オホーツクに誘われて。
かつて付き合っていたある女の子は「お腹が空いたときは、食べたいものを画像検索して気を紛らわせるの」と言っていて、そんなことしたら余計お腹空いちゃうじゃん、と笑っていたのだけど、数年後思いもよらぬ形でそれに納得することになる。
村上春樹『遠い太鼓』『雨天炎天』『ラオスに一体何があるというんですか?』、東京するめクラブ『地球のはぐれ方』、池澤夏樹『ハワイイ紀行』、沢木耕太郎『深夜特急』シリーズ、角田光代『いつも旅のなか』、吉村昭『七十五回目の長崎行き』『味を追う旅』、金子光晴『マレー蘭印紀行』・・・、果てはマルコ・ポーロ『東方見聞録』に至るまで、気が付いたら、旅行記ばっかり読んでいる。
別に家で時間を過ごすことは苦じゃない性質、というかむしろ楽しんでいると自覚してすらいたので、自分の中の旅への欲求が食欲と同じく代替的行為を求めるほどに根源的なものだったというのは、一つの気付きであり驚きでもあった。
そんな数々の本の中で、心を捕らえられたのがこの一節。
なんてことのない文章だけどなぜかそのイメージが脳に焼き付いてしまって、毎夜繰り返しこの一節を読んでは、ベッドに入って目を瞑ると目の前に流氷の海が現れた。
酷寒の海に漂う流氷、果てしなく続く白の平原、無音の世界…。
そのようにして、ある日気が付くと僕は網走にいました。
…
何かを語るよりもまずは見てもらった方がよいと思うので、とりあえず並べます。
微かに聞こえる滝の音、遠くで鳴いているオジロワシの声、たまに走り過ぎていく車の音…、それ以外は無音の世界。波もなく、したがって完全に静止した氷の海。これが見渡す限り水平線の先までずっと続いているなんて、イメージしていた通りだけど、しかし想像をずっとずっと超えるものでした。
遥か昔からこの光景は毎年繰り返していて、ここにウイルタやアイヌの人々の暮らしがあったことを想像すると、一層感慨深くなります。それは感動的ですらあった…。
× × ×
こうやって書くとすぐにこの光景に出会えたように見えるけど、実は到着したときは全然でした。到着した日から南西の風が吹き始め、しかも引き潮で流氷が沖に流されてしまって全く見えず。ずっと曇っていて、冷たい雨や、時には雪まで降っていたのです。
幸運だったのは、帰る前日の午後から再び北東の風が吹き始めたこと。この風は徐々に強まり、夜の間に再び流氷が戻ってきました(その代わり砕氷船は欠航しちゃったけど)。本当にラッキーだった…。
帰らなきゃいけない時間になってからようやくすっきり晴れてきて若干後ろ髪を引かれたけど、とにかく僅かでも流氷を見られただけで大満足でした。
網走、また来たいと思います。
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