「わからない」
世の中には私の理解など遠く及ばない事象がゴロゴロ転がっているのはわかっている、つもりだった。私が認識している景色、たとえば風の匂い、空模様の移ろいとかいろいろあるけれど、私の横(主に右側)には7年近く前からずっと彼がいて。たくさんのことを一緒に経験したし、今だって現在進行形で力を合わせて立ち向かっていることもあるから、てっきり私と彼は、同じコトモノを同じように捉えているのだと、そんな錯覚をしていた。
よく考えなくたって、彼は私より年上で、年の差だけ長く生きているし、それこそ私の想像などとても及ばない地獄を生き延びてきたし、彼が自ら己の傷やトラウマなどについて人に話すことも滅多にない。彼の経験は断片的にしか知らないので、たとえ私が彼の生涯のパートナーであろうと、彼の認識を共有することはできないし、してはならない。そんな、至極当然なことを、私は長らく見誤ってきたみたいだ。
ただ、厳然たる事実として、私は今、彼の一番そばにいる。私自身、何の自慢にもならないくらいに情けなくてアタマワルクテ弱くてボロボロの心を引きずりながらも、気がつくと彼のとなりで「えへへ」と笑っている。
私は彼の「ほんとう」を、まだ知らないのかもしれない。そしてこの先ずっと、どんなに一緒いても、知ることは叶わないのかもしれない。でも、それでも全然構わないのだ。私は私を好きでいてくれる彼が大好きだし、彼が万が一、私を嫌いになっても私は彼を好きでいられる自信がある。彼にだけは嫌われたくないし、彼の嫌うような人間にはなりたくないけれど。
以上を脳の片隅に置いた状態で、以下をお読みください。
【夏の特選!ぐだぐだミステリ】
◯第一回 「わからない」
私、前々から不思議だったんですよ。いえね、私の友人の友人の話なんですけど……あ、この「友人の友人」って一周まわって私のことなので、まあ私の話なんですけど……。
正確にはですね、私の、ダーリンのことなんです。端的に言えば、「なぜ『それら』をスルーしてそんなにのびのびと狂っていられるの?」という、私の切実な悩みを聞いてください。
先日、私の地元の駅前の人混みがいつもより激しかったのです。何か特別なイベントでもあるのかな?と思ったのですが、どうも「ポケモンGO」の何かしらだったらしく、老若男女問わず皆さん、スマホの画面に夢中になっていました。彼が「あれは何?」と尋ねるので「ポケモンだよ」と教えました。
ところが、彼はこう呟きました。
「ぽけもん……?」
明らかに、「ポケモン」を認識していない口調です。
「ほらアレだよ、ゲームの、ピカチュウとかたくさん出てくる」
「……もしかして、ポケット・モン・スターのこと?」
「なんか若干区切りが違っている気もするけど、概ね合ってる」
「ピカチュウってあの、黄色くてかわいい生き物」
「そうそう」
「いろいろなトラブルが起きる作品」
「大抵の物語はなにかしらトラブルが起きるのでは」
「そして種々のトラブルを持ち前のかわいさで解決する話」
「それは違う」
……もしかして、この人は本当にポケモンを知らないのだろうか? と私は驚いて、自分がポケモン映画の記念すべき第1作目である「ミュウツーの逆襲」が公開された当時、夏休みになるのを待ちきれずに一学期の終業式に私服をリュックに詰めてこっそり持ち込み、親友(もちろん今でも一緒に悪ふざけもできる遊的なノリの最高な子)とともに家とは逆方向の電車に乗って南船橋のららぽーとの映画館に突撃したほどポケモンが好きだったこと、そしてミュウツーの声優をベテラン俳優の市村正親さんがつとめていてストーリーもシンプルかつテーマも重厚で涙腺崩壊状態だったこと、さらに最近その作品がリメイクされているらしく前述した親友からつい先日LINEで「ミュウツー、また逆襲するってよ」とか届いてマジか!ってなったことなどを解説しながら(全部言った)、ポケモン(初期の151匹の頃)への愛について彼に語ったのです。
彼の反応→ 「そう……」END.
見事に空振りました。まあでも、彼の年齢的に、少しストライクゾーンではなかったかな。そう思ったものの、ふと気になって彼に質問をしました。
京急の生麦駅が漫画のワンピースとコラボして、「生麦わらの一味駅」となっているというニュースを思い出したので、それを引き合いに出し、ワンピースについて、どの程度知っているのかを尋ねたのです。
彼の回答→「普段肉ばかり食べているのに、回転寿司チェーンとコラボしていたのは知ってる」
むしろそれを知らなかったわ。
私の不安は募る一方です。そういえば先月末、久しぶりに映画を観たいということで、何を観たいか尋ねたら、彼はこう答えました。
「苦労の多そうな若い男性が、急須を大切にする話」
……これだけのヒントで、10秒以内(恐らく7秒ほど後。つまり我が家には7秒間の沈黙が降りたことになる)に「実写版 アラジン」だと気づいた私は我ながら偉いと思いますし、夫婦というのは感性が似てくるものなのだなとつくづく実感したものです。
「アラジンなら、もっとヒントになる要素があるでしょ。ジーニーが願い事を叶えてくれるとか、ジャスミンと恋に落ちるとか」
「それは僕からしたらあの作品の本質じゃない」
「はい?」
「タイトルが『アラジン』なんだよ。他のキャラクターの設定うんぬんよりも、タイトルにまでされている主人公の生き様に注目して観るのは間違いなの?」
「一面として正論だけど、あれそもそも急須じゃなくてランプだから!」(捨てゼリフ)
かくして私は論戦(?)に敗北をしました。いや実際、彼の言う通り、本質はそこではないのです。
聖賢な皆様にはとうに察しがついていることと思いますが、この人は一体、何を摂取してこれまで成長してきたのだろう……? 私には、それがどうしても理解できませんでした。
例えば好きな音楽に関してなら、小田和正〜筋肉少女帯というなかなかの振り幅を持っていることは知っていましたが、漫画とかアニメとか、そういうポップカルチャー方面に対する彼の見聞を、私はこれまで知らずにきたのです。
私は思い切ってきいてみました。
「私も君も、世代的にプリキュアよりセーラームーンだよね。好きなキャラは誰だった? 私はセーラーウラヌスが好きだったなー」
「……」
ゴクリ…
「知らない」
でたー!!!!でも、その回答は想定の範囲内だったからあまりびっくりしなかったわよホホホ……
「ときめきトゥナイトなら知ってる。読破したから」
斜め鋭角からぶっこんでくるのほんとやめて……。
私は第2部主人公のなるみちゃんが好きです!
(ちなみに彼が「ときめきトゥナイト」を知っていたのは、入院させられていた精神科の閉鎖病棟のデイルームに看護師たちがいらなくなった本を置いていったのを暇つぶしに読んだ結果とのこと。まあ入院生活なんてガチめで暇の極みだもんね。しかし、その古本処理を「患者様へのホスピタリティの一環」とかその病院がぬしてたことは、「たぶんずっと許さない」とのこと)
そう、私と彼はどんなに想いあっていても、生きてきた時間も違えば認識している世界も異なり、かろうじて共通で知っている作品があっても、好きなキャラクターさえかぶらないのです。ときめきトゥナイトでなんでゾーンとかドゥーサが好きなの……もっと他にたくさんいたじゃん……個人の好みだから不可侵なのはわかってるけど、わからない。どうしてもわからない。わからないという概念は時として恐怖すら想起させるのです。
この先、どのタイミングでうっかり彼の地雷的な狂気を覚醒させてしまうか、それがとにかく不安で、でもなんとなくそれすら楽しんでしまう……そんな日々を送っています。(東京都・30代女性・OL ここと さんの投稿)
さて、おわかりいただけただろうか……これがまごうことなき現実なのだ。
※「夏の特選!ぐだぐだミステリ」に第二回があるのかは誰にもわかりません。ご了承ください。
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よくぞここまで辿りついてくれた。嬉しいです。