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黄昏のアポカリプス  Vol. 4 僕もきっと壊れている


あらすじ

2030年以降、先進諸国では人体へのマイクロチップの挿入が法律により義務付けられていた。
犯罪率の激減、豊かで便利な生活。一見すると完璧なシステムに見えた。
しかし2050年、アポカリプスと呼ばれるコンピューターウィルスが発生し、
世界中がその脅威に晒されることになる。
片桐あきらは叔母の住むフランスに避難することになる。
フランスでの美しい生活と、日本に残した両親への想いで少年の心は揺れるのだが…。

これまでのストーリー

Chapiter 1
プロローグ
Vol.1 アポカリプスの到来
Vol.2  片桐家の憂鬱
Vol.3 この現実はスイッチオフできない

本編 Vol. 4 僕もきっと壊れている


 日々は憂鬱な双子のようにそっくりだった。昨日の次には今日が、今日の次には明日が同じ窓辺に毎朝むっつりと現れた。冬は気難しい指揮者のように指をかざし、冷たい風を舞い上がらせた。人々はコートの襟を立ててこそこそと歩いた。運命は飽きることなく同じモチーフを演奏し続けていた。

 その日、あきらはいつも通り小学校へ向かった。アポカリプス以前に比べると授業時間は減っていたものの、家にいてぶらぶらしているわけにはいかなかった。でも、もしかしたらもうすぐ死ぬかもしれないのに一体何を勉強する必要があるのだろう。たぶん大人たちには死を彩るBGMが必要なのかもしれない、と少年は考えた。僕たちが関ケ原の戦いや円周率や水溶液の性質などをレクイエムとして歌えば、きっと彼らは満足して死んでいけるだろう。自分たちは職務を全うしたのだと信じて。でもそれは僕たちにとっては何のなぐさめにもならない。どうもフェアじゃないな。少年は首の後ろをぽりぽりと掻いた。考えたところで12歳の彼には事態を変える力はないのだった。

 空は灰色で、湿った風が吹いていた。朝靄の中にビル群がもったりと佇んでいた。ヘリコプターがトンボの群れのように空を覆い、街に影を落としていた。いやらしい羽虫がふいに耳の中に入ってきたみたいに、ぶううんというモーター音が少年の耳の中でこだました。




 彼の前方に、何か黒っぽい物体が落ちているのが見えた。電信柱の蔭に隠れるように捨てられているそれは、家庭ごみにしてはいやに大きい。靄に包まれているため輪郭が判然としないが、ただならぬ臭気がその周囲に漂っていた。それは少年が今までに体感したことのないような異様な臭いで、腐った肉と小便とマヨネーズの混じったような混沌とした臭いだった。

 太った鴉がどこからか舞い降り、どすんと着地した。鴉は目ざとくそれを見つけ、小首を傾げながら近づいてきた。硝子のような目でじっとその物体を見つめていたかと思うと、鋭い嘴でつつき始めた。あきらは吐き気を覚えた。彼は幼いころから鴉が苦手だった。これという理由はないが、生理的に受け付けないのだ。回り道をしようかと少年は思った。しかしその小路を迂回するには信号を渡って歩道橋を歩き、さらに駅の裏道を通らなければならない。時刻は8時45分。残念ながらそのような時間はない。あきらは大きく息を吸い、なるべく鴉と目を合わせないように気を付けながら通り過ぎようとした。何か切羽詰まった強いエネルギーのようなものを感じたのか、鴉は少年の足音を聞くと、ものすごい羽音を立てて飛び去って行った。その拍子に電信柱の蔭に隠れていたそれがずるりと地面に投げ出された。あきらは悲鳴を上げた。それは、人間だった。



 あきらが単なる気弱な12歳の少年だったら、おそらくその場から走り去っていただろう。けれど父親がいつも少年に言っていた言葉が、彼を踏みとどまらせた。それは「怖いものにこそ立ち向かっていけ」という言葉だった。そこであきらはその場に踏ん張った。そしてものすごい臭いがするのを我慢して、そうっとそれに近づいた。

 ごみのように見えたのは、おそらくホームレスと思しき男性だった。あちこち穴の空いたねずみ色のレインコートを着て、海から引き上げられたばかりのように躰中ぶくぶく膨れている。皮膚は赤黒く、ひびだらけで、爬虫類のうろこのようだった。年齢の判別は難しく、40代のようにも80代のようにも見えた。目は閉じられ、口は軽く開いており、芋虫のような太い指を胸の前で組んでいた。そのせいで彼はまるで昼寝でもしているように見えた。

「もし、生きていたらどうしよう」ふと少年の頭に疑念が浮かんだ。
いや、きっと十中八九死んでいるだろう。でも、もし気を失っているだけだとしたら?
そうだ、マイクロチップが完全に停止しているかどうかを確かめればわかるかもしれない。

少年は音を立てないように、さらに男のそばに近寄った。男の手の甲はざらりとして、人間の皮膚のようには見えなかった。彼の左手の中には小型のリモコンが握られていて、その液晶画面には何かのメッセージが表示されていた。よく見ようとさらに近づくと、耳をつんざくような警告音があたりに鳴り響いた。

ビー、ビー、ビー、マイクロチップに異常発生。マイクロチップに異常発生

あきらは飛び上がった。それは暴力的とも言えるほど執拗に鳴り続けた。まるで狂った鴉が調子はずれの歌を歌っているみたいだった。あきらは思わずあたりを見回した。幸いなことに人の姿は見えなかった。あきらは殺人現場に居合わせた気の毒な目撃者みたいに、駆け足でその場から立ち去った。


 学校に着くと、すでにクラスメートの大半が教室に集まっていた。教室には暖房で温められた生ぬるい空気が漂っていて、生徒たちの声が遠い海鳴りのようにぼんやりと響いていた。あきらの心臓はまだ波打っている。鼓動は吐き気がするほど強く、尾骨の方までびりびりと痺れている。彼は混乱した頭で先ほどのことについて考えた。とにかく、落ち着かなくちゃ。警察に連絡した方がいいのかな。それとも、担任の先生に相談してみる?それより病院に行くべきかもしれない。僕も感染していたらどうしよう。

 ふと、あきらの目の前をひとりの女子生徒が通り過ぎた。彼女はつりあがった小さな目で穴の開くほどあきらの顔を見つめ、それから廊下に貼ってあるポスターに視線を投げかけた。

 あきらは額の汗を拭い、青春映画に出てくる主人公のような笑みを浮かべ「渡壁とかべさん、おはよう」と言った。渡壁と呼ばれた少女はあきらの顔を見つめながら「片桐かたぎりくん、おはよう」と返事をした。彼女はなおもちらちらと少年の方に視線を向けていたが、やがて吸い寄せられるように教室の隅に消えていった。あきらはそっとため息をついた。

 彼女が眺めていたポスターというのは、昨年度の国連の通達に伴って文部省から各教育機関に配布されたものだった。ポスターの背景は明るい水色で、可愛らしい猫のキャラクターが描かれている。猫の口から漫画のように吹き出しが出ており、次のような台詞が印刷されていた。
 
『おともだちの様子ようすは だいじょうぶかニャ?こんなてんをつけよう。

 ・顔色かおいろわるく、元気げんきがない。
 ・名前なまえんでも返事へんじがない。
 ・わすものおおい。
 ・理由りゆうもなく す。
 ・おこりっぽい。

これらの兆候ちょうこうがあったら、マイクロチップのバグの可能性かのうせいがあるよ。
はやめに先生せんせいらせよう!』

そのポスターの隣にはまた別のポスターが貼ってあり、丸っぽい太字で次のように書かれていた。

『いつもあかるく、快活かいかつでいるようにこころがけよう。
 勉強べんきょうやスポーツに全力ぜんりょくでぶつかろう。
 お友達ともだちには親切しんせつにしよう。
 目上めうえひとには礼儀正れいぎただしくせっしよう』

あきらは心の中でその続きを付け加えた。
『そうじゃないと、削除されちゃうよ』。


 あきらの席のすぐそばで、男子生徒が二人大声で話していた。それはクラスの中でリーダー格と目されている高崎健たかさきけん早見悠斗はやみゆうとだった。何人かのクラスメートたちがその周りを取り囲み、話に加わろうとしていた。彼らは大声で笑い、叫んでいた。まるでクラスの中で誰が一番幸せなのかを見せつけようとするように。

「今週号の『少年シャンプー』、もう読んだ?」と健が悠斗に言った。
「当たり前じゃん。『キラー J. 』やっぱり最高だな」と悠斗が答えた。
「俺も『キラー J. 』が一番好き。アニメ化されればいいのになあ」
「お前、馬鹿か。テレビ禁止なんだからアニメになっても意味ないだろ」
「あ、そっか」
健は笑った。すると他の生徒たちもくすくす笑った。
「みなさーん、こいつ、馬鹿でーす」
悠斗が机の上に飛び乗って叫ぶ。やめろよと言いながら健が悠斗の足首を掴む。刺激に飢えた生徒たちが我も我もと押し寄せ、あっという間にふたりを取り囲む。巨大な一匹の猿のように、肉の塊は動く。それは狂気の楽園だった。

 あきらはこの馬鹿騒ぎをぼんやりと見ていた。彼の家庭では漫画本は禁止されていたので、クラスメートたちの話題についていけなかった。彼はクラスでトップの成績だったが、人間の生活についてはまったくわからなかった。少年が知っていたのは、自分は他人と違うということだけだった。集団の中での異質性は、ここでは「罪」と同義語だ。精神障害であり、欠陥品である。
「もしかしたら、僕も壊れてるのかな。あのおじさんみたいに」と彼は考えた。
少年は頬杖をついて窓の外を見た。裸木が風の中で震えていた。春はまだ太陽のはるか遠くにあった。


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