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世界と存在と認識

人の生きている世界は驚くほど狭い。
世界は意外に広いという言い方もするが、
それは世界の中の存在の認識の仕方によるものだ。

日頃から見ている、あるいは感じている世界が
どのようなものかで、その違いは生まれる。
つまり基準となる存在の大きさが規定されるわけだ。

日常の生活ではさほどその差は気にならない。
しかし、ものの見方、思想、考え方には
大きな影響を受けているものである。

子どもの頃から本を読み、空想を巡らしていた
経験を持っていた人と、自分が触れて
感じられる世界のみしか認識しない人。

星を見たり、広い山野や田園を体感している人と、
学校や職場と移動手段の中だけの世界の人は
自ずと世界観が違う。

どちらがいいとか悪いとかの話ではない。
世界の認識と存在の認識の差異が育ってきた
中で形成されているという話だ。

人の精神性はいくつもの階層で構成されている
とするならば、その中心核に自我があり、
そこから幾層もの世界が覆うようなものだ。

自我はその階層に守られているとも言えるし、
そこを通り抜けて外界に出るため、
ものの見方や思想が変わっていく。

そこで自分が生まれてきた世界の中で、幸せを
どう感じるかといえば、自分の世界の広さと
関係してくるのではないかと思う。

社会での立場や役割をどう捉えるかにおいても
その差異は大きな意味を持ってくる。
社会は自分以外の人との関わり抜きでは成り立たない。

しがらみに縛られ続けていては本当の幸せを
得ることも与えることも手助けすることもできない。
そのことにもっと人は敏感であってもいいと思う。


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