わたしの中のすべて
人間の肉体造形が好きです。
自分の手指を見つめたあと、髪を撫で、胸のふくらみを包み込み、なめらかな曲線に手を這わせるとき、その造形の美しさ、内側に隠れた神秘を感じます。そしてそれは、肉体という自分自身の輪郭をダイレクトに感じる瞬間でもあります。
これはあくまで肉体であって、自分そのものではないような気がするからこそ、もっと奥の方から、肉体を通して、ふつふつと込み上げるものを感じるとき、魂と呼ばれる深遠意識との繋がりを感じられている気がします。
そもそも意識などしなくても、肉体は常に表現し続けています。鼓動自体がすでに音という唯一無二のアート(音楽)です。今この瞬間も無意識に表現され続けている、いのちに連動しているものなんだとわかります。
映画も音楽も絵画も詩も、スマホもエアコンも楽器も香水も、すべては肉体の内側を循環し続ける、いのちの営みを外側に映し出し、イノベーションされたものだから。
ささやかな日々の営み。
掃除、洗濯、炊事、片付け。
立つ、座る、屈む、寝転ぶ。
歌う、踊る、働く、遊ぶ。
喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、不安、恐怖。
生活の中に埋もれ、特別なことを表現してるつもりなどなくても、実際そのすべては、アートの一部として切り取られ、別の形となって多くの人々に鑑賞されています。
自分が世界中に溢れる芸術的アート(創造物)の根源、生きるアートそのものだったのだと気が付いた時、内側の魂は、弾けるように悦びました。
アートとして存在しているわたしという肉体は、今ここで、ただシンプルに生きたがっていることを知りました。
鼓動、呼吸、振動、その根源に、意識を傾けて欲しいだけだと気が付きました。
自由に表現すればするほど、自然ともっと内へ、もっと奥へと、還りたくなっていきました。
表現とは、ひたすら内に向かっていった先に、自然と溢れ解き放たれるものでした。
それはとても深淵で、研ぎ澄まされ、限界がないような気がします。
魂は待っています。
いつも、わたしが語りかけてくることを。
淀みのないまなざしを、向けられるそのときを。
いのちを分け与えられた、この肉体の一挙手一投足に、愛おしさを感じます。
わたしの中には、すべてがありました。
今日もわたしは、わたしのすべてに、魅せられています。
ご覧いただきありがとうございます✨ 読んでくださったあなたに 心地よい風景が広がりますように💚