言葉が変われば現実世界が変わるーあなたの人生の困りごとは、言葉ひとつの使いようで解消していく

最近、ラジオで良く聞くフレーズ

新しい自分に今会いに行こう
勇気がなかったら後回しにしよう
勇気を探しに今歩き出そう

曲の歌詞の一部なのですがね。

これを聞いた時、なんともにやりとした。

この人もやるなあ、なかなか詐欺師だな、と(笑)
良い意味でね。

セラピストは、ある意味、時として詐欺師、ペテン師です。
というのも、言葉の使い方を巧みに心得ているから。

そして、同時に、潜在意識と対話するとき、私の潜在意識でクライアントの潜在意識とは真実の対話をしていても、それと同時に、「顕在意識」にはそれに至るまでに必要な段階があります。

潜在意識には時間の概念も要領の概念もありませんから、すべてが今ここ、にあるのですが、顕在意識はその時その時に処理することができる情報処理量は例えば宇宙全体の総量に比べて地球の中のひとつの海岸の中の砂のたった一粒ほどに小さく、少ないです。

そして、言葉というのは(顕在意識も言葉でできている、ともいえるのですが)、その言葉によってその人の事実を作り出すと同時に、言葉というものは物事の本当に僅かな僅かな一面しか表しません。
少し驚きのことを共有します。例えばあなたは、誰かと会話するとき、実はほとんど言葉で会話していると思っています。しかし、これは、あなたが「言葉を受け取り言葉でやり取りしているつもり(それこそ言語による意識、潜在的認識)」というだけで、実はあなたの身体はその時も縁の下の力持ちでフル稼働してくれていて、実はあなたが目の前のひととコミュニケーションできるのは、実は言葉だけではないのです。寧ろあなたにいつの間にか伝わっていたり相手にあなたが伝えたいことが伝わるのは、実はその中で言葉が担うのは、それこそ海岸の砂粒ひとつぶくらいなのです。(しかし、同時にコミュニケーションのリーダー的要素でもあるので、役割としては一部であってもこれも本当にしっかりしないと、他の要素もあわせて全部伝わらないことになるのですけれどね。)

セラピストがやることは、実は、その「言葉」の性質を巧みに使い、クライアントさんの心の中にあること、それでいながら「この言葉(ごく一部分)でしか表現しないぞ、この言葉で表現できる角度でしか見ないぞっっ」とやってしまっているのを、つまりクライアントさんの持っているものそのものを、もう少し色々な言葉で表現できるのだよというところをクライアントさん自身が気付くように寄り添い、繋げ、例えばクライアントさんの心の中には実は大きな大きな器の中にパイのかけらやらクリームやらチョコレートアイスやらバニラアイス、いちごクリーム、その上にはサクランボやいちごやメロンがたくさん載っているような美しく甘いものがある、
しかし、クライアントさん自身が実は、視野が狭くなっていてそのごくごく一部、例えば「真っ白な部分」しか見えていない。
そしてだからこそ、「自分は真っ白で何もないんだ。白くて脳なしで馬鹿なんだ、無能なんだ。だからみんなにも馬鹿にされるんだ」などと思って自分でも自分を馬鹿にし周りにも馬鹿にされる存在だと思い込んでいる。
しかしそれは、実はバニラアイスの一部分。実はそれ自体もみんなに愛されるものであり、決して白紙でも何もないから白いわけでもないのだ。
セラピストはまずクライアントさんがそこに気付いていくことができるように、仕向け、いろいろな言葉を仕組みます。
そしてそれがバニラアイスだと気付くと、今度は今度でこれまた自分を「自分はバニラアイスだー、バニラアイスなんだー!」と猪突猛進に思い込み始めますが、実はそれもごくごく一部だし、一角度のみ。少し角度を変えてみると裏から見ればチョコレートアイスだったり、更に角度や距離感を自由自在に見たり表現できるようになっていけば、そのうち実は自分がものすごく大きく中身もたっぷりでカラフルなフルーツパフェであると気付くようになるのです。

ただ、自分を何もない真っ白だと思い込んでいるクライアントさんご自身にいきなり「あなたは大きく立派なフルーツパフェだよ(を持っているよ)」と言ったところで、絶対に意地でも信じようとはしません。(ちなみに言えば、それを信じることをしてはいけない、という、つまり自分自身を自分自身で見ない、知りたくない、その理由があるから。そこに問題のプログラムがあるからです)

だから、本当は非常にカラフルで鮮やかであっても、クライアントさん自身が意固地になって「自分がカラフル」を拒絶してしまってはそこに行きつけなくなってしまいます。
だからセラピストという職種の人は、本当は「カラフル」であっても、クライアントご自身がその気付きに自分で辿り着くためなら、その道を行かせるためならば、「現段階」では、クライアントさんの受け止められる言葉、クライアントさんの知っている語彙で、黒とでも白とでも、その時に合わせてなんでもいいます。いわば言葉の上では、そして傍から見れば嘘八百(笑)

私は、クライアントさんに起こっているまったく同じ理屈や現象や症状を説明するために、午前中のクライアントさんに例えば白と説明したことでも、午後のクライアントさんには実はまったく同じもの・ことを説明しているのに、いけしゃあしゃあと「黒」と言います。
「そのクライアントさん」に伝わる言葉でなければ、何を説明したところで伝わりはしないし、そのクライアントさんが例え同じ山頂(ところ)に行くためであっても、その本人の行き方に合わせ、その本人が今後気付いていく道に沿わねば、意味がないからです。同じ山頂に向かっているはずが、クライアントさん自身が自分から進めないようになってしまいかねません。

そんなわけで、私はセラピストは、まさにペテン師だと思っています。
そのクライアントさんが楽しむことができる(自分の人生の扉を開く)ためなら、どんなパフォーマンスでもします。どんなことでも思い込ませます。


…そんな中で、最近ラジオから聞こえてくるこの記事の冒頭の歌詞の曲。

新しい自分、というもの自体も、実は今ここにすでにいるものだけれども…
勇気がないと思ったら(今の自分は勇気のない自分だと思いたい、位置付けているなら)、後回しにしよう。
「新しい自分に今会いに行く」を、後回しにしてもいいんだよ、と言っているわけですね。

では、勇気を探しに今歩き出そう。

…ね(笑)
勇気を探しに今歩き出したら、それは既に、新しい自分に会いに行くことができています。
ただ、「新しい自分に会いに行く」という言い方では認めたくない自分、を、認めてあげただけ。
That's right.
それで良いのだよ。

どうやったって、例えどんな言葉で表現したかったって、あなたは人生の山頂へ向かって、素晴らしい景色の見える山のいただきへ向かって、登っています。


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