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私の代わりはいくらでもいる

3ヶ月半だけ、地元の居酒屋さんでアルバイトをした。昨年からライターの仕事が減り、時間を持て余していたからだ。
一時期、いただいた仕事を断ったり、〆切を過ぎてしまうことが増えていた。書くことに対するモチベーションが明らかに下がり、それに伴い仕事も減っていった。

経済的な余裕がなくなってしまったので、生まれて初めて居酒屋の求人に応募してみた。大きな声で返事して、飲み物や料理を運び、笑顔で対応するホールの店員さんに、実は密かに憧れていたのである。
人一倍トロくて要領の悪い私が、スピードを要求される職場で働くのは無謀かもしれないと薄々わかっていたのだが、「やってみたい!」という憧れと好奇心の方が勝ってしまい、42歳にして居酒屋でバイトを始めることになった。

ところが。
何も知らずに面接に行ったお店が、一流店だったのである。
地元の名士や、高級店の店長さんたちが続々とやってくる名店で、昔カタギな大将が包丁一本で30年以上店を守り続けていた。
大将は、厳しく優しかった。マナーが悪いお客さんをピシャッと叱り、追い出してしまうこともある。しかし、お客さんやスタッフから相談を受けた時は親身になって寄り添い、できるうる最大限の手助けをしていた。
大将がお客さんたちと信頼関係を築き続けたおかげで、居酒屋なのに客層が異常に良かった。満席でも大声で騒ぐ人は1人も居らず、大人たちが美味しいお酒と食事を静かに楽しんでいた。

お皿の向きや声の大きさなど、ゼロというよりマイナスの状態から厳しく指導された。
アルバイトは、私の他に20代の男性がいた。ホール歴9年のベテランで、どこで誰にどんなタイミングで呼ばれてもスマートに対応するプロだった。大将も「あの子の動きは一流だ」と太鼓判を押すほどだ。
それに比べ、私は完全に場違いだった。伝票は間違いだらけで、洗い物も遅く、何度も同じ失敗をする。忙しくなるとパニックになり、余計使い物にならなくなる。大将に「馬鹿か!!!」と怒られた回数は、もはやカンストしていた。毎年甲子園に出場する超強豪校に、野球のルールを全く知らない部員(しかもおばちゃん)が入ってきちゃったみたいな状態である。
20代の先輩は「女の人がアルバイトに来ても、大将に怒られると即辞めちゃうんですけど、永田さんはあんなに怒られても平気でいるからすごいですね…」と呆れていた。

びっくりするくらい厳しい大将だが、開店前やちょっとした合間に雑談する時は優しい。どんな質問にも親切に答えてくれるし、すぐ冗談を言う。お客さんからいただいた差し入れやチップはバイトにもきっちり分け与え、料理の余りをこっそり食べさせてくれることもあった。どんなにこっぴどく怒った後でも、帰り際は「はい、お疲れ!」と労ってくれる。
大将は真剣に仕事しているだけであって、誰かを苛めたり蔑めるために怒鳴る人ではなかったので、私は安心して怒られ続けた。

そしてなにより、大将の仕事は美しかった。
ノールックで調理器具を手に取り、流れるように食材に包丁を入れ、色彩を考慮しながら料理を皿に盛る。その洗練された動きについ見惚れてしまい、「ボーッとしてんな!!!」と怒られた回数は数知れない。明らかに向いてなかったのに、数ヶ月続けられたのは「大将の仕事を間近で見たかったから」という理由が大きい。職人さんは、やはりかっこいいのだ。
1日で500回くらい怒られた日は、さすがの私も夜道で「ショボーン!」と叫んだが、その翌週「給料袋の中のお金見たら元気出ました」と報告したら、大将は嬉しそうに

「そうか、元気出たか」

と笑った。私はすっかり大将のファンだった。


ある日、いつも通り最大瞬間風速80mくらいの勢いでガッツリ怒られていると、見かねたお客さんが「まあまあ」と宥めてくれた。大将は、

「代わりなんていくらでもいるってハッキリ言ってやんなきゃ、今の子はわかんねえんだから、全く!」

とブツブツ吐き捨て、私はそれを「も〜大将は口が悪いんだからな〜」くらいの気持ちで受け流していた。
しかし、「代わりはいくらでもいる」という言葉が、後からじわじわと響いたのだった。

私の代わりは、いくらでもいる。
私よりも売れていて、いい文章を書くライターはいくらでもいる。
それなのに。
待っていれば自然と仕事が入ってくると思い込んではいなかっただろうか?
過去にたまたまpvの数字がいい記事があったというだけで、驕った気持ちになっていなかっただろうか?
心のどこかで、自分が書く文章を唯一無二で価値のあるものだと勘違いしていなかっただろうか?

居酒屋のアルバイトとして言われたはずの言葉が、いつのまにかライターとしての私に突き刺さっていた。
やるべきこともやらずに「どうせどこからも依頼なんてこない」といじけていた自分に気づき、恥ずかしかった。

私の代わりなんて、いくらでもいる。
だったら、書かなきゃと思った。

ひとつの仕事に長年真剣に取り組む人の言葉は、こんなに心を動かすものなんだなと静かに感動した。傲慢だった私を、一発で張っ倒してくれた。

その後、あれこれ足掻いたおかげで、再び仕事をいただけるようになり、居酒屋のアルバイトは辞めることになった。
ライターの仕事に専念したいからバイトを辞めると告げた時は緊張したが、大将は
「やりたいことがあるんなら、そっちを頑張った方がいいよ」
と、あっさり認めてくれた。大将も、本当は早く辞めて欲しかったのだろう。
忙しいお店なのに、こんなにノロマなおばさんを、よく数ヶ月も置かせてくれたものだ。大将の面倒見の良さには頭が下がるばかりである。

3ヶ月半の間、お店に純度100%の迷惑をかけ続け、大将の仕事の邪魔ばかりしていたのに、お給料はしっかりいただいてしまい、恐縮するしかない。本当にすみませんでした。
いつかお給料分の恩返しをさせてください。愛してるぜ大将。

余談だが、大将の罵詈雑言を存分に浴びたおかげで、いつのまにか脳内にミニ大将が住むようになった。普段ボンヤリしていると、ミニ大将が「ボサっとしてんな!」「頭使え!」と怒るのだ。今もミニ大将が「つまんねえことダラダラ書くな!」と怒っているので、そろそろ筆を置こうと思う。

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