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ショートショート23 「残業、のち…」

オフィスで一人。もう慣れっこのつもりだったが、こう連日続くと嫌気が差してくる。

32歳で独身。中堅どころに位置する俺は、付きっきりで面倒を見る必要もないし、帰宅が遅くなろうと迷惑を被る家族もいない。

つまり、残業を押し付けるのにうってつけというわけだ。

さっさと帰宅してしまった先輩・上司の顔を思い出し、ほんの少しだがイライラがこみ上げてくる。それを飲み下すかのように3分の1ほど残っていた缶コーヒーを喉に流し込んだ。

プルルルルッ

オフィスの静寂を切り裂いて、けたたましく電話が鳴った。こんな夜中に電話がかかってくることなどまずないから、頭の中で鳥に暴れられたみたいに驚いた。

相手の非常識さに声が怒気を孕みそうになるのを抑えながら、俺は受話器を取った。

「お電話ありがとうございます。○○商事でございます。」

「私、、、、さん。今、3丁目の交差点にいるの。」

イタズラ電話か? 電波が悪いのか、一部聞き取れなかった。

「はい?」

と聞き返すと電話は切れた。やっぱりイタズラ電話か。どこぞの学生あたりの悪ノリだろうか。勘弁してほしい。こっちはさっさと仕事を終わらせて帰りたいのに。

受話器を置いて、ハァァ とため息をつくと再び電話がなった。

「お電話ありが…」

「私、、、、さん。今、2丁目の自動販売機の前を通りすぎたの。」

さっき3丁目にいて、今2丁目? このビルは1丁目だから…近づいてきている。俺は途端にうなじのあたりに寒気を感じた。

「あんた一体なんなんだ!」

受話器に向かって怒鳴った、が、電話はすでに切れていた。

わけが分からなかった。残業を押し付けられただけでも参っているのに。こんな貧乏くじってアリかよ。

パニックを起こす俺を嘲笑うかのように、3度目の電話が鳴った。

「私、、、、、さん。ここ、どこぉ?」

涙声の電話が切れた。

このビル一帯…つまり一丁目界隈は、同じ工務店がビルの施工を担当していて、効率化のためか同じ規格で建設されたため、見た目がそっくりなビルが立ち並んでおり、目的地が非常に分かりづらい。取引先の営業担当が変わる度、打ち合わせ時間に遅れるのだが、電話してみると隣のビルに入っていた、ということがザラにある。まぁ、これで不気味なイタズラ電話に付き合わされなくて済む、とデスクに戻ろうとした時、4度目の電話が鳴る。

「私、、、、、さん。うぅ、ヒック。」

完全に泣いていた…。薄気味悪さは消え去り、なんだか可哀想になった俺は、電話の主を迎えに行ってあげることにした。

これに懲りたらこんなイタズラもうするなよ、と説教をかましてやる意気込みで。

「周りに何が見える?」

と聞くと

「うぅ、お蕎麦屋さんの看板…。」

もうすぐ近くまで来ていたのか。”今から行くから”と告げ、上着を羽織ると俺はオフィスを出た。

程なく、すっかり人通りの無くなった路地に横たわって、泣きべそをかいている女性の姿が目に入った。

「あんなイタズラ電話をかけてきてたのは、キミ?」

ぶっきらぼうに声をかける。振り返った女性の顔に、俺は息を飲んだ。

ゆるくウェーブのかかった金髪に、透き通るような白い肌。フリルのついた洋服を着こなす姿は、フランス人形に生命が与えられたかのような可憐さだった。

手に赤黒い液体がベットリついた包丁を握っていたのが、気にならなかったと言えば嘘になる。が、俺は、そんな事実以上に、彼女の美しさに心を奪われてしまったのだ。

「あの…こんなこと言うのも変なんだけど、名前。聞いてもいいかな?」

「私…メリーさん。」

「今度は、俺から電話しても…いいかな?」

「…うん。」


こうして、俺の恋が始まった。


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