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私の昭和歌謡9 アカシアの雨がやむとき
失恋の歌のその子のその先ははたして悲劇?それとも喜劇?
「アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい」
この歌を、西田佐知子は21歳で歌った。
アカシアの雨って、どんな雨なんだろう?
この主人公は死んでしまったのか?
それとも思っただけで、新しい道を歩み始めたのか?
だって、嫌がらせみたいじゃない。
「冷たくなった私を見つけてあのひとは涙を流してくれるでしょうか」
友人の結論は「死んでしまったんだろう」だったが、私は納得できない。
未練があるなら変身すればいいのだ。整形したっていい。キャリアを積んで自立したっていい。くよくよするなよ。
私は失恋の歌より「コーヒールンバ」のほうが数倍気に入っていた。
この歌から20年ほどした昭和の終わりに松田聖子が登場した。
「瞳はダイアモンド」聖子ちゃん21歳のときの歌。
作詞松本隆、作曲松任谷由美、編曲は松任谷正隆だ。
「愛してたって言わないで」
この言葉から始まるのはすごい。
これは心の中で思ったのか?
それとも最後に相手に呟いたのか?
「映画色の街 美しい日々が 切れ切れに映る」
アカシアの雨もそうだけど、映画色の街って、どんな街なんだろう?
まぁいい。私はセピア色の過去の思い出だと思っている。
詩人はいろいろな言葉で訴えかけるものだ。
この歌の最後は
「私はもっと強いはずよ でもあふれて止まらぬ涙はダイアモンド」
だいじょうぶだ。この子はきっと、この失恋を糧に生きていける。
そして昭和が終えた。
20世紀最後にとんでもない女性ヴォーカルが登場した。それが藤圭子の娘、宇多田ヒカルだった。
「新宿の女」は藤圭子18歳。「First Love」は宇多田ヒカル16歳。
母娘どちらも若くて歌唱力がある期待に満ちたスタートだ。母はなんの苦労もなく上手い。娘は技巧派だ。
「First Love」作詞作曲は宇多田ヒカル本人。
この歌は高低音が出て、発声を駆使しないと、ただのつまらない童謡にしか聞こえない。
これは明らかにアメリカンポップスである。
このやろう!サビが英語なのだ。1999年、日本の歌謡曲は英語のサビを受け入れることになった。
「いつかまた誰かと恋に落ちても」
「今はまだ悲しいlove song 新しい歌 歌えるまで」
この失恋は始まりで、この子はきっと恋多き人生を生きていくんだ。
宇多田ヒカルも、もう40歳だ。
失恋の歌謡曲。令和はJ-POPと呼ぶんだろうか。今どんな曲が流行っているか知らない。私の理解の範囲内は、藤圭子の娘ぐらいまでだ。
【参考資料】
昭和歌謡中期 1960年 西田佐知子21歳
昭和歌謡後期 1983年 松田聖子21歳
平成J-POP 1999年 宇多田ヒカル16歳
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