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狂人 聖人

 ほんの数年前まで、狂っている世の中の構造をこんな風に目撃するとは思っていなかった。なんとなく知ってはいたが、平和だったし競争の原理も機能している部分もあって、それほど考えなくても良かった時代だった。

そういう時代だったことに感謝しつつ、本質から目を逸らしていたのだと気付かされた。結局のところ狂人だと言われつつも、世界の本質を見極めて活動して来られた方々や、人間が愛によって真の平和な世界を目指して来た方々が正しかったのだろう。

ただ、それすらも利用されてしまい、最後は凶弾に倒れたり妙な思想集団に変貌したり、その多くが本来の目的を成就出来ていない。それらは、ひとえに人間の未熟さによる集合意識によって崩壊している。

この世界を目の当たりにした以上は、これから先人間がするべきことは自ずと見えている。これまで人間の本質は何に置き換えられて来ただろうか。それを考えれば答えは簡単である。これまで価値を表したものはなんだろうか。そう、お金だ。

命 = 金
愛 = 金
福 = 金
学 = 金
居 = 金
食 = 金
服 = 金
水 = 金
灯 = 金
油 = 金

宇宙も地球の全てのものも誰のものでもないはずだ。なぜこうなってしまうのかお分かりだろうか。それは、猿と同じ原理である。つまり、人間は所詮、猿と同じであってどんな綺麗事を並べようと、その時点から何も成長していないのである。

民主主義?
協調性?
互助精神?
支配?
奴隷?
人種差別?
利己的?
利他的?
云々、、、

たった一つのことが答え。 “縄張り意識“ である。

当然、俺にもある。残念ながら人間の本能として組み込まれている。この縄張り意識がなかったら、自由と博愛から、制御不能な人口増加があって滅亡するかもしれない。だから何が良いとは言えない。そうなると、人口削減はまるで正義となってしまう。

だからこそ、愛に対する思想と次なる子孫を育てるための知恵を絞る必要がある。金に縛られ、無意味なトラウマを抱え、未熟な人間を量産することをやめなくてはいけない。愛を持って協調し、社会調和を目指す。そんな理想論は、実現しないのだろうか。

もっと違う育て方、育ち方をしたら、今のような世界ではない人間界を築くことは出来ないのだろうか。恐らく永遠のテーマであろうと思うが、この考えを根底に行動基準としようと思う。過去の精神世界からの自己救済は終えたつもりである。

ちなみに、誤解なきように書いておくが、政治も宗教もお断りだ。これまで導きとして騙してきたものがそれであるからだ。集金システムでしかない、そういう組織にはそろそろ終焉を迎えて欲しいと思っている。

だからと言って、自分に何が出来るのかは分からない。
ただ、今考えていることを一歩踏み出し、愛に生きるつもりである。