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第3回THE NEW COOL NOTER賞文芸部門~7/12講評(一奥分)

第3回THE NEW COOL NOTER賞文芸部門へご参加いただいている皆様。

7月度文芸部門に応募された作品について、約40作品にのぼりました。
残り一週間を切っている中で、さらに応募数が伸びていること、皆様が当コンテストを通して新しくめぐりあっていただいていること、嬉しく思います。

本日は、一奥より講評をさせていただきます。

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<講評>

朝鮮半島の民族に対する一奥のイメージは、劇と踊りの民族、というものです。小中華文化に始まり、安定しつつも停滞しているとも言える宮廷文化を頂点とした身分制の中で、芸妓にも代表されるような、歌と踊りの娯楽があり、それが現代大衆社会の中での芸能文化と融合した一つの結実が、K-POPであると受け止めます。

華やかではあれど、しかしそこに強烈な「人造」の哀愁が漂っている。
槙野さんが、主人公であるハラムを表現した”吸血鬼”の冷たいイメージは、まさにそれを体現するものだろうと感じます。

しかし、血潮とは本来は熱いものである。
医療用に調製された冷蔵の輸血パックのような退廃と綺麗さの中に、しかし数年か、数十年か秘め続けたものがある。

それを解放し、吐き出すことのできる場所というものは、限られているのかもしれません。
本作の妙は、同じ血のイメージを扱いながら、冷たさと熱さを対比している点にあります。

血の腸詰めといった食事を好むハラムの、その「食」の描写が、冒頭とラストで同じもののように描かれつつも、その色合いが冷熱の対象となる。
そして、そうした血潮の描写の変遷を示す上での、中性的でありながらも、間接的な生々しさを示す本作中盤の性描写。

人造の鋳型に押し込められ、その中で芸能で求められるものを完璧に体現しながらも、一人の人間として押さえ得ぬものを、しかし邪悪ではなく自然な意味での野生に発散することができたということの描写に、どこか清々しいものすら感じました。

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<講評>

木と「私」の心のやり取りが描かれた、詩とも評することのできる掌編小説。詩として見ることもできるかと思いましたが、ハッシュタグでは短編小説とされていましたので、一奥より講評させていただきます。

どのような読み方もできる小説であると思いますが、「木」から見た「私」の視点が幻想的だなと思いました。

「私」にとっての「木」である部分と、
「木」にとっての「私」である部分とが対比されることで、私達の日常生活の中において、身近でありながらもどこか心の交流という意味では遠いものと思われがちな「木」への親近感が増します。

思うに、その点を「小説」としてより描写していくのであれば、心情描写をさらに書き込むという手があろうかと思います。
「私」にとって、その木がどういう存在であったのかを、より具体的なエピソードや成長の記録、たとえば木に登って見えたものなどの心象と描写の中で書き加えるということですね。

そして「木」の視点に映る際には、一瞬叙述トリック的に、それが「木」の視点であるとは読者にはわからせない今のテイストのままにしつつも、「木」を擬人化した時にしか描写しえないような、たとえば風の体感や、枝葉のさざめきや、地中を稲妻のように走っていく根の感覚などを描いて、その上で小さな子どもとしての「私」を描く、という表現手法もあろうかと思います。

そうすることで、「木」から見た「私」が『小さな私』という、植物達にとってはある種人間さえもが汎神論的な「大きな私の一部」であるという幻想性がより際立つかなとも感じました。

現状、本作は詩とも短編小説とも、その中間に位置する独創性を有していると見えます。
それは、詩と読みたい人にとっては詩となり、短編小説として読みたい人にとっては短編小説ともなりえますが、逆にmasatarouさんがどちらとして描きたいか、その感覚、世界観をじっくりと味わいたいと考える人にとっては、「詩」であるか「短編小説」であるかさらに方向性を決めて、突き抜けるように描ききってもらいたい、masatarouさんが感じたその道の先を見たい――と、少しだけ物足りなく思わせてしまう部分があるかもしれません。

ちなみに一奥は、「木」から見た「私」が、木の一人称において「小さな私」と描かれていたところに、masatarouさんが見出した感性の閃きを感じました。

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<講評>

本作では、静かに穏やかで、しかし確実に絆を深めるヒロインと、その彼の関係性の進展と、そしてその転調(悲劇)の描写に主眼が置かれています。
一見すると淡々と進んでいるようでいて、しかし、その中で確実に何かが変わっている。

出会いは、友人の愚痴に付き合っての合コンから。
別れは、唐突に訪れた事故なり事件なり(詳細の描写はありませんが)。

その時間の経過の中に、大切なものが芽吹いて、そしてそれが手の届かないものになってしまう中で、実は大切なものであったことに気づく。
そこに、心を動かす、誰にでも訪れうる大切な経験があることを気づかせてくれます。

この箇所の感動を、さらに印象的なものとする意味では、一奥が想像した本作のキーワードとなるのはやはり「クリスマス」かな、と思います。

作中で、ヒロインと彼は数度のクリスマスを迎えます。
その1つ1つのクリスマスでのエピソードを、対比して描写していくことで、メリハリと時間の重なり、その中で深まるものがさらに強調されるというのも一つの描き方かなと思います。
また、望月みや様が好きな、あるいは思い出深いクリスマスソングのイメージを導入するという手法もあるでしょう。

歌詞の一節と、1つ1つのクリスマスソングのエピソードをシンクロさせるというのも、さらに深まるアイディアかもしれません。
一奥はこうしたものを「化学反応」と自分なりには呼んでいますが、そうした何かを加え、二人の時間と対比させた時に、よりこの喪失の悲しみと、そこから浮かび上がるかつての時間の大切さはくっきりと浮かび上がってくるだろうな、とも感じました。

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事務局アカウントでは、過去の記事とKindleで、これまで小説を書いたことが無い、という方でも、始められるようなコツなどをまとめさせていただいています。

どうぞ、ふるってご参加ください。
皆さんとともに、このコンテストを盛り上げ一緒に楽しんでいくことができることを臨んでいます。

*講評は分担制としているため、必ずしも応募順に講評結果が発表されるわけではございません。よろしくお願いいたします。

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応募作品はこちらのマガジンに収録されます。
 他の参加者様の作品もお読みいただき、ぜひ、当コンテストを通して新しく知り合い、また仲良くなった、との声をお聞かせください! 皆様の縁がつながるコンテストでありたく思います。

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