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記事『「コトリバコ」に存在する人々の心理』+感想『樹海村』

タイトルからわかるように、レポートとして提出したものを投稿します。
がそのまえに!『樹海村』を見てきたんですよ。より詳しい感想はまた別であげれたら、と思うのですが、その前に少しお話させてください。
『樹海村』の主軸は、
富士樹海
コトリバコ
樹木信仰
の3つなのです。
樹海と樹木が近いのはわかるけれど、ここにおいての樹海は«自殺の名所»としての樹海だと思っていました。そして、樹海村という都市伝説としての樹海。こちらは、地図にない村、自殺者が集まる村とかそういう怪異ですね。前作犬鳴村と近い存在です。
そこに、西洋的な樹木信仰が出てきました。ラストは樹木信仰として素晴らしいのでは?映像としてよかった。『スレンダーマン』との類似性を感じましたね。
日本にも古来から樹木信仰というものはありましたが、今回の描かれ方ではキリスト教などの影響というかやっぱり西洋的考えが感じられました。いや、もちろん日本的な文化でもあったんですけどね!こうやって、西洋と東洋は混じりあって後世に伝えられていくのだろうな。これは樹木信仰の融合点だったのかもしれない。なんて思いながら見ていました。
そして、コトリバコ。ほほーん、描き方が面白い。実に不気味で、コトリバコでした。いや、コトリバコではないのです。ハコ。ハコです。なので、この後に書く本文で書いた説明とは違うものとなっています。そのせいで、呪いの基準がわからなくなっているな?とも思いましたが、まあ、呪いってそんなもんだよねっ!
ジャパニーズホラーとしてはなかなかなものだったと思います。正直怖くない。私は終始ニタニタしながら見ました。
コトリバコか。出会ったら嫌だなぁ。
ということで、本題にどうぞ!

【フォークロアの講義でのレポート】
 都市伝説(噂話)から任意に一つ選び、内容を紹介するとともに、その背後に隠されている人々の心理を明らかにしろ。
 400文字~2000文字。

『コトリバコ』に存在する人々の心理

 『コトリバコ』について述べる。島根県に伝わる、木が複雑に組み合わさってできた二十センチ四方ほどの大きさの木箱であり、本来「子取り箱」と書くものである。これは呪具であり、この箱が近くにあると女と子どもの内臓が引きちぎれて死ぬという。

これは、1860年代後半から80年代ごろ、酷い差別と迫害を受けていた部落があり、そこにある戦で落ち伸びてきた男をさらなる迫害を恐れたため殺そうとしたところ、男が命の代わりにこの呪具の作り方を教えたことから始まる。

作り方は、複雑に合わさった箱を作りその中に雌の家畜の血で満たし一週間置く。その血が乾ききらないうちに蓋をし、その部落で間引かれた子どもの体の一部を入れる。これは、生後間もない子はへその緒と人差し指の第一関節を、七歳までの子は人差し指の先とはらわたを絞った血を、などと言ったように年齢によって部位が異なる。この時犠牲になった子どもの数によってイッポウ、ニホウ、サンポウなどと名前が変わり、強い力を持つ。八人が最大で最も強く、八人以上は作ってはいけないと男は言った。沢山作ったコトリバコ自分たちを迫害した村に送り、沢山の被害者が出たとされる。この時この部落は、周辺の地域に一切かかわらないという約束をさせ、破った場合はまた呪いを振りまくと言った。

 その後、その呪いの強さを持て余し、処分するために神主との相談後、長い時間をかけて持ち回りで箱を管理し呪いを薄めてから神社で処理をすることにしたという。

この話の根底にある人々の心理はいろんな見方が出来る。

まず初めにネットの都市伝説として見た場合について述べる。迫害されてきた被差別集落の人々の恨みの気持ち、差別によって募る苦しみを晴らすための道具としてコトリバコはあり、ネットの人々はどちらかといえば差別にあってきた人が多い(いじめ、オタクなど)ため、共感したのだろう。

また、部落においての差別というセンシティブな話、そのグロさを垣間見ることが出来るため人気があったのだろう。過去の話として、しかし、未だに続いているかもしれないというどこかの話、というように少し現実味があり、けれど非人道的な世界を感じることが出来、

好奇心を満たしたのだろう。

その上、コトリバコの制作方法や呪いによる死に方などが実にグロテスクであり、自分たちでは考えつかないような非道なむごさが表現されているため、一種の加虐嗜好を満たすものとなっている。

そして、そのような残酷なことをやってのけてしまうという人間の残酷さを見ることが出来、「人間が一番怖い」という人々が心理で感じていることを結論として言えるという喜びがあるのではないか。

ここに差別はいけないのだ、という教訓を見出すこともできる。しかし、ネット上の都市伝説としてはそこの教訓性は薄れて、どちらかといえば恐怖と差別を受けた人々の恨みのほうにフォーカスがあてられていて、弱者も力を持ってやり返したいと思っている部分に共感していると見える。

ネットで語る話ではなく、民話として見た場合は差別の恐ろしさを伝えるために語られていると思うと同時に、より差別を深めようとしている節があるように感じる。あの地域はコトリバコという恐ろしいものを持っている、という元部落を差別する意図が感じられる。やはり、現代になって部落が解消されても元部落であるというレッテルは人々の心からは消えることがなく部落地域に対する恐怖感は残っていた。しかし、部落差別はダメだという風潮があるため「元部落だから怖い」と言えないため「コトリバコってのを持ってるんだよ、だから怖いね、関わったらだめだね」と恐怖を持つことを正当化したいという心理があるのではないか。

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