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私の昭和歌謡

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昭和は遠くなりにけり(おばあちゃんがいつも「明治は遠くなりにけり」って言ってたっけ)私も歳をとったもんだ。 でも、昭和歌謡を聞けば、そこに私の青春がよみがえるの。 だから、昭和人… もっと読む
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2023年7月の記事一覧

私の昭和歌謡10 これが青春だ

私の昭和歌謡10 これが青春だ

青春の思い出は今懐かしい歌のメロディー言葉の中に

元気が出る。前向きな気持ちになる。明るく過ごしたくなる。

多くの人が同じように感じる流行歌は、今はない。

オシャレだわ。ひとりぼっちじゃないと思えた。感動して涙が出た。

個人的な感想はあっても、その歌を数人で歌ってしまうような流行歌は、今はあまりないだろう。

Radwimpsや米津玄師やYOASOBIやAdoなんかの歌を同級生で共有して、

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私の昭和歌謡9 アカシアの雨がやむとき 

私の昭和歌謡9 アカシアの雨がやむとき 

失恋の歌のその子のその先ははたして悲劇?それとも喜劇?

「アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい」

この歌を、西田佐知子は21歳で歌った。

アカシアの雨って、どんな雨なんだろう?
この主人公は死んでしまったのか?
それとも思っただけで、新しい道を歩み始めたのか?

だって、嫌がらせみたいじゃない。

「冷たくなった私を見つけてあのひとは涙を流してくれるでしょうか」

友人の結論は「

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私の昭和歌謡8 高校三年生 

私の昭和歌謡8 高校三年生 

亡き叔父がポスター貼るほど大ファンの舟木一夫の60周年

叔母の結婚相手は根っからの昭和男児である。11年前に亡くなった。

大分別府の生まれだけど、お国訛りは聞いたことがない。めちゃめちゃ筋を通す。めちゃめちゃエロいww

そんな叔父が好きな歌手が舟木一夫。

それは泊まりに行った時、舟木一夫のポスターが貼ってあるのを見つけて知ることになった。笑顔のポスターが、なんか、そこだけ照明が当たったかの

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私の昭和歌謡7 王将

私の昭和歌謡7 王将

敗戦を乗り切る意気地歌に込めなにがなんでも勝たねばならぬ

♪ 吹けば飛ぶよな 将棋の駒に ♪

演歌の嫌いだった小学生の私でさえ、思わず口ずさんでいた「王将」

王将と検索すると、悲しいかな曲でなくギョーザ屋が画面を埋める。

ギョーザの方も美味しいが、今日は昭和演歌の「王将」です。

作曲は「矢切の渡し」の船村徹さん。

船村さんの演歌は、日本の言葉を大切にした節回しだし、歌い手がどうにでも

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私の昭和歌謡6 恋のフーガ

私の昭和歌謡6 恋のフーガ

イントロの奇抜斬新才能に驚きながら聞き直す令和(いま)

ふたたび、ザ・ピーナッツ。「恋するフーガ」のイントロ。

作詞なかにし礼、作曲すぎやまこういち、編曲宮川泰。この編曲が当時も斬新だったけれど、今聞くとさらに驚く。

ティンパニなんですよ!1967年の歌謡曲にティンパニ。

小学生の私は、思わず「このボコボコって音、何?何?」と家族に聞いた。でも、誰も知らなかったww

しばらくして、中学校

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私の昭和歌謡5 浪花節だよ人生は 

私の昭和歌謡5 浪花節だよ人生は 

アメリカのジャスポップスの全盛期そんな昭和に息づく演歌

私は子どもの頃、演歌は好きじゃなかった。

だから、こまどり姉妹はほとんど知らなかった。1984年に「浪花節だよ人生は」が、複数の歌手で売り出されたときに、あらためて、こまどり姉妹を知った。

だから、私が知っているこまどり姉妹は、三味線を肩から下げて歌う、可憐な双子姉妹のデュオじゃなく、けっこうなオバサンだった。

そして、今なお、こまど

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私の昭和歌謡4 恋のバカンス 

私の昭和歌謡4 恋のバカンス 

新しいハモりを聴いて感動しひとりデュエット恋のバカンス

昭和歌謡といえば、ザ・ピーナッツ。

日曜日の夕方6時半から30分。私の大好きな歌番組が始まる。

オープニング曲は、もちろんピーナッツ。
 ♪ シャボンだま ルルル・・ シャボンだま ラララ・・ 

そして、次の ♪ ロマンティックな夢ね ♪ からハモるんだ。そのデュエットはこのうえなくマイルド。一人の口から二つのメロディーが出ているかの

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私の昭和歌謡3 東京五輪音頭 

私の昭和歌謡3 東京五輪音頭 

最近はLGBT騒動で女子は虚しいスポーツ界

昭和は長かった。だから私の昭和人の区分は、1964東京五輪を見たことがあるか、ないかで分ける。もちろん見ている人は、格上の昭和人となる。

えへん。私は格上の昭和人であるぞ!

私は東京五輪を2回観た(ちょっと威張ってます)。

1回目は1964年、昭和39年。

昭和15年に開催権を返上し、大戦終結後昭和29年に立候補。でも、ローマになってしまった。

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私の昭和歌謡2 上を向いて歩こう

私の昭和歌謡2 上を向いて歩こう

上向いて歩いていてもだいじょうぶ。昭和の道はまっすぐの道

主人は最近、自分の人生から昭和の音楽を一掃した。なぜなら、作詞の永六輔が大嫌いだからだ。上を向いて唾を吐く団塊の世代が大嫌いだという。

ま、私は昭和のプロ作詞・作曲家の曲は大好きだし、それとこれとは別。私の思い出は消せない。ふん

空前のヒット曲「上を向いて歩こう」は、どうしてアメリカのヒットチャート1位になったんだろう。
四七抜き音階

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私の昭和歌謡1 骨まで愛して 1966

私の昭和歌謡1 骨まで愛して 1966

町内の敬老会のカラオケで骨まで愛した長老の歌

昭和は遠くなりにけり(おばあちゃんがいつも「明治は遠くなりにけり」って言ってたっけ)私も歳をとったもんだ。

でも、昭和歌謡を聞けば、そこに私の青春がよみがえるの。

だから、昭和人の歌謡曲にまつわる思い出として一曲ずつ紹介していきます。

私が十歳の時、大ヒットした曲。「骨まで愛して」

東京五輪が昭和39年。この五輪を知っているかいないかで、ちょ

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