見出し画像

多分私は世間を知らなさすぎる。

なんか、思うんです。
私ってきっとだいぶ世間知らずなんだろうなと。

正直、すごく治安の良い場所で生まれて、そこで今まででずっと暮らして、周りの同級生は真面目な人ばかり。
ある程度の裕福な暮らしをしている人しか周りにいなかったから、それが当たり前の水準で、
毎日同じ服を来ている子も、筆箱がボロボロの子も、万引きをする子も、酒を飲む子も、髪が金髪な子も
ほとんどいませんでした。
ほとんどというか、私の見える限りいませんでした。

”恵まれていた。”
で完結できるような暮らしを私はしてきました。

ホームレスを見たことがほとんどない。
暴力を振るう人を見たことがない。
殴り合いの喧嘩を見たことがない。
夜中に遊び歩いている子を見たことがない。


そこに人と人との拗れ合いや、陰湿な妬みがある事は基本として、
人間関係が上手くいかないことといった内面事情を切り取って、
表面的にだけ、第三者からの視点のように私の住む周囲を見たときに、

まさに平和だけでかたどられたような、善人だけが微笑んで暮らしているような、そういう空間を当たり前の世界として見てきて生きてきました。


幼稚園、小学校、中学校、高校、その時代そのコミュニティが私のほぼ全てになるから、この限定的な世界しか知らずに、この世界が当たり前になります。

窓ガラスが割れることなんて一度もなかった。
授業のチャイムがなると全員が椅子に座り授業の準備をした。
飴の食べかすをトイレのゴミ箱に捨ててあっただけで全校集会が開かれた。
小学生の頃から塾に通って中学受験をする子がうじゃうじゃいた。


中学時代、テスト問題を簡単にすると、100点が続出するから、先生が頭をひねって、資料集の端に書かれた見えないような部分を問題に出したりしていた。だから「定期テストが難しい中学校」として有名になっていた。


「Aちゃんのお兄ちゃんがたばこを吸っているらしい」

皆がざわめきます。親も驚きます。たちまち噂となり、こんなちっさいことが、大事件のような化け方で大騒動のような規模感になります。


これはある種の”異様”なのかもしれません。

大学生になり、ある決められたコミュニティに全てを注ぐ生活からは一変して、自分でアルバイト先を決めて自分の予定で組んで。自分で繋がりを求めて何かに飛び込む。
今までよりかは比較的自分次第になりました。
アルバイト、遊び、ボランティア、サークルなど、少しだけ世界が広くなりました。


自分の世間知らずに気づくきっかけになったかもしれません。

食に関わることへの好奇心があった私は、フードバンクのボランティアとして、数回お手伝いに参加しました。
炊き出しではないけれど、袋に賞味期限の近いお菓子類などを詰め、公園で無償配布する。貰うためにに並んでいる行列をみました。
綺麗とはいえない身なりで、お菓子でも何でも食べ物を必要としている、行列を並ぶ人々を見ました。


サークルの先輩と話をしていたとき。
授業中に柔道部のボスのような人が、ターゲットとなった、前の席に座るクラスメイトの首を絞め、授業中に失神させたと言っていました。

砂糖を袋に入れて、「麻薬だー」という遊びが流行っていたと言っていました。


自分が見てきた、知っていた世界のあまりの狭さを実感しました。
多分、新しいコミュニティ、新しい空間を自分で知ることをしなければ、全ての人がある部分では”世間知らず”であると思います。


私にとって大学生の何年間は、自分の世間知らずさに気づき、世間知らずでない自分に近づこうとするには最適な期間なのかもしれないと思いました。

最後まで読んでくださりありがとうございます。
他の記事もぜひ覗いてみてください!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?