ミッドライフクライシスは文学を読んで乗り越える | 中年危機(河合隼雄)
中年の危機(ミッドライフクライシス)は、30歳以上になると誰しもが経験する不安や鬱などです。男女や社会的地位なども問いません。
以前、キアヌ・リーブスが公園で一人ボケーっとしたりするような姿が報道されました。これも中年の危機と言われている症状です。
自分の人生はこれで良かったのか……? 若い頃であれば、いくらでも軌道修正が可能です。ですが、中年に差し掛かると、人生のラストが見えてきています。おまけに身体の故障も出てくる時期です。
このどうしようものない現実から逃れる特効薬はありません。
本著は、臨床心理学者の河合隼雄さんが様々な文学作品から、中年の危機を独自の解釈ですくい取った論考です。
文豪たちは中年の危機について、どう表現してきたのでしょうか?
河合さんが書かれた文章の中から印象的な箇所を引用しならが、ご紹介いたします。
①人生の四季 夏目漱石『門』
中年は冬=死に向かっていくターニングポイント。誰しもが憂鬱になるのは仕方がないと思います。しかし、筆者は「門の下に立ち竦んで、何とかならぬものかといろいろやっていると、ジワジワと明るみが見えてくるのだ」とも説きます。
中年の時期は、暗い気持ちになりがちかもしれません。でも、ジタバタしているうちに光明が見えてくるはずです。
②四十の惑い 山田太一『異人たちとの夏』
『異人たちとの夏』は名脚本家・山田太一さんの手による小説です。大林宣彦監督によって映画化もされました。
異界の人たち出逢いによって主人公は再び歩き出します。生きているからこそ迷うのです。いや、迷うから生きているのかもしれません。いずれにせよ、生きるとはそれだけで価値があることです。
③入り口に立つ 広津和郎『神経病時代』
これは本当にその通りですね。『神経病時代』のラストで、恐ろしい絶望と苦しさを主人公は味わいます。しかし、粛々と対応していくしかありません。人生は理想ではないのです。現実です。リアルに考え、行動してこそ未来が切り開けるのだと思います。
④心の傷を癒す 大江健三郎『人生の親戚』
「ソレ」とは、「私」にも似た意味ですが、「私」がやったことではなく、「ソレ」がやったことといった、ちょっと自分を突き放している表現です。人間の業みたいな感じでしょうかね。
「ソレ」からは、誰しもが逃れられません。ただ、筆者は「自分の祈りを深める」ことはできると説きます。どうしようもない人間の業は、うまく人生に還元させていくのが良いのでしょう。
⑤砂の眼 安倍公房『砂の女』
価値のある仕事であっても、毎日砂掻きをやっているのと変わりないのかもしれません。「隣の芝生は青く見える」のは正しい真実でしょう。しかし、実際に隣に移ったら、元いた場所が「青く見える」こともあります。どこかの時点で、達観して生きて行くのも人生にとって必要だと思います。
⑥エロスの行方 円地文子『妖』
『妖』の中では、人ではなく「骨董」や「坂」にエロスの対象を求める人物が出てきます。ただ、これはやはり人の代替品に過ぎません。趣味や仕事に没頭していたとしても、不意に「人」が心の中に入ってくることがあります。青年期はもちろん、中年期になっても同じです。人間はいくら歳を重ねても、そのような存在だとの認識をしておきべきでしょうね。
⑦男性のエロス 中村真一郎『恋の泉』
死によって無に帰すのは、あらゆる人類の宿命です。しかし、著者は「魂という超個の存在に触れるひとつの道としてエロスがある」と説きます。とはいえ、「エロスだけが独り歩きすると『事件』になる」とも語られています。欲情のまま行動しても、そこには動物的な出来事しかありません。自我と魂の葛藤があればこそ、真の意味で生きている人間になるのだと思います。
⑧二つの太陽 佐藤愛子『凪の光景』
青春時代に燃え盛る太陽と、老年期に昇る太陽。後者の場合は、社会的な地位も確立されているので厄介です。太陽は情熱とも置き換えられるかと思いますが、コントロールするのは困難です。
『凪の光景』の主人公も悩み抜いた末に、「結論」を出します。凡庸と言ってもいいかもしれません。ですが、そこに至るまでの葛藤が、人を成長させていきます。
⑨母なる遊女 谷崎潤一郎『蘆刈』
社会的な肩書や年収は比較しやすく、現在の自分の「立ち位置」を図るには便利なツールでしょう。けれども、それゆえに足元が弱いです。何かあったら、急に不安定になります。人生は多層的であることを知っておくべきです。
⑩ワイルドネス 本間洋平『家族ゲーム』
映画も名作と知られる『家族ゲーム』は、暴力的な家庭教師がやってきて、一家が振り回されます。そこで家族の様々な一面が浮き上がりますが、親世代は子供に対する責任を負っています。子供を一人の人間としてきちんと接することが大切です。親と子は合わせ鏡なのです。
⑪夫婦の転生 志賀直哉『転生』
引用部分はなかなか極端ですが、それが夫婦というものなのでしょね。赤の他人だった二人が家族になる。だからこそ、強烈な因果が発生し分かち難いものになるのかもしれません。例え「死」という絶対的な別れがあったとしてもです。
⑫自己実現の王道 夏目漱石『道草』
道草を歩くことになっても、それも一つの人生です。人生は固定されたものでは決してなく、流動的なのです。目的地ではなく、過程こそに意味があります。夏目漱石は49歳で亡くなりました。中年の危機のど真ん中年代です。晩年の作品である『道草』では、過程こそに意味があるスタンスで小説を書いています。『道草』の主人公は、最後に「世の中に片付くなんてものは殆ほとんどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」と吐露します。
人生のゴールが見えていたとしても、ゴールするまでが重要です。片付くことなどありません。中年世代は一歩一歩楽しみながら、着実に歩いていくのが肝要だと思います。
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