ココルームだけに生える毛
永井玲衣
ココルームは、ふりをしている。
喫茶店や、ゲストハウスや、大学や、あるいはNPOの。
ふりをするという身構えがあるからこそ、いろいろなひとがやってきて、とうとうある秋の日に、人類学者もやってきた。
松村さんは、木の枝にじっとしている、ふっくらとした鳥のようなひとだった。
假奈代さんが話すのを、ふうん、とか、へえ、とか声を小さく漏らしながら、おだやかにきいていた。假奈代さんは、松村さんの『くらしのアナキズム』を読んで、それが自分たちの場をつくることについての本だと思ったと言った。
ココルームは何とか自分たちの場、それは芸術家にかぎることない自分たちの場を、何とかつくろうとしてきた。
そのために喫茶店をひらいたり、まかないご飯を自分たちのために食べたり、ほっとけないひとと出会ったり、そういう中で、どんどん空気に触れていった。
(假奈代)自分自身の生き方を表現をすることによって、照り返されたり、応答があることによって自分の「生きる」がくっきりしてくるときに、人は生き、「一人で生きていかれへんからな」っていう当たり前のところに立ち返って、いろんなひととはたらきあって関わり合って生きていくか、みたいな気持ちになる。
ココルームには表現があり、出会いがあり、また表現がある。假奈代さんの語る言葉を、松村さんは目をくりくりさせてきいている。
(假奈代)はたらく場って、関係性や立場を固定化しがちな中で、それを揺るがすのは、フラットな場で表現し合って、常に360度、自分も自分自身もいろんなひとに見られて、ちゃんとひらいているかということを見られて、感じ合いっこすることを手放さない。
表現があることによって、互いの関係性が揺れる。また、ふりをすることによって「こうあるべき」を揺らす。ゆらゆら揺れながら、あるいはよろめきながらすすむ日々は「課題解決」なる四文字とは、相性が悪い。假奈代さんの語りは歌声のようにつづき、松村さんはもっと目をくりくりさせる。
(假奈代)世の中が課題解決とかって言い始めたのが数年前にあるじゃないですか。すごいスピード感とか、息苦しさがあるんだけど、わたしの仮説はですね、「け」ですよ。
(松村)へ、け?
首を前に出して、松村さんが思わずふしぎな声を出した。「ハレとケのケ?」「いいえ、髪の毛の毛です」。質問に対し、假奈代さんはきっぱりと言う。假奈代さんが言うには、世の中が急激に脱毛の広告まみれになった時期があった。生きていたら絶対に生える毛。だがそれを剃らなくてはいけない。つるんとした自分の身体感覚に力を注がなくてはならない。
(松村)毛が生えているところを見つけては、抜く。その身体のイメージと街のイメージって繋がりますよね。つるっとして、余計なところがあったら、綺麗に建てかえて。でもそんな中で、ココルームだけに毛が生えてる!
その日の午前中、みんなで釜ヶ崎のまちを歩いた。ざらざらなまちと人びとが広がっている。松村さんはおじさんにクマの置物を「これ買ってくれへん?」と話しかけられていた。顔の大きさほどあるクマは800円だった。
(松村)ひとがはたらくってことを成り立たせるには、このひとには何ができて、何だったら、彼の何かを認めてくれる周りのひとがいるだろうっていう、その表現を探っていく作業を多分アートって言葉でお話をされているのかな、と。はたらくことは、単に何かお金稼ぐっていうよりも、自分の持っている何かを喜んでくれる、喜んで受け止めてくれる人が誰か居るみたいな感覚ですよね。
(假奈代)ここを作りだす契機になったのはたしかにわたしの思いだけど、むっちゃいろんなひとたちがいろんな思いだったり、思い込みだったり、いろいろ集まって、いろんなことが起こっていて、そういうダイナミズムがあった。じゃあそこで自分は何をしていたのかっていうと、はたらいてたんです、わたし。
二人の語りの中に「はたらく」という言葉が何度も浮き上がり、沈み込み、また浮き上がる。ココルームは就労支援もしてきた。正直に表現ができる場をつくることは、はたらきやすくなる場をつくることでもあるのではないか。そうした歩みから、假奈代さんは、あいりんセンターの跡地に、アーツセンターを構想している。しかもそれは、福祉施設ではなく労働施設に入るのがいいのではないか。
(假奈代)労働施設の中にアートセンターが入った方が、このまちの日雇い労働をしてきた、日本を作ってきたっていう場所の場所性と表現のありようが噛み合うんちゃうかな。
どうしてもはぐれてしまう「表現」と「はたらく」が、釜ヶ崎で何度も手をつなぎなおそうとする。そのうちの一つが、このアーツセンター構想の構想なのかもしれない。
では、釜ヶ崎以外では? 大学では? あるいは松村さんの日常では? 表現とはたらくは、そっぽを向いてしまっているだろうか? 問うてみると、松村さんはぽつりぽつりと話しだした。彼の原体験は、大教室で学生に向けた言葉が全く伝わらないというものだった。うるさくて、誰もきいてくれなくて、歩きまわってみたら学生に「気が散るので歩き回らないでほしい」とコメントシートに書かれた。それは彼の言葉が、表現として成り立っていないということだった。
(松村)教壇の上で、どんな言葉で何を語るかって毎回突きつけられる。東日本大震災があったとき大学が休みになって、明けた最初の授業で何を言うのか1ヶ月ぐらい考えたり。はたらくってやっぱり、はたらきかける相手によって成り立つ行為で、表現もまたそれを受け止める、声をきいてくれる相手によって成り立つからこそ、同じレベルなんだと。そういう意味で私ははたらくと表現っていうのは、繋がっていると思っていて。
学生たちも表現できるといいのにな、と松村さんは学生のことを何度か口にした。何でも言ってくださいと彼がうながしても、学生たちは喋らない。
一方で、松村さんが調査に入っているエチオピアでは、とにかく人びとが喋っているという。
(松村)話すことしかないんですよ、基本。
僕は一人で部屋で本読みたいなって言っても「こっち来て、みんなのとこで読め」って。読めなくて、結局話しちゃう。テレビとかラジオとかあるけど、でも「ひととが話すっていう以上の楽しみって、ある?」って問いかけられるんですよ。
それを言うならば、ココルームもなぜかわからないが、みんなが好きなように喋っている。どこもかしこもあふれて、言葉と言葉があちこちで出会っている。エチオピアにも、ココルームにも、いろんな毛が生えている。だからこそ、出会えるのだろうか。
「出会う」はどこからきてるんですか、と松村さんが假奈代さんに問いかける。假奈代さんは、昨日のことのように話し出した。松村さんは目をくりくりさせる。
中学生のとき、あるベトナム難民の少女に出会った。不機嫌な毎日に、少女の言葉がさしこんで、何も言えなくなった。大人に腹が立ったり、そんな自分に腹が立ったり、ハンストをしてみたり、でもすぐにお腹がすいてご飯を食べちゃったりした。どうすればいいかわからなかった。そうして、假奈代さんは詩を書いた。表現された言葉は、假奈代さんにぴったりと張りついた。
(假奈代)自分の限界のギリギリまで考える。そしてそれを言葉として出してみるっていうことが、とても大事なことなんだ。そうやって自分が考えられる、極限まで考えるその言葉が、たとえネガティブな言葉だったとしても、表したことによってずっと私に張り付いてて、問うてきたっていうことが大事なんだと思う。
(松村)自分の吐いた言葉と向き合うって面白い。
(假奈代)でもそれはやっぱり一人ではなかなかできなくて、「出会った」っていう。もちろん根源的な問いってみんな持っていると思うけど、彼女は私の前でね、18歳の女の子の過酷な経験として、突き付けてくれたのかもって。
わたしたちは、假奈代さんの言葉を通して、いつかのベトナムの少女と少しだけ出会った気がした。どんな瞳をしていたのだろう。どんな態勢で夜は眠ったのだろう。それは知ることができない。
対話を終えて部屋を出ると、たくさんのひとがいた。出会うとは何だろう。どんなに一緒にいても、出会えていないひとがいる。会ったことがなくても、出会えたと思えるひとがいる。ココルームは答えない。代わりに「ここにいる誰かと考えれば?」と言っているのかもしれない。
松村圭一郎(文化人類学)
1975年熊本生まれ。岡山大学文学部准教授。専門は文化人類学。所有と分配、海外出稼ぎ、市場と国家の関係などについて研究。著書に『うしろめたさの人類学』(第七二回毎日出版文化賞特別賞)、『くらしのアナキズム』(以上、ミシマ社)、『はみだしの人類学』(NHK出版)、『これからの大学』(春秋社)など、共編著に『文化人類学の思考法』(世界思想社)、『働くことの人類学』(黒鳥社)。
永井玲衣(哲学)
1991年東京都生まれ。哲学研究と並行して、学校・企業・寺社・美術館・自治体などで哲学対話を行っている。D2021メンバー。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)。詩と植物園と念入りな散歩が好き。
上田假奈代(詩人)
1996年吉野生まれ。3歳より詩作、17歳から朗読をはじめる。2001年「ことばを人生の味方に、詩業家宣言」。2003年、大阪・新世界で喫茶店のふりをしたアートNPO「ココルーム」を立ち上げ、釜ヶ崎に移転。2012年「釜ヶ崎芸術大学」を開講。
現在、ココルームはピンチに直面しています。ゲストハウスとカフェのふりをして、であいと表現の場を開いてきましたが、活動の経営基盤の宿泊業はほぼキャンセル。カフェのお客さんもぐんと減って95%の減収です。こえとことばとこころの部屋を開きつづけたい。お気持ち、サポートをお願いしています