見出し画像

ドバイ万博

2021年10月から3月末に開催された、ドバイ万博のお話。
ちょうど、わたしがドバイに移住した2012年にドバイ開催が決まった。当時は、2020年までドバイに住み続けられると夢にも思っておらず、ドバイ在住で万博を観れた自分に感動した。
ドバイの人と出かける機会の多いわたしは、11月半ばに入り少し涼しくなってから年パスを買い、通うようになった。UAEの人たちは、暑いときは外に出ない。
わたしは、アンチワクチンなので、万博会場に入るには72時間以内のPCR検査が必要だった。

画像1

11月

まず初日、スロバキア伝統料理のカプスニツァKapustnicaというザワークラウトベースのスープの奥深い味が気に入り、三日連続で同じスープを食した。わたしが料理好きなのは以前書いたけど、料理を何度も食べて舌で覚えて再現する。スロバキアでは、豚の背脂や発酵させたソーセージで旨みを引き出すのだろうが、ここはイスラムで豚禁だからそれが出来ないところがシェフの腕の見せ所だ。

画像5


12月

「エキスポなんか」と言っていたイギリスに留学中の娘を呼び寄せた。何かの数でも、匂いでも、ひとつでも娘の刺激になればと願った。
1970年、わたしの父は、二泊で大阪万博に連れて行ってくれた。そのときの一番の見ものはアメリカ館の月の石、動く歩道に乗ったのも覚えているが、そんなことよりニュージーランド館の黄色っぽいラムカレーに感動したのを今も忘れられない。このインパクトが、わたしを海外移住に足を踏み入れるきっかけになったと確信している。

画像3


2月

日中でも暑くなく最高のコンディションというのに、オミクロン種の大流行で万博会場はガラガラ。早期閉幕と囁かれるほどだった。わたしは、腹圧呼吸さえできていれば、日々幸せでもりもり元気。たくさん歩くほど力が湧くし、ワクワクが止まらない。会場は、コロナ対策万全でなんの心配もいらない。

会場内は、とにかく歩くから荷物は少ない方がいい。わたしは、いくら歩いても走っても、たくさん汗をかいても水分補給不要だ。血液が全身を滞りなく巡る骨格なら、栄養と酸素が全身に運ばれる。そう、胎児の骨格と同じだ。
どこへ出かけるにも、お財布と老眼鏡があればどうにかなる。

姿勢の観察

万博には”世界”が存在して、わたしの目の前でマサイの人たちがジャンプしているのだ。アフリカや中米の小さなパビリオンに入ると、その国の鳥の鳴き声や穏やかな景色の映像と伝統的な楽器やリズムの音楽が流れている。骨格の研究者のわたしは、世界中のスタッフとポスターの子どもの笑顔を観察し、骨格の生のデータを脳に貯える。各国のパビリオンの足裏で地面を踏むダンス映像を夢中で見た。パワフルで競う合うように激しかったり、宙を飛ぶようん滑らかだ。改めて、人間は動物なんだと実感した。


小さいパビリオンには、必ずというぐらいカカオにコーヒー、太鼓がある。良質なものは、輸出用だと思うけど、彼らの元気の源は採れたての食べ物と太鼓、その音の響きにゾクゾクするソウルを感じた。その感情とは裏腹に、彼らは、いまだにカカオとコーヒーを作らされて搾取されているのかという怒りに似た感情が湧き上がった。彼らは、どうしてアフリカに生まれたのか?大昔から世界中に移住して、何かを勝ち取ってきたのだろうか。アフリカに行ってみたいと思うけど、感染症が怖いとか、環境はどうかとか敷居が高くて踏み込めずにいる。わたしは、旅行者でなく、生活に入り込むのを楽しみたいからつい慎重になる。


すばらしいステージ

五つのエリアにそれぞれに設けられた小さな野外ステージで繰り広げられる、世界中の音楽、舞踊、たくさんのパフォーマンスが素晴らしかった。開幕当初は、ソロで演奏していたパーカッショニストたちが、多国籍のセッションに発展して行った。追いかけるファンができて、観てる人は踊り出し大歓声だった。弾きたくてうずうずしている演奏家たちが道端のベンチで演奏し、道ゆく人は足を止めて聴き入った。細い路地から微かに聴こえる音に耳をそば立てて探し回る、かくれんぼをする子どものように童心に帰ってその状況を楽しんだ。


「World Duram」というステージで、アフリカのジェンベに顔面パンチを喰らい、スティールドラムの音で、わたしの体はアメーバのようにベロベロになった。わたしは、姿勢を変えてから絶対音感を聴き分けられる。音は、呼吸を止めたり吸いやすくしたりする魔物だ。静脈に、音が入り込み酔っ払いのように膝の力がぬけるのだ。外国の人たちは、わたしと同じ感覚で”音”を体で楽しむ。

ジェンベが動物の足音みたいなリズムを叩くと、そこは大草原のサバンナと化し動物がやってくるように感じるから不思議だ。すっかりジェンベの虜になったわたしは、ジェンベにフォーカスして万博会場のあちこちに散らばった西アフリカのパビリオンだけを回るとフレッシュな気持ちで各国を見ることができる。とはいっても、会場は東京ドーム93個分、東京ディズニランド2個を合わせた広さの20倍にパビリオンが点在しているので1日じゃまわり切れない。ジャンベは、大きさや素材、毛皮が使われたものもある。スタッフに、「あなたは、叩ける?」って声をかけると一緒に叩こうと誘われ、つい長居する。叩き手のセンスで、同じ音がない。ジェンベ繋がりで、どんどんアフリカ友達が増えた。

ガーナパビリオンは、日本語を流暢に話す横浜在住のガーナ人が、ジャンベを叩きみんなが踊って大盛況だった。たまたまガーナナショナルデーに遭遇し、パビリオンに溢れるほどの人が集結して、お掃除のお姉さんたちも唄い踊り、そこはガーナそのものだったのではないか。

192カ国のパビリオンとそれ以外のにもたくさんあるパビリオンを回り切るには、モチベーションが必要だ。各パビリオンのスタンプ集めは、何も心に残らない。多くの日本人は、最新の技術やシステムを目的にしていたためか飽きて行かなくなった。わたしは、姿勢や音の研究という一生のテーマを持っている。体の専門知識は、世界中の誰とでもコミュニュケーションがとれる。そして、世界中の骨格が、一同に確認できるという絶好のチャンスだった。このモチベーションに太鼓が加わったから、わたしには、最高にエキサイティングな万博だった。。太鼓はアフリカのパッションだ!

画像4


GAMBIAさまさま

2月終わり、ガンビアの太鼓をレッスン付きで買い、万博に行くたび2時間ぐらい教わった。ガンビア人は、とても穏やかで紳士的な印象。パビリオン内に設置された円形のベンチ、その前に太鼓がいくつも置かれていて、入ってきた人が自由に太鼓を叩ける。わたしとスタッフが叩いていると、誰もが素通りできずにあっという間に満席で一緒に叩いた。わたしがいると、太鼓が鳴り響くとても楽しいパビリオンになった。


私の息子ぐらいのお兄さんたちと一緒に太鼓を叩けるのと、私がドアを開けるとニコッとして迎え入れてくれる雰囲気が何よりいい。今もスタッフのお兄さんたちから、メッセージが来る。彼らにとって、毎日朝から仕事をするのは初めてだったと思う。しかもそれがドバイだったから、彼らの喪失感は大変なものだ。このままじゃダメ、何か始めなきゃという相談があちこちから後を絶たない。万博は、彼らを奮い立たせたのだ。

ポーランド飯

ガンビアパビリオンから近いポーランド館、「お・も・て・な・し」、日本は世界最高峰のホスピタリティと言われるけど、いやいや、ポーランドはすごい。人はもちろん、ポーランド食器のぽってり感に現れているように料理の味も奥深く温かい。スタッフのお姉さんたちは、私が刺した刺繍マスクをいつも褒めてくださって、今も手作りの素朴さや伝統を大事にしている国民性を感じた。

有名なコニャックフレースの編み手のおばあさんは、毎日わたしを待っていてくれた。コクのある煮込み料理に惚れた。シェフが熱く説明する日替わり料理を、わたしは、毎日のように全種類ワンプレートに盛ってとおねだりした。帰宅すると、舌の記憶をた辿りながら料理を再現し、わたしの料理教室の人気メニューのひとつになった。

画像5



スティールドラムが我が家に

トリニダード・トバゴ発祥のスティールドラムの音は、腰が抜けるほどにとろけた。万博のパーカッショニストのお父さんが、世界中にこのドラムを広めた立役者というから上手なはず。

彼のステージには、何人か追っかけがいて、その音にとろけていた。わたしは、1日三度のステージを全部、聴きに行った日もあった。ある日、わたしが友達を集めるから、わたしたちのために演奏してもらえないかと話しかけた。エキサイティングな場所なら喜んでと言ってくれた。ニューヨーク在住の彼にとって、何がエキサイティングかわからなかったけど、ありったけ言ってみた。住まいは、71階のペントハウスでThe Museum of the Futureの前、刺身はないけどわたしが和食を作るよ。

彼は、エキスポが閉幕した翌日にわたしの部屋で6時間も演奏してくれて、集まった誰もが彼の音に酔いしれた。最後は、彼もわたしたちも涙が溢れていた。一期一会、人生ってこんなものだ。彼に話しかけてよかった、躊躇したら二度とチャンスはない。翌日、彼から、思い出の曲を演奏しながらデビューした頃を思い出して感極まったというメッセージをもらった。お金やものではない、”感情や感覚”を溜めて行くことが生きている証だ。参加費は、全てウクライナの子どもたちに送るチャリティーにした。


万博が閉幕し、心が空っぽになったのはわたしも同じ。仕事で車を走らせて、あちこちに残る道路標識のEXPO2020の黄色い看板を見ると、無意識に行かなきゃっとアクセルを踏み込んでしまう。世界一、万博を楽しんだのは、わたしかもしれない。

万博で、こんなに素晴らしい体験ができるとは予想もしてなかったけど、わたしのドバイ奮闘の10年も同じぐらいエキサイティングだった。ふたつの手だけで、よく生き延びている。これは「軸」があるから。頑固でブレない「軸」、もう少しわたしはドバイで頑張る。

みなさんは、ドバイ万博に来られましたか?

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この記事が参加している募集

#一度は行きたいあの場所

51,597件

#仕事について話そう

109,852件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?