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色気サウンド

姉は絶対音感がある。

彼女より長くピアノを習っていたし、
同じ鍵盤や楽譜なのに
その音色は、私のそれと全く異なる。

東京での生活を終え、関西へ戻った際、
音楽への欲求が湧いた。
マズローの法則でいうところの
第5段階「自己実現欲求」※だと思う。

(※自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、
自分らしく生きる自己表現や創造、
なりたい自分になろうとする欲求。)

お謡を習っていたので、長唄に興味が湧いた。
お能の謡曲は、ことばに節を設けて音階や抑揚をつけたものだが、長唄は、リズムや旋律がより明確な気がしたからだ。

Google先生でご近所の師匠を探す。
現役の三味線方の先生で、初心者対応可。
これはもう、 "Show up" するしかない。

お三味線といえば、大きな音と迫力が魅力である
津軽のじょんがら節を浮かぶ方が多いと思う。
長唄三味線は、細棹、小さい胴、細めの絹糸なので
繊細で美しい高音を出すことから、
明るく華やかな音の特徴がある。

お三味線の三本の弦には決まった音程があり、
それを1本ずつ合わせていく。
先生がチューニングを始められた途端、

ゾクゾクゾクッ

一瞬、時も息も止まってしまった。

先生は軽やかな談笑と共に調弦なさっていたが、
その麗しく穏やかな表情とは正反対の
「なにもの」かが、其処にはいた。

「果たして、あなた様に私が弾けるのかしら?」
と、声が聴こえた気がした。

レコード、カセット、CD、MD…
これまで幼少期から日常のイージーリスニングに
慣れてきたためか、演奏中に調子が変わることもある
三味線の音に、得も言われぬ色気を感じてしまった。

あの音は、いまだ忘れられない。

少しでもお近づきになりたいと、習い始めの頃、
姉に散々、音色を聴いてもらった。

「違うチガウ!楽器は弾くんやない。
 あんたの体の一部にならな!」

姉のピアノ演奏は、彼女そのものだったのだ。
正しく譜面を読み、メトロノームに合わせることで、確かなリズムとメロディーがあれば、心に響く音楽を見出せると思っていた誤りにハッと気づかされた。

「正確な音が出ている」=「色気がなくなる」
ということか。なんと。

私たちの生きる世界は物質文明だ。
とかくモノや形あるものにこだわりがちである。
世界の真髄や醍醐味はそんな人工的なものと相対するものだと信じている。

正解がなく捉えどころのない様に人は色気を見出す。ジェンダーレスの世になったことも、自然な流れかもしれない。無限の可能性こそ、色気の髄。

人は「言葉」という歌を奏でるスピーカー。
その喜怒哀楽が「曲」になり、「表情」をつくる。

あなたは今日、どんな音楽を演奏していますか。

歌川国芳「みかけはこわいがとんだいい人だ」

大ぜいの人が よってたかって 
とおと いい人をこしらえた
とかく人のことは 人にしてもらわねば 
いい人にはならぬ