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捨て猫にミルクをあげる不良少年にお別れを言う

とても素敵なエッセイを見つけた。誠に勝手ながら読後感を言葉にするのであれば、「スラスラを読めるのに、印象に残り、味付けがクドくない」といったところだろうか。少し迷ったが、読み終わり1分の今、「永田王/藍川じゅん」さんのエッセイ「私の代わりはいくらでもいる」の印象を、少しだけ言葉にさせていただくことにした。ビンに詰めて海に投げ込む手紙のように、ひっそりと、少しだけ。

そのエッセイを目にしたのは、「私にしかできないことなんて世界にはない。でも私だからできることは世界にある。」というタイトルで、私のエッセイを書いてみた直後だ。他の人はどんなエッセイを書いているのか、タイムラインを上から順に眺めていると、「私の代わりはいくらでもいる」というタイトルが目に飛び込んできた。

先ほど書いたエッセイと、似たタイトルではないか。

内容は、「昔かたぎの職人のおっちゃんが人生に現れて、罵詈雑言を吐く、その人は、気が付くと頭の中で道を示してくれるようになった」というもの。このエッセイが素敵だと思う点は、その職人のおっちゃんが「罵詈雑言を吐きまくる怖いおっちゃん」のまま終わるところだ。

怖い男性が出てくるストーリーは、多くの場合、途中で、「雨の日に捨て猫にミルクをあげているところを目撃する」とか、「亡くなった奥さんの写真を見ながら涙するのを偶然見かける」といったように、怖い男性のイメージが激変するタイミングが描かれる。

でも、このエッセイは、最初から最後まで「罵詈雑言の怖いおっちゃん」は変わらない。日常を描くエッセイというジャンルには、都合よく、雨の日の捨て猫なんて出てこないのだ。怖いおっちゃんは変わらないため、怖いおっちゃんに文句を言われながらも、主人公の心持ちが勝手に変わっていく。前向きに。

そして最後の締めくくりが最も心に残っている。

いつしか頭の隅に出てくるようになった職人のおっちゃんが、「『つまんねえことダラダラ書くな!』と怒っているので、そろそろ筆を置こうと思う」…と終わったのだ。

特に刺激的な文言が散りばめられているわけではなく、スラスラと読めるのに、印象的で、スパッと終わる後味のクドくなさ。読み終わった後に思わず二ヤりと笑ってしまいそうになった。

少しだけ胸が温まり、「とても良かったです!」と作者さんにDMしてみようか…とか、「最高でした!」とコメントを残そうか…とか、慣れない考えが頭をよぎった。でも、どれも対外的な感想のようになりそうだったので、やめた。

多分、一般人の人生に顔を出す素敵な1シーンは、心が壊れるほどの恋の駆け引きも、世界を賭けたカーチェイスも、脳みそが弾けるほどの知能戦も必要ない。何気ない日常を個人の心持ちが、かけがえのない1シーンに変えていくのだ。「永田王/藍川じゅん」さん、小さく素敵な1シーンをくださったこと、ありがとうございました。

#創作大賞感想


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