成功?失敗?つける判断ラベルは実はあなたの自由

あなたがどこかで失敗したことがあるからといって、恐れてはなりません。―エドガー・ケイシー


あなたは、今までに何か「失敗をした」ことは、あると感じますか?

もちろん、人生の中で「失敗」はつきものです。
言い換えるなら、「失敗」を、体験しても良いでしょう。
なぜなら、失敗というものを知らない人生は、人生の中のあなたの辞書が歯抜けになるように、不完全なものになるから。

更に言い換えます。
「失敗だ」と思う「体験」は、いくらしても良いのです。

しかし、
「絶対値」において、「失敗」というものは、失敗というものそれ自体、ありません。

先程も言いましたよね。「失敗だ、と感じる体験」自体はしなければ、人生が成功しない、人生が不完全なものとなり、いわば人生自体が失敗となるからです(敢えて失敗というあなたにとって耳馴染む言葉を使って表現するならば)。

しかし、例えば表面的に見て。
自転車に乗っていて転んだ、としますね。
「あなたがあなたの人生の中で、自転車に乗っていて転ぶ」という体験をした。
それが、絶対値として失敗か成功か、誰が決めました?
いや、もし誰かが決めたにしてもね。同じ土俵の中で違う人生を生きている人間がそれ(表面的に見て「自転車に乗っていて転ぶという体験」)に成功とか失敗とかいう名前をつけたところで、”あなたの”人生の体験をこれはああだこうだと判断し割り振りラベルを付ける権利があるほど、よっぽど権威のある人なのですか?
いや、あなたはそんな別に歴史の大偉人でもないその辺の有象無象が、「お前のそれは成功だ、失敗だ」と言ったものを「絶対値」と思い込み逐一全部従わねばならないほど、世の中でそんなにひとりだけ位の低い人間なのですか?

…いや、ではあなたがもしそこまで位の低い人間なのなら、きっと私のこの記事で言っていることにも従わねばならなくなるのではないですか。

「失敗」というものは、ありません。
それを「概念化」して、「体験」したい人間がいるだけです。

確かに、「失敗」という概念に当て嵌めて人生の中で「体験」だけはしておいた方が良いかもしれません。でないと、自分の中の羞恥心や内省の力を育てることができず、傲慢で自己中心的な人間に育ってしまうから。

けれど、それを「成功」か「失敗」か、決めるのは、あなた自身でしかないのです。または、そのどちらのラベルもつけず、事実を事実のままとらえる、という選択肢もあります。
あなただけの特権、あなただけの自由です。

エジソンは、本当にこう言ったのか逸話か知りませんが、
「私は一度も失敗をしたことがない。電球がつかない方法を2万通り発見したのだ」と豪語したそうです。
しかし、その通りですよね。
それほどに電球がつかない方法を発見してくれなければ、今の時代でも、電球がついたりつかなかったり、ものすごく不安定な世の中であったかもしれません。
そして、エジソン自身もだからこそ、確実に電球が点く方法を研究できるわけです。最初から点いてしまったら、研究のしようがありません。

人生、何でもかんでもすぐさま「できて」しまったら、あなたは自由どころか、人生で自分が本当に何をしたいか、どの道に進みたいか、逆に選びようがなくなってしまいます。これも以前の記事で取り上げたことがありますが、「失敗する自由」があるからこそ、人生は自由なのです。これを奪われてしまったら、失敗という文字が欠如した、つまり「不自由」な人生となってしまうのです。
しかしその上でも、「失敗・成功・別にどっちでもないただ事実」のどのラベルをつけるかは、あなた次第なのですよ。

たまには失敗する体験もしておいた方が人生豊かになりますが、だからといってすべてに「失敗」のラベルを貼りまくる必要はないわけです。

自転車で転ばなければ、転んだ時にどう立ち上がっていいのか、自転車が倒れたときにどの部分がどう傾くのか、起こす時どうすればいいのか、壊れるとしたらどこがどう壊れそれはどう直せば良いのか、何一つわからず、結局自転車を扱うことはできない人になってしまいます。


それでも、「いや、この失敗は”絶対値”だ!これ(もしくは私の例えの方)は例外だろう?!」と思うひと、
「別に全部に失敗というラベルを貼りたいわけではない。けれど、なぜか失敗だと思ってしまう/失敗だと思わねばならない、失敗のラベルを貼り付けなさいという声が聞こえてくるような感覚がある」というひと、
逆に「失敗体験がなくて困っている」ひと、

あなたの生きづらさ解消、私で良ければ、お手伝いいたします。
たかが「ラベル」の問題ではないのです。そういう当たり前に転がっているのではないかくらいに思ってしまいかねない「生きづらさ」こそが、気が付いたら、水面下で大きな生きづらさや心身の疾患を育ててしまっていたり、交流分析的な言い方をすればご自身の人生を不利に不利に持っていって自己実現どころか坂道を加速して転がっていくようなプログラムを、いつの間にかいつの間にか強化してしまうかもしれません。
日本では、何か深刻な事態にでもならなければ利用するものではないかのような流行りがありますが、本来、心理療法というものはこういうことにアプローチして「生きやすさ」をお手伝いし加速させるために利用するものなのですよ。


今回も記事にしたような、その「成功・失敗」「善・悪」など、いつの間にかついつい二元化して振り分けてしまい、自分の人生を生きやすくしたり生きづらくしたりする仕組み、ラベルのつけかた、はずし方、つけかえかた…などの真髄を学び、まずは自分を癒したいかた、そして自分が癒されることで周りもどんどん癒されていく、輪が広がってゆく…
そんな体験をしてみたいかたは、こちらでぜひ一度、私とお話しにきてみてください。


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