あの山の向こうに
久しぶりに、私のフォトライブラリーを見返してみた。
すると、山の尾根や稜線を撮ったものが多いことに気づく。
稜線は空と大地の境界線。
見えているのに、
なかなか辿り着けない。
手が届きそうで、
とても遠い場所。
私はそこに、こころ惹かれる。
山登りによく出かけていた頃、
ようやく辿り着いた稜線は、
視界が開け、空にも近く、
開放的で、そして感動的だった。
鳥になる。
そんな気持ちに近いような。
風を感じ、お日様を仰ぎ、そして大地を見下ろす。
そこには見たことの無い景色と暮らしが広がっていた。
そんなかつての記憶が底にあるのか、今でも稜線への興味は尽きない。
稜線は大地と大地の境界線。
昔から、山がクニや文化を隔ててきた。
あの山の向こう側に、どんな暮らしがあるのだろうか。
隔てられた先への憧憬。
道路や鉄道で、向こう側には容易に行けることもある。
しかし、山は屹立として意識を境界する。
山から人の気配が消える夕暮れ時、
そこには“神の時間”とも言うべき静寂に包まれていく。
天と地を分ける境界線。
夕闇迫るそこには、何があるのか。
底知れぬ畏れと、触れてみたい衝動が湧き上がる。
稜線には憧れと畏れが共にある。
京都のまちは三方を、山に囲まれている。
比叡山と愛宕山、そして鞍馬山。
いずれも古より崇められてきた霊山。
都を守る鉄壁の防御体制だ。
囲われたものの安心と鬱屈。
そして囲いの外への羨望。
朝靄のように京都のまちに薄く漂う。
変化への不安と期待。
私も再び、山に登ってみようか。
*見出し画像は滋賀県伊吹山山頂から