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私の昭和歌謡7 王将

敗戦を乗り切る意気地歌に込めなにがなんでも勝たねばならぬ


♪ 吹けば飛ぶよな 将棋の駒に ♪ 

演歌の嫌いだった小学生の私でさえ、思わず口ずさんでいた「王将」

王将と検索すると、悲しいかな曲でなくギョーザ屋が画面を埋める。

ギョーザの方も美味しいが、今日は昭和演歌の「王将」です。

作曲は「矢切の渡し」の船村徹さん。

船村さんの演歌は、日本の言葉を大切にした節回しだし、歌い手がどうにでも表現できる余地を残してあるところがすごい。

最初の♪ 吹けば ♪ だけでも「ふーけーばー」でも「ふーけーーば」でもヘンじゃあないし、自分の作ったメロディーを歌手がどう歌うかで、その歌手を評価することができる。

船村さんは、きっとそれを楽しんでいたに違いない。

村田英雄だけでなく、細川たかしが高音を響かせて楽々と、美空ひばりが七色の声で、そして藤圭子が純朴に歌っている。

作詞は、西條八十。歌謡曲だけでも「東京行進曲」「青い山脈」「蘇州夜曲」を作詞している。もちろん私は全部歌えます。

私が知る西条八十は、やっぱり童謡だ。「かなりや」は、母が子守唄がわりに歌ってくれた。

それがね、ひどい歌詞なのww

歌を忘れたカナリヤを、まず、捨てようか、と歌う。次に埋めようか。

ひょえーー。次はぶちましょか、と歌う。動物虐待じゃん。

ところが、最後に・・・

「象牙の船に銀の櫂、月夜の海に浮かべれば、忘れた歌を思い出す」って終えて、やっと安心して眠る、恐ろしい子守唄だった(笑)

今の人は知らないだろうね。「かなりや」なんか。

じゃ、「ぼくの帽子」なら知っているでしょう。

「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」

映画「人間の証明」のキャッチコピーに使われた詩です。もちろん森村誠一はこの詩をモチーフに小説を書いています。

うーん。西条八十は幅広い。この時代の詩人は、自分の分野を決めずに、国民にその才を提供してくれていたのだ。

おっと「王将」でした。村田英雄の歌は、私には全く受け入れられないジャンルだった。バンドの伴奏に遅れて入るだけなら、まだ演歌っぽいだけなのに、至る所の拍をわざと合わせないようにしているくらい、そう、伴奏なんか気にしていない歌なのだ。見事に。うーん、参った。

でも、今聞くと・・・(笑)やっぱりテンポが外れている。それが村田英雄の歌の個性なんだろう、と許せるようになった。

この歌詞の主人公は、大阪の将棋棋士、坂田三吉がモデル。将棋と碁は昭和の男達はよくやっていた。祖父は碁、父は将棋。

名人という言葉も、将棋で初めて知った。坂田名人は、腐った鯨肉を食べてころりと死んでしまった。

死んだ男の残したものは、墓石である。その墓石は勝守り(かちまもり)として、金槌で叩いてかち割った破片を盗む者がいる。

歌の中の人生が本当だったとは言えない。でも演歌「王将」は、同名の新国劇より長く歌われ続けて、名人の人生を私たちに伝え続けている。

どうせなら升田幸三の方が好きだが、日本にはこうした偉人伝が歌謡曲で語り継がれているのが面白い。

♪ 明日は東京に出ていくからは なにがなんでも勝たねばならぬ ♪

米国の占領後9年目。敗戦の屈辱を知る日本人がまだわんさかいた。私は子供だから、この歌の良さはわからなかったが、今は大ヒットになった理由がわかる。



【参考資料】



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