欲望まみれの正体。
やっぱりどうしてだか、ふと、何か超越した能力や、スーパーマンに憧れる。
誰かの刺激的な日々を知っては、なんかいいな。なんて思っている。
年齢を少しずつ重ね、現実を突きつけられる回数が多くなってきたにも関わらず、ドラマで飛び抜けた能力を持つ登場人物が出てきたり、ニュースになるような何かを成し遂げた誰かを観ては、
私も抜きん出た何かを欲する欲望がむくむくと出てくる。
多分今、安定している生活ができあがっていて、
しかも贅沢なことにそんな生活に慣れて、
プラスαを求めている気がする。
超越した能力が欲しいなんて、現実には無理があることと分かっているし、理想だけで憧れているの訳だけれど、
”安定している自分への満足”
を超えて、安定がつまんなくなっているのかもしれない。
けれど、私は安定を作ることの難しさを理解していない。
だから、こうも欲望にまみれて、空想世界を浮遊できるんだろうなと思う。
安定を自分の力だけで作ったことがないからなのかなと思っている。
家族や関わってきた人たちが、私の安定を作ってきてくれているから、
勝手に安定が与え続けられているという
いかにも贅沢な世界線に住んでいる。
親をみていると、
どうも安定を作ることが生活の第一に見える。
いつの日か、
「大人になったら優先順位が生まれてくるから、自分の欲望で動くよりかは、優先的なことから順にこなしていくことに追われるからなー。」
と父が言っていた。
その時は、刺激を求めたり新しいことをやってみようとか思わなかったりする父を
(ちょっとつまんないな。)
なんて偉そうなことを思ったもんだけど、
その優先順位の最上位に君臨していたのはやはり「安定」なんだろうなと思う。私たちが順調に大きくなって、学校に行って、夏休みは家で遊べる。
そんな日常を作ってくれるために、
どれだけ自分事の優先順位を下げてくれたのだろうかと思う。
親が安定を必死に作り上げてくれた、その心地よいソファの上に私は寝転びながら、
「刺激が足りないなぁ」
なんて言っているようなもんだと知った。
これが私の現実味の無い、刺激を欲する欲望の正体だ。
それでも親は、野望を持つ私を肯定してくれる気がする。
超能力だなんて馬鹿げた事は妄想として楽しんでおこう。
欲望は欲望として夢の世界で楽しんでおこう。
でも、努力と行動でどうにかなる野望は掴みにいこう。
そう思う。
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