと、ワクワクしながら進んでいくと、そこには目を見張る光景があった。

「うわぁ…!!」と思わず声が出た。巨大な枯れ木の根元のようにも、そびえ立つ山のようにも見える、謎の建造物。これが「元気炉」らしい。

とても人間が作ったとは思えないような荘厳さと、四方を石の壁に囲まれた空間の異様さに息を呑む。

よく見ると、表面は木片が組み合わさってできていて、深く切り込まれた中心部分には無数の鏡が貼り付けられている。

その間に入っていくと、鏡という鏡に自分の姿が写って、何人もの自分に囲まれているよう。ここが現実世界なのか、それとも鏡のなかなのか、ちょっと混乱してしまいそうだ。

元気炉は、ただの建造物ではない。アーティスト・栗林隆さんのアート作品であり、巨大なスチームサウナでもある。

それを証明するように、元気炉に通されたパイプの先には、蒸気を沸かすための薪窯が設置されていた。

作品のコンセプトは、「アートを通して元気に、健康に」。東日本大震災の際、福島の原発事故を目にして、現地に10年以上通いつづけた栗林さん自身の体験から着想を得たという。

栗林さんは、震災の被害にあった福島に元気を届けるために通いつづけていた。しかし、通いつづけるうちに、栗林さん自身も、その土地に暮らす人々から元気をもらっていたことに気が付いたのだそうだ。

そんな体験を通じて、原発事故のネガティブなイメージを、アートとしてポジティブに変換することで、訪れる人々を「ご機嫌」にしたいと考えて生み出されたのが、元気炉だという。

回廊を抜けて、さらに奥に進んでいくと、中心部には積み木みたいに置かれたコンテナのような部屋が見えてきた。

ここが元気炉のサウナ部分。先ほどの薪窯から蒸気を送り出すことで、この部屋がスチームサウナになる。

とはいえ、私が知っているサウナとはまったく違ったものだから、少しの不安と目いっぱいの好奇心が湧いてきた。

さっそく、元気炉で元気を沸かす準備を始めよう。薪窯に薪を焚べて、空気を送り込み、どんどん燃やす。

そして、釜のなかにローズマリーやレモングラスなど、現地で採れた数種類のハーブと水を入れていく。

釜で沸かしたお湯はハーブの香りがたっぷり滲み出ている。カップに入れれば、おいしいハーブティーの出来上がりだ。熱々で、ほっとする味。

パイプから垂れるお湯でドリップコーヒーを淹れてみた。
資源を無駄にせず、すみずみまで使い切るのが元気炉スタイル。

サウナが蒸気で充満してきたら、準備完了! 水着に着替えて、みんなでサウナに入ってみた。

蒸気に満たされた部屋のなかは、隣に座っている人の顔すら見えないほどに真っ白。自分がどこにいるのかもわからないくらい、視界は蒸気に覆われている。

積み重なったサウナ部屋は、下の階が1番熱くて、上に昇るごとに少しずつ温度が下がっていく仕組みだ。自分の好きな部屋にずっといてもいいし、移動して温度変化を楽しんでもいい。

元気炉は、90〜100℃のいわゆる高温サウナとは違って、70℃前後の低温サウナだから、息苦しさは感じない。

熱いのが苦手な人でもじっくりサウナと向き合える温度設定は、栗林さんのこだわりなのだそう。

大人が屈んでやっと入れるくらいの小さな部屋のなかに、みんなで並んで、思い思いにサウナを楽しんだ。

部屋を満たす豊かなハーブの香りが心地よくて、目を瞑って香りを楽しんでいる間に、身体が芯まで温まって、肌にじんわり汗が伝う。

視界が蒸気で覆われているものだから、隣の人が誰なのか知るには、喋ってコミュニケーションを取るしかない。

顔が見えないのもあって、なんだかいつもより素直な気持ちで喋ってしまって、ちょっと恥ずかしかった。でも、いいんだ。どうせ何も見えていないんだから、気楽にいこう。

身体が熱くなってきたら、最下階にある水風呂に浸かって、大谷石の上で外気浴をした。ひんやりとした大谷石と外気が少しずつ身体を冷ましていって、身体に入った力がどんどん抜けていくのを感じた。

サウナで心も身体も整ったら、薪窯の前でみんなでバーベキュー。たくさん汗をかいていたからか、熱々に焼いたソーセージの味がいつもよりずっとおいしく感じた。

身体を温めて、人と喋って、お腹をいっぱいにする。これ以上に「ご機嫌」になれることって、他にあるのだろうか。そう思うくらい、すべてが満たされていく。

バーベキューをしながら、他の参加者がサウナを楽しめるように薪窯に薪を焚べたり、スチーム用の水を足したりする。自分が満たされながらも、誰かのために働ける元気炉の仕組みは、とても健全に思えた。

偶然、参加者のなかにバイオリンを弾けるメンバーがいて、ととのいながらの生演奏が始まったりもした。

木々のざわめきや鳥のさえずりを包みこんで、反響していくバイオリンの音色に、目を閉じて耳を傾ける。

そうしているうちに、最初は異様な建物に見えていた元気炉が、いつの間にか風景に溶け込み、そして私たち自身もアートの一部になっていくようだった。

今、ここでしかできない体験に、その場にいた全員が思いを馳せている。言葉にはしなくとも、たしかな一体感が生まれる感覚があるのが不思議だった。

元気炉と出会って考えたことがある。自分の機嫌を自分で取ることも大事だけれど、ご機嫌を1人で完結させなきゃいけないのは、やっぱりさみしいかもしれないということだ。

私たちは1人で生きているわけではないのに、ご機嫌を1人で取ることが半ば義務になってしまえば、自分では抜け出せないような負のループに入ってしまったとき、周囲に頼れなくなってしまう。

元気炉は、優しい循環でできている。自然から水やエネルギーを借りて、人々が蒸気を沸かす。

熱された蒸気は、私たちの身体と心を温めて、嫌なことからも悲しいことからも、ちょっと解放してくれる。そして、心の荷を下ろした人々がまた誰かのために、薪を焚べるのだ。

そんな、優しさを受け取り、次の誰かに渡す循環のなかに、「自分の機嫌は自分で取ろう」なんて厳しさはなくて。

たとえ1人で負のループにハマってしまったとしても、元気炉に訪れれば、きっとみんなで生み出した優しい循環のなかに入れる。

ちょっとギスギスした自分から、心地いい自分の在り方を思い出すことができる。それって、けっこうすごいことだと思うのだ。

参加者全員で集合写真を撮った。

最近、「社会的共通資本×エネルギー」をテーマにした勉強会に参加した際、「ゆたかさとは余剰」であるという話を聞いた。

余剰がなければ、人に与えることはできない。それは、CQがテーマにしている気候変動においても言えることだと思う。

自分がご機嫌でもないのに、環境のことなんて考えていられない。まずは、誰もがご機嫌でいられることが大事なのかも。

けれど、そんな余剰も自分1人じゃ作れないときだってある。なら、どうするのか。

ご機嫌が循環している場所に赴いたり、ご機嫌が余っている人から分けてもらえばいいんじゃないだろうか。元気炉は、そんな大切な余剰を分けてもらえる場所なのだと思った。

ここは元気炉。私とあなたが、一緒にご機嫌になれる場所。自分自身の心地よさに向き合えば、在りたい自分に出会い直せる。

(取材・執筆=目次ほたる(@kosyo0821)/編集=いしかわゆき(@milkprincess17)/(撮影=深谷亮介(@nrmshr)、ツアー参加者提供)

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