見出し画像

リーダーとは

日本は、成功していた。

通常、その国の人々の特性を鑑みて主義を定めるらしい。だけど、恐らく日本人は何主義でも発展するのだろうと思う。

しかし情報操作されればどの国の人々であろうと迷走する。

俯瞰してみれば人間は、その他の生物以上にリーダーが重要な生き物なのだと考えられる。

リーダー不在の人間は、動物のように勝手に生きていたりバランスを保っていたり出来ないのだろうか?

だから能力の使い方を操作され、弱点を体現され突かれたら、今の日本のようになってしまう。

弱体化は、そうなるように仕向けられてなったものだと思える所以だ。

成り行きなどではないと思う。

日本がバブルの頃、近隣諸国の方々の生活はどのようなものだっただろうか。もっと広く考えて、欧米といえどもそれほど近代的ではなく、世界中がウォシュレットに驚き、日本の先進性を羨望していたはずだ。

僅か20〜30年もあれば、最先端の先進国を後進国に出来てしまう。

では、何があったのだろうか。

俺が考える最大の敗因は、原価引下げを目論み利益率を重視した経営ではないかと思っている。

10年程度は、その恩恵もあっただろう。
しかし、世界の工場を辞めた時から日本の衰退は始まっている。その当時、民主党政権時(2009〜2012)に党挙げて中国製造化を推進していたはずだ。

この点に着目すると悪い政策ばかりではなかったが、今の日本になる契機であったように思う。

そんな経緯も含めて考えた時、日本の国会は、自民党であろうと、民主党であろうと、その他の政党であろうと、ずっとシナリオの上にあり、役者のポストを争っているようなものだと思っている。

またその時の状況に合わせて役割分担しているに過ぎないと考えれば、単なる一つの線になる。

当時、工場の流出は長期的に見て国益を損なうものだと思い、近しい人や取引先に対して俺は力説していたが、利益優先と地価高騰や人材確保などの問題で皆手放していった。

あの当時、バブルが弾けても3Kとかなんとか言っていて、女性にモテない仕事ランキング的な流行もあり、製造の現場は大変だっただろう。
更に安い賃金な上に過酷な肉体労働が多く、中国化でコストに勝てず、倒産も多かったからだ。

国(リーダー)の方向性に異を唱えず、邁進した結果であり、自業自得なのだと考えることも出来る。

結局、その後も言いなりのままの常識だの流行だのに振り回される多くの人々が、そのストーリーに沿って今もなお流されているのだろう。

何を考えるべきなのか。
たいそうなことは要らないのだけど、それすら分からないということもあるだろう。

俺もここまで体系的に考えるようになったのは、コロナ禍があったからで、世の中の異常さをハッキリと認識できてからだ。

つまり、違和感をキャッチし考えるだけで、全てを見通す必要はなく、体系化されていなくとも、考えを積み上げる作業をすることかと思う。

そうすれば、何かあった時に危機管理意識が発動するのではないだろうか。

俺は当時、海外製造のオファーを全て断って今がある。
その道程は、時に非常に困難であったがどうにか乗り越えて来た。

家電なども含めて、その流れに翻弄され散々な状態の日本の会社も多い。

今、国政はリーダーではないということを、しっかり認識するべきだろう。
理由は単純で、今の状況にした責任がある。
だから、その動向を監視するべきである。

監視されるのではなく、人々が自我を持ち、国政を監視するべきだ。
彼らから得られる利益など、一部の既得権益者などにしかないのだから、そのように考えるべきではないだろうか。

リーダーは、政治家ではなく我々である。