A sense of Distance
意識に境界線はありません。
でも、わたしたちは人間だから、肉体があって、パーソナルスペースというものが存在します。
境界線がないからこそ、目に見える線引きというものは、意思表示として大事なことだと思いますし、そのための言葉の紡ぎ方・表現は、適切な距離感を保つために、必要なことだと思っています。
野生の鳥は、近づきすぎると、だいたい逃げます。
わたしは、大切にしたい関係ほど、適度な距離感を保ちたいと思っています。
それは、相手と自分を同一化しないためであり、自分の聖域を守るためです。
それぞれに感覚とタイミングとペースと必要なパーソナルスペースがあるからこそ、相手の状況を、わかったつもりになって発言することは、それ相応の配慮(深い意識での察し)がいることです。
そして、自分から溢れてくるものは、何だって自分ごと(自分の解釈であり課題)でしかないという思いを、どんなときも忘れずに持っていたいからです。
こんなことを書き始めたのは、とても悲しいことがあったからです。
自分のことは自分がいちばんわかっている。そう思えるほど、自分と向き合ってきたつもりでした。そして、目に見える言葉にして発している情報は、あくまでほんの一部です。そんなわたしのことを、そこまでよく知らない方に、まるでわかっているような決めつけた発言をされた(ように感じてしまった)のです。
思ってもみなかった発言に、驚き絶句しました。その方に悪気はないのでしょう。親切心からなのかもしれません。でも、わたしは嫌だったのです。自分のことを勝手に決めつけられたこと、そして躊躇なく、パーソナルな部分に踏み込んでこられたことが。とても嫌だと感じたのです。
いたたまれない気持ちになり、それでも、その場は丸く収めました。でも、わたしの内側はもやもやしたままでした。
もう誤魔化せないところまできていました。やっぱり気付いてしまいましたよね。それを許していたのは、自分なんだと。そんな状況を、受け入れていたのは、自分なんだと。
本当は随分前から、気付いていたのです。その違和感には。言葉ではありません。エネルギーとして、ちゃんと感じていたのです。でも、それを見過ごしてきたのは、紛れもなく自分自身です。
もう、覚悟を決めなければならないのだな、と思いました。そうやってわたしも過去に、誰かのパーソナルスペースに土足で踏み込んだことがあるのだろうから。
過去の自分を手放し、新しい世界を生きる決意をするときなのだな、と悟りました。
相手のためを思って言った言葉が、思ったように受け取ってもらえず、関係がこじれると言ったことは、よくあることだと思います。
だからこそ、相手を理解したつもりになって、相手をどうにかしようとして、言葉を選ぶのではなく、自分の体験を通して、自然と溢れてくる思いや気付きを、自分ごととして真摯に表現することに、すべての存在に対する敬意を感じます。
人生で一度は、誰かと深く関わりたい、全てを理解してほしい、何でも気付いてほしいと思うような、思い焦がれるような、そんな体験があるのではないかと思います。
だけど、かつてのわたしは、誰かにわかってもらおうとするために、エネルギーを注げば注ぐほど、目の前には真逆の現象が現れました。
なぜなら、自分で自分を理解しようとせず、自分の内側から目を背けて、外側の現象ばかり見ていたからです。絶え間なく湧いてくる辛い思いは、自分から自分へのメッセージだったのです。
自分の内側が現実化するというのは、そういうことで、だから今回のことも、相手がどうだったとか、その真意を探ることには、何の意味もありません。その方はその方の感じたままに行動されただけなのでしょうから、それでいいのです。
望まない出来事は、望む世界への道標です。
自分が自分を理解して、守り、何より誰より優先させることを選択できたとき、誰ひとり例外なく、驚くような、素敵で理想的な人に出逢えるように、この世界はなっています。
そのことだけは、紛れもない事実だから、今回のお試しには、覚悟を決めさせられました。
そして、そんな素敵だなと思える目の前の人たちこそ、自分自身が望む本来の姿であり、自分の内側の調和が映し出された世界そのものなのだと、気付くことができたとき、そこはもうすでに心地よい世界になっているのだろう思います。
魂は少しの違和感や安堵感などを通じて、絶えずメッセージ送ってくれています。
すべては、あなた自身から湧いてくる気持ちや感覚を大切にしなさいという、ただひとつ、信頼するべき合図なのだと思います。
人生で体験すると決めてきた世界は、人それぞれ違うように、目の前の人と、見ている意識の世界がどこか違うと感じたときは、きっと、新たな世界に踏み出すチャンス。
わたしの指針は、清らかな心地よさです。
ホッとできること、意識がスムーズに流れる感覚、そんな自分の細胞や魂からの合図に従って、迷い悩みながらも覚悟を持って、自分自身を包み込んであげられるような選択をしていけるように、ひとりの時間、自分と向き合う時間、ホッとする時間を、何よりも大切にしたいです。
そして、その中で、縁あって繋がれた方々と、心地よく清々しいやりとりが出来ることが、とてもうれしいです。
わたしは、人間として生まれてこれた今の自分のことが、本当に大好きで、大切にしてあげたいのです。
そして、せっかくこの肉体を授けられたのだから、そんな今しか出来ないことを、自分を偽ることなく、これからも堂々と、カタチあるものへ変えて、表現していきたい。
意識は自由自在、創造は無限です。
あなたの作品を、心から楽しみにしてくれている人は、必ずいます。
わたしもそんな世界で、創作表現を心から楽しみたいです。
そして、自分自身を通して創造されるものを、誰よりも楽しみ、愛せるわたしで在りたいです。
それが何より、内なる自分自身への、世界への、すべてへの、愛の抱擁です。
最近、ずっと彼の歌を聴いていました。
佇まいが本当に素敵で、力の抜けたような、語るような歌い方が、そして、クシャッと笑う笑顔が、本当にセクシーです。
ひさびさに恋する気持ち、思い出しました❤️
なんとなく辿り着く歌が、すべてを物語ってくれています。
最後までお読みいただき、ありがとうございます✨
ご覧いただきありがとうございます✨ 読んでくださったあなたに 心地よい風景が広がりますように💚