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テラスハウスから人付き合いを学ぶアメリカン

「最近のアメリカの若い子は、テラスハウスを見て日本の人間関係の作り方を学ぶらしいわよ」

最近シアトルに住む方から聞いた話がちょっと意外で個人的に小さな驚きがありました。その記憶がまだ新しい間に最所あさみさんのnoteで下記のような記述が。

それらの番組で印象的なのは、VTRだけではなくスタジオであれこれ意見するMCの存在だ。的確なつっこみと解説は視聴者の理解を深めたり、溜飲を下げたりする効果がある。
海外でのテラスハウス人気は、MCによる日本文化の解説に支えられている部分もあるという。

いや、タイミングすごいな、と思ってこのことについて記しておこうかと思います。

最初のシアトル在住の方から聞いた話は、MCの存在にはそこまで言及していなかったのだけれど、見知らぬ男女がひとつ屋根の下で初めて出会って、人間関係を構築するまでにどういう考え、価値観、行動に出るのか、がアメリカの人にとっては新鮮で勉強になるとの話でした。

特に「空気の読み方」。阿吽の呼吸なんて言葉が日本にはあったりするけれど、あえて言葉で直接的に伝えるのではなく、相手のどういう所作から意図を汲み取り、察するのか。察した上で、それをどう男女なのか、同性同士なのかの駆け引きに利用するのか。が勉強になるのだそう。

異性の前では、相手を分析した上で、ちょっと自分を頼りなく見せよう、とか。それに対して、女性同士の共同部屋でのぶっちゃけトークではそのあざとさについて話していて、男性同士の会話では「あれ、可愛かったよね」みたいに素直に騙されているところとか。

そういう細かいテクニックとか、人の気持ちの揺さぶり方とかが、海外の人から見たら意外と日本人はうまいのかもしれない。

文脈は違うけれど、確かに日本の接客は世界でも質が高いと言われるのも、この「相手の気持ちを汲む力」があるからかもしれない。

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話は変わって、最所あさみさんのnoteの副音声コンテンツについて。

『MCがどんなコメントをしたか』に言及されるようになったのは、バチェラーやテラスハウスをはじめとするここ最近の変化のように感じる。
(中略)
物語そのものから新鮮味を感じることが難しくなり、物語を『どう解釈するか』によって発見の喜びを感じるようになったのではないだろうか。

こういう楽しみ方を視聴者がするようになっているのであれば、「今後副音声がつくことを前提としたコンテンツづくり」が成立するのでは?という話。

例えばYoutuberとしてバチェラーやテラスハウスのコンテンツホルダーと契約すれば、本家の映像を自分のYoutubeで引用しながら解説動画を作ることができ、そこで得た収入の一部をコンテンツホルダーに納める。
その中で人気になった解説番組は本家であるAmazon VideoやNetflixで配信してもよいかもしれない。

と書いており、それを言うなら、最所さんがバチェラーやテラハを見て、なぜウケるのか自分なりの視点で分析して、そうであればこういう展開できるのでは?と意見を述べて、その視点が結構おもしろい。

これ自体が最所さんの言う「副音声コンテンツ(note)」として成立している気がする。なんかグルグル回っていておもしろい。

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ひとつの事象について、自分に無かったアングルや読み取り方を指摘されると、驚きがもたらされる。

昔、「人間のすべての感情はまず『驚き』から始まっている」と指摘するコピーライターの方がいました。人は、泣くときですら、起きた事象に対して驚いてから、泣いている。

これ、自分が今まで味わった感情を思い浮かべながら想像すると、「確かにそうかもしれない」と思ってしまいます。

私もコピーライターですが、CMやWeb動画を作ることが多いので、「どういう事象やストーリーが、人をどういう気持ちにさせることができるのか」ということを日々考えておりまして、この「驚き」という視点がとても大事であることをひしひしと感じます。

そして、この驚きを作るために「自分にはなかった視点」がキーになってきます。

受けて目線でいうと「そんな捉え方あったのか!」「その手があったか!」「自分のまだ言葉にできない感情、想いをうまいこと言葉にしてくれた!」みたいな驚きです。

noteでも文章という形で「うまいこと表現するな〜」という方、数多く見かけます。副音声コンテンツも、MCの解説に新しい示唆があることで、なるほどな〜という喜びに変わっています。

そして、コピーライターは、こういった物事の新しいアングルの見つけ方が腕の見せ所だったりします。むしろ、新しいアングル見つけていないコピーはなかなか機能しないですね。

例えばルミネのコピー。

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試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。

これすごくないですか?
「意識していなかったけど、確かにそうかもー!」って思っちゃいますよね。

あとは2011年の年賀状のコピーで

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「年賀状は、贈り物だと思う。」というキャンペーンがあったのですが、これは年賀状の価値を改めて捉え直そう。実はすごく尊い習慣なのではないか、と再認識させられるものでした。

出す年賀状の数は、
僕を支える人の数です。
アドレスより、
住所をしったほうが、
近くなれた気がする。
手書きの文字が多いと、
大切にされてる
気がする。
年賀状を書いて、
上司の下の名前を
知った。

年賀状って、年賀状だからこそ訪れる瞬間を提供してくれているな。その瞬間が、人間関係や、自分を改めて客観視する機会を与えてくれているな。

意識はしていなかったけれど、そこに気づきを与えてくれる。
それができることが、コピーライターの醍醐味なのではと思います。

なんだか、noteのタイトルからはどんどん話が逸れて、だからコピーライターってすごいんだよ?みたいな職種自慢みたいな結論になってしまいましたが、コピーライターが好きすぎて、ついその魅力をどうにか伝えたいと思ってしまうだけなんです。どうかご容赦ください。

もうすぐ日本は年賀状の季節ですね。

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