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タイで大切にしている親切の受けとり

私はタイ北部チェンマイに2年、今は首都バンコクで生活し始めてもうすぐ2
年半が経とうとしていている。

バンコクに来る前は都会すぎるイメージで、ここで暮らしていけるか不安で。チェンマイとは全然違うんだろうな、そんな風に怯えつつもここへ足を運んだ。
それでも共通であるタイ人の日頃の親切なところ、それを受けとるための方法や大切にしていることを今日は書いていく。

最近ちょうど観光客をお連れして、バンコクからバスに乗って少し遠出をした。その際に彼女とバスの車中でこんな会話になった。

「タイの方って本当に親切ですよね、私ははじめての旅行はアメリカだったから?それに比べてタイではみなさん困っていると手を差し伸べてくれて温かいと感じます」

彼女はこんなことを笑顔で話してくれた。

私は彼女にこう返答した。

「親切なんだけど、それを感じれる観光客とそうじゃない観光客がいるんだよね。きっと、あなたは感じれる、受けとれるタイプの人だから今後も一人でタイにきたらきっともっと楽しいと思うよ」

この会話から私は気づいたことがある。
今までここで住んでいる日本人、観光で来る日本人や外国人に話を聞く機会が多々あった。

その時にタイへのクレームのような話もあれば、今回のような親切で感動するというエピソードもある。

これは、運が良かった悪かっただけで片付けられる話じゃないと私は考えている。

実際に私もタイじゃない国で経験して感じているが、
受けとる姿勢がある時は親切に気づいたり受けとれて感謝することができる。

しかし、自分に余裕がなくちょっとカリカリしていたり時間に追われている時は、関わる相手に正確さや迅速さのみを求めてしまっている気がする。

親切や人とのほっこりコミュニケーションはスピードとは程遠いものだったりするので、そんな時は受けとることができない。

また、日本人に関して強く感じるものは警戒心という壁。
タイに旅行に何度も来ていたとしても、心をオープンに相手を受け入れる姿勢がなく警戒オーラを出している人も多々。

そうすると、親切にしたいとか助けたいとは思えないだろう。

さらに、大切なポイントは今回の彼女の話に2つあった。

1つは「わからなくて困っていると・・・」
2つ目は「人に聞くと手伝ってくれる」

これらは、普通に感じることなのだけど意外と成人はできることじゃない。
特に他人に迷惑をかけてはいけない、という教育が根付いている日本人からすると、自分で解決するように動きがちだ。

もちろん、悪いことではないんだけど
タイでの滞在では、困った時やトラブルがあった時こそタイ人の親切に触れるチャンスが隠れているのだ。

私自身は、もちろん住む中でこういったタイ人が親切なことや人助けをさらっとしてくれることをよく知っている。
そこに甘えてたり、そこで生まれるコミュニケーションを大切にしている。

さらに自分からも手を差し伸べたり、聞かれたら最善をつくして手助けするのがタイ生活でのスタンス。
このスタンスはどの国へ行っても同じ感覚でいるようになっていった。

しかし、あきらかにタイ人の影響は受けていると言える。
ここまで他者と気軽に親切にしあったり挨拶や微笑みかけるのは、日本の生活では不審者扱いされそうで気をつけなかればいけない。

先日の彼女とも共感しあっていたのが、タイ人は日本人とパーソナルスペースが全然違うという点。
ほんとうに身近に迫ってくる、フレンドリーに触れ合ってくるピュアさがあるのだ。

もちろん、詐欺や悪質な勧誘だってないわけではない。
観光地に限っては、あちらからグイグイくるシャイさがないタイ人はたいてい営業の要因が強かったりする場合も多い。

それでも、笑顔で断ればいいだけの話だしコミュニケーションをしてもお金を要求されるわけではない。

私はタイの暮らしで出会う様々な日本人に対して、
タイ人との関わりで親切にされない人とされる人が存在するのが不思議でたまらなかった。

その違いはなんなんだろう?と疑問に思っていた。

今回の彼女と出会って、この疑問が溶けた気がした。

彼女の人柄。
決して語学が堪能ではないが、それに劣等感を抱かずに他者に対してオープンな心がある。
素直に困ることができて、困ったと手を挙げることができる。

それこそが親切を受けとれる余裕と姿勢があるということなのだ。

タイが好きで住んでいる私にとって、こういう部分で共感しながら話ができるのはとても幸せなことで有意義な時間だった。

そして、これからも親切をうけとれる自分でありたい、改めてそう強く心に刻んだ。


2024.7.17 concoji