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自己紹介がてら、これまでの生い立ちや、ばいやんの記事を発信してきた思いを少々

と言いながら、昔の思い出話をつらつら書いてたら長くなってしまいました💦今日は翻訳記事ではなく、私自身のちょっとした自己紹介も兼ねて。ドイツサッカーとの出会いから、翻訳記事を書くにあたっての思いについて、気の向くままに書いてみました。

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2002年6月30日。すべてはその日から始まった。

横浜で行われた、日韓ワールドカップ決勝戦の日だ。TVで観たドイツ対ブラジルの試合シーン、試合後うなだれるオリバー・カーンの姿は、今でもハッキリ覚えている。当時、自分はまだ中学生。

自国開催の日本でのワールドカップの盛り上がりは、サッカーにまったく関心のなかった子供心を惹きつけるには十分だった。

「ドイツ強いね。応援するならドイツかな」

当時、同じく元々サッカーに興味のなかった友達の発した、何気ない一言を今でも覚えている。

今思うと、たぶんこれが、自分がドイツサッカーを意識し、興味を持った、すべての始まりだったと思う。

初戦サウジアラビア戦に7対0で圧勝し、幕を開けたドイツ代表の快進撃。だが、このブラジルとの決勝戦で敗れて優勝の夢は潰える。

とはいえ、この時点ではまだドイツサッカーにハマったわけではない。それでも、学校中、そして日本中が熱狂した「サッカー」というスポーツが、それ以降、自分の中で間違いなく「何となく気になる存在」になったのは確かだった。

その後、高校に上がり、新聞を読むようになった。スポーツ面に海外サッカーの試合結果が載っているのを見つけた。なんだか気になって、毎週の試合結果を追うようになった。最初はスコアをメモ用紙に書き溜めていく程度。それでも、主要リーグすべてを追うのはさすがに大変なので、チェックするのは、なんとなく格好いいからと、サッカーの母国🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿プレミアリーグと、W杯で好きになった🇩🇪ブンデスリーガの2つだけ。

当時、まだYouTubeやTwitterもなかった。(自分の知ってる範囲では)定期的に無料で海外サッカーの映像を見れるのは、『すぽると!』のマンデーフットボールのハイライトくらい。毎週、試合結果を追ううちに、実際にフルで試合を観たいと思うようになった。日韓ワールドカップ、あの当時の熱狂を思い出しながら。

当時ブンデスを放送してたWOWOWに入りたいと、親にダメ元でお願いしてみた。やはり何度も渋られたけど、根気強く観たいって言い続けたら、なんとかようやくOKを貰えた🙆‍♂️

2003/04シーズン初めのことだった。

ワールドカップで活躍したGKオリバー・カーンがプレーするバイエルン。ドイツ最強のバイエルン。最初はどのチームも熱心に毎試合食い入るように観てたけど、当時、間違いなく、徐々に心はバイエルンに傾いていった。ブンデスリーガの試合観戦は、カーンやバラック、クローゼなど、日韓ワールドカップで中心だった選手たちと画面越しに再会し、再発見できる楽しさやワクワクがあった。

瞬く間にブンデスに夢中になった。当時、うちみたいな田舎にもネットやガラケーが普及し始め、当時愛読していた『ワールドサッカーダイジェスト』の中でたまに名前を目にするkicker紙も、実際にネット検索してサイトをチェックするようになった。もちろんドイツ語だ。なんて書いてあるかは分からない。それでも、日々見てると英語に似た単語もあるし、ちょっと頑張れば分かるかも。そう思い、ドイツ語に興味を持った。入門書『はじめてのドイツ語』を買って勉強してみた。難しい言葉は分からないけど、本で勉強した前置詞や、何度もkickerで見かける単語もあり、頑張れば見出しを見て、誰の移籍とかゴールとかなら、たまに分かるようになった(気がする)。

高校入学後しばらく経ち、親にケータイを買ってもらった。家族が入ってたauだった。何気なく、ガラケーのアプリ的なやつ(わかる人いるかなw)を触ってたら、掲示板 > 趣味 > サッカー > 海外サッカー > バイエルン 🙄!?おっ、バイエルンの掲示板あるやん!!ってのに気付いた。怪我人情報とか移籍の噂とか、詳しい人やドイツ語分かる人が情報を流して教えてくれる。 今思うと、2chの劣化版みたいな掲示板だったし、今のTwitterで流れてくる10分の1くらいの情報量だったと思う。それでも、当時にしては貴重な情報源だ。英語もドイツ語もよく分からない自分にとっては、凄くありがたかった。帰りの高校のスクールバスの中、一日一回、その掲示板を眺めるのが日課になった。

カーンが好き、バラックが好き。バイエルンが好き。そして、ドイツが好き。なんとなくでも、ドイツ語が分かるようになりたい。そう考えるようになったのは自然な流れだった。

高校も3年生になり、受験が近づく。興味はドイツ語しかなかった。地元でドイツ語を専攻できる、外国語に強いある大学に行きたいとなんとなく思うようになった。徐々に受験勉強も本格化していった。決して進学校でもない偏差値40ちょいの田舎の高校だったけど、親身な先生たちに恵まれて、なんだか勉強が楽しくなってきた。模試の成績も上がってきて、目標もちょっとだけ上げた。

ツラい時もあったけど、そんな時は、当時よく地元の図書館で借りていた『もう一度、会いたい!Oliver Kahn―世界最強ゴールキーパーの素顔』にあるカーンの名言で、何度も自分を奮い立たせた。日本語に訳された、数々の熱血的なカーンの珠玉の名言は、思い悩む自分の心の中に自然と染み渡った。


高校生活、そして受験勉強も終盤に差し掛かった頃、担任の先生にそそのかされて(笑)、東京の大学もいいかもなと思い始めた。絶望的に理系科目が苦手な自分にとっては、国公立は厳しかったけど、なんとか、都内のある私大のドイツ語学科に運良く合格できた。

夢みたいに嬉しかった。受験の日や、合格発表の日のことはよく覚えている。そして、何よりドイツ語を毎日勉強できることが純粋に嬉しかった。

日韓ワールドカップでドイツに興味を持ってから、わずか約3年。まさかここまでハマり、自分が大学でドイツ語を専攻することになるなんて、こんな短期間で人生は一変するものだと、本当に不思議に思った。

もちろん大学でドイツ語は勉強したし、ありがたいことにミュンヘンにも1年間留学させてもらった。就職はサッカーもドイツも関係なく選んだ(というか、そもそもリーマンショック直後の氷河期で選べる立場にないw)けど、今もこうして社会人になっても、細々とドイツ語は続けている。

自分が中学や高校の頃、まだ本格的にドイツ語を勉強する前に、もしドイツ語の記事や、カーンやバラックなど自分の好きな選手たちのインタビューが読めたり、聞き取れたら、どんなに素晴らしいだろうか。そう感じることは少なくなかった。当時の日本語のニュース記事は、そうした選手たちの発言が部分的に切り取られたものだけ。それも少し遅れて書かれたものも多かった。(だから、これまでずっと、恣意的な断片ではなく、少し大変でも「記事全文」を訳すことを心掛けてきた)

今まで、自分がTwitterやnoteでサッカーの記事の翻訳をしてきたのは、なんだか当時ドイツ語が分からなかった自分への思い。もしあの時、こんな記事を自分が読めてたらどんなに楽しかっただろうか。そんな過去への思いから来てたのかもしれない。

そして、これまで、もし自分の翻訳した記事を見て、ドイツ語に少しでも興味を持ってもらえたり、ドイツ語を勉強しようかなと思ってくれる人が増えたら嬉しいです。かつての僕自身がそうだったように。(願わくば、今まで自分が訳してたくらいの文章なら、こんなチンタラではなく、よりスピーディーかつ高クオリティでサクッと訳してくれる方が現れることに期待してます。笑)

いろいろ書きましたが、日頃Twitterやnoteでいいね❤️していただいていた皆さんには本当に感謝しかないです!(自分は褒めて伸びるタイプなので、)いいねやリツイートなどしていただき、皆さんの反応を楽しみ、感謝しつつ、楽しく続けることができました!

noteを始めてもうすぐ1年経ちますが、これまで190本近くサッカー記事の翻訳を投稿してきました。もし1人でやってたら、たぶん2本くらいで満足して飽きて終わってたと思います。笑

分かりづらい点や稚拙な点など多々あったかと思いますが、これまで皆さんには温かく読んでいただき本当に感謝しかありません🙏

一旦サッカー記事の翻訳は区切りを付けますが、今後とも、仲良くさせていただければ幸いです!引き続き、よろしくお願いします。

Servus, danke!!

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