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『大丈夫だよ』(掌編小説)


「それは無責任じゃない?」

 そう言われてみて初めて気づいた。そうか、これは無責任というのか、と。
 僕としては責任がどうこうというよりも、ただ彼に提案してみただけだった。季節は春。就職活動も佳境に入っている。

 どこにでもあるチェーン店。コーヒーが安いカフェの、薄汚れた白い長方形のテーブルの向こうに座るのは友人だった。既に入りたかった企業から内定をもらった僕に、彼はアドバイスを求めていた。
 今日も東京で面接があったと口にした彼は、なるほど、スーツ姿であり、「うまくいかなかった」という言葉がそのままその顔に張り付いたようようだった。

 僕は彼から面接のための自己分析ー僕からすれば他己分析だーを一緒にして欲しいと頼まれた。そしてその分析をしていたのだが、僕は彼に「もっと自信を持って話した方がいいんじゃないか」と提案した。自信のなさそうな人を敢えて採用するということは、企業側としてないだろうと考えたのだ。
 それに対して彼は、

「それで内定がもらえるかな?」

と聞いてきた。だから僕は、

「保証はできないけど、少しは変わると思う」

と答えたのだ。改めて思い直してみれば、特段無責任ではない。僕みたいななんの変哲もないいち学生に、企業側の採用基準など分かりようもないのだから。
 そう説明しようとしたけれど、そこで僕は思い直す。


「お前には能力があるじゃないか。それに、その能力に見合っただけの実績もある。だからあとは、それを自信満々に伝えればいいんだよ」

 あくまで僕は、内定が取れるとは言っていない。
 しかし、彼は僕のその言葉に随分と満足したようだった。
 ネクタイを緩めてワイシャツの袖をまくり、ウンウン、と頷いている。待ちに待った餌を貰えた飼い犬のようだと思った。

 もちろんそんなことを言えるはずもない僕は、ただただ彼がご馳走してくれたアイスコーヒーを飲む。
 コーヒーがもう殆どない。それに彼も満足しているようだ。

「次はいつ面接があるの?」

「明日だ」

「そうか、じゃあ今日はもう早く帰って寝た方がいい。お前なら大丈夫だよ」

 彼は腕まくりしたままのワイシャツの上からジャケットを羽織り、飲みかけのホットコーヒーを一息に飲み干した。
 多分、あのコーヒーはもう冷めて美味しくなかっただろう。

 店を出ると、もうすぐ夏が来ることが分かった。
 ジメジメした、夏に特有のあの匂いが鼻をつく。そういえば、夏の前には梅雨が訪れる。

「お前なら大丈夫だから、頑張ってこいよ」

 またそう言うと、彼は満足げに頷いて僕に背を向け歩き始めた。
 もちろん、僕にこの言葉の責任をとることはできない。




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