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Chapter 2 Vol.5 原始の楽園

はじめに


この作品は、フランス語学校に通っていた際の課題として提出した小説に加筆修正を加えたものです。
(詳しくはこちらの記事をどうぞ。→ノートに書かれた言葉は消えない。)

あらすじ


2030年以降、先進諸国では人体へのマイクロチップの挿入が法律により義務付けられていた。
犯罪率の激減、豊かで便利な生活。一見すると完璧なシステムに見えた。
しかし2050年、アポカリプスと呼ばれるコンピューターウィルスが発生し、
世界中がその脅威に晒されることになる。
片桐あきらは叔母の住むフランスに避難することになる。
フランスでの美しい生活と、日本に残した両親への想いで少年の心は揺れるのだが…。

これまでの物語


Chapter 1
プロローグ
Vol.1 アポカリプスの到来
Vol.2  片桐家の憂鬱
Vol.3 この現実はスイッチオフできない
Vol.4 僕もきっと壊れている
Vol.5 あきら、フランスへ行く

Chapter 2
Vol.1 あきらの旅立ち
Vol.2 答えのない問い
Vol.3 春の嵐
Vol.4 あきらとバゲット

本編Chapter 2 Vol.5 原始の楽園


 あきらがフランスに着いてから三か月が過ぎた。少年は13歳の誕生日を迎えた。ド・ラ・シャペル家の人々は盛大なパーティーを開いてくれたが、日本の両親からは音沙汰がなかった。少年はそのことについて特に何とも思わなかった。親からのお祝いを期待するなんて子どもっぽいという気恥ずかしさもあったのかもしれない。江梨子は引っ越し先の神戸の住所を手紙で伝えてきてはいたが、あきらはあえて自分から連絡しようとは思わなかった。そのようにして時が過ぎていった。季節はいつのまにか初夏になろうとしていた。 



 週末になると、ド・ラ・シャペル家の人々は少年を連れてよく出かけた。リヨンという街はぶらりと散歩するにはもってこいの場所だ。リヨンは二本の川にはさまれていて、街の北東からはローヌ川、北からはソーヌ川が流れ込んでおり、南部で合流する。ソーヌ川の西側は石畳の街並みの残る旧市街で、ローヌ川の東側はどちらかというと近代的な建物が並ぶエリアである。ド・ラ・シャペル家は第六区にあり、陽のひかりを浴びてきらめくローヌ川沿いを家族はよく散歩した。

 彼らの家から歩いてすぐの場所にテット・ドールという名の公園があった。「テット・ドール (Tête d’or)」とはフランス語で「金の頭」という意味で、その名はある伝説に由来する。その昔、海賊たちがキリストの黄金の頭とともにたくさんの宝物を敷地のどこかに埋めた。それを発掘した者は大金持ちになれると言われているんだと、ジャン・ルイがあきらに説明してくれた。
「まあ、伝説だけどね。君も試してみるといいさ」彼は少年の肩を叩いて言った。
そのころにはあきらのフランス語はだいぶ上達していたので、家族の中で交わされる会話やちょっとした冗談にもついていけるようになっていた。


 晴れた日の公園でのピクニックも素晴らしかったけれど、少年が特に好きになったのは旧市街と言われる区域だった。フルヴィエールの丘の上にそびえる大聖堂を目印に歩いてゆくと、ふとまったく雰囲気の異なるエリアに入り込む。

 中世の街並みを思わせる石畳の通りのそこかしこに乳香の香りが漂い、華々しい通りにも、どこかひややかな古い空気が流れているようだった。路地裏のどんなに小さな通りでさえも秘密を隠し持っているように、少年には思われた。ユネスコの文化遺産として登録されているその区域は、観光地としても有名であるらしかった。色とりどりの看板を連ねるオープンカフェ。フランボワーズタルトの甘い香りに包まれた菓子店。街のあちこちの壁に描かれたフレスコ画。無機質なコンクリートの壁に囲まれて育ったあきらは、それらの風景をがつがつと貪るように愛した。 



 けれどアポカリプスの傷痕はこの国にも見受けられた。「バグたちに救いの手を」と書かれたポスターが街のほうぼうに貼られ、土曜日にはデモンストレーションのためにアマチュアの楽隊がリヨン市内を練り歩いた。彼らの多くは左翼思想を持つ人々で、フランスの政治体制を猛烈に批判していた。世界中の人々が苦しんでいる中、手をこまねいて見ているだけの大統領は卑劣だ、というわけである。 

 実際、マイクロチップ制度を廃止するという決断を取ったのはフランスやごく少数の国だけだった。その結果、それらの国々はアポカリプスを免れることになった。それは原始的なかぐわしい香りを放つ楽園のように他国の人々の目に映った。マイクロチップのない生活など想像できないという人々がいる一方、それこそが人間の真の姿なのだと唱える人々もいた。後者の人々の中には、夢の国を目指して移住しようとする者が後を絶たなかったが、フランスは厳密な受け入れ規制を設けており、国境を超えるのは容易なことではなかった。あきらの場合は、日本大使館に勤務するジャン・ルイの介入によってかろうじて難民申請が受理されたのだった。これらのことを少年が知ったのは、ずいぶん後になってからだった。 


 けれどすべてが順調だったというわけではない。2033年のマイクロチップ制度廃止にあたり、フランスはヨーロッパ連合から脱却することを余儀なくされた。欧州諸国との交流が途絶え、経済的な打撃を受ける結果になった(事実上、それはほとんど経済制裁に近かった)。また、フランスの難民受け入れ態勢の乏しさも各国から厳しく批判された。その罪滅ぼしの意味もあるのか、フランスの研究者はバグ解明の研究に力を注ぐようになった。現在、フランスがその分野において世界でトップクラスの業績を挙げていることは皮肉としか言いようがない。 


 もちろん、こうした政治的背景をあきらはまったく知らなかったし、興味を持ちようもなかった。いつでもどこでもわかりやすい言葉で情報を提供してくれるマイクロチップが使えない今、彼はただ外国人の子どもとしてその国にいるしかなかった。それはつまり、目の前で起こることを受け入れるしかないということだ。


「なぜ、フランスでは誰か親しいひとと会うとほほにキスをするのか」
「なぜ、フランスでは18歳で成人なのに日本では20歳なのか」
「なぜ、フランスではお米をお菓子として食べるのか(「リ・オ・レ」というデザートがある)」 

 あきらのこうした質問は「そりゃ、そういうものだからね」という大人たちの一言で片づけられてしまった。ジャン・ルイや由香梨に悪気があったわけではない。彼らはただ、「探せば必ず答えがある」という考えをずいぶん前に放棄してしまったというだけだ。それ以上追求しても、彼らはひょいと肩をすくめてどこかに行ってしまう。大人たちは忙しいのだ。 


 けれどあきらにとって、こうした小さな疑問が解消できないのは大きなフラストレーションとなった。マイクロチップが使えないということは、彼にとって自分の躰の一部を失うのと同じことだった。少年は、まるで脳みその一部を不当にもぎとられてしまったような気がした。なんだか急に自分が馬鹿になってしまったみたいだった。 

 フランスに着いてから三か月くらいのあいだ、彼はリモコンに手をやる癖がなかなか抜けなかった。たとえば道で知らないひとに声をかけられたとき、相手の言ったことを字幕付きでリピート再生してくれる彼の相棒は、もういないのだ。そんなとき、あきらは馬鹿みたいに見えるだろうなと思いながら顔をまっ赤にして「パルドン?(失礼?)」と尋ねるしかないのだった。こうしたわけで、毎日五感をフル回転して感じたり考えたりしなければいけなかったので、彼の頭は常に熱を帯びて爆発しそうだった。そんなとき、ここは原始の楽園なのだと、彼は自分に言い聞かせた。


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