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True Heart 〜あなたに届くまで〜再生の物語 【温もり】



①【遠い記憶】編

②【邂逅】編


最終章です。



2020年5月、娘を連れて夫のいる自宅へ戻った。
家事や育児をしなくてもよかった実家生活のおかげで、体力は少し復活したかのように見えた。

これまで静かに二人で暮らしていたのに、急に大きな娘と孫が家にやってきて、世話をしなければならない環境は両親にもストレスだっただろう。
生きていてくれてよかった。受け入れてくれて助かった。両親がいなければ途方に暮れていただろうから。

自宅に戻ってからの生活は、最初は特に何の問題もないように思えた。身体は辛いが、皮膚症状は二ヶ月前よりは良くなっていたし、眠れないなりに睡眠も少しは取れるようになっていた。
それでも、不完全な体調で家事育児を続けるうちに、また思うように身体が動かなくなってきた。

気持ちがコントロール出来ない。
恐怖が波のように襲ってきて、立っていられなくなった。怖い。怖い。怖い。

慌てて近所の婦人科へ駆け込んだ。診察受付時間ギリギリだった。事情を説明するが、転院となると前のクリニックの紹介状がいると言われた。死にそうな状況で駆け込んだ病院で、なんでこんな扱いを受けなきゃならないのだろうと、頭が真っ白になった。とりあえず、検査だけはしてくれることになったが、それがなんの意味もないことは、頭の片隅でわかっていた。それでも気が紛れるなら何でもして欲しかった。

事情を話すとそんなわたしを夫は精神的に弱いと責めた。無駄なお金を使わないでくれと言った。
しんどいなら休んでいればいいとも言った。
わたしの身体は最後の力を振り絞って何とか生きているように見えた。
もう無理だと思った。
そして結婚当初に友人の紹介で知り合い、お世話になったことのある、沖縄の整体師さんのことばかりが頭に浮かぶようになった。

もう何年も連絡をとっていなかったが、多分今のわたしを理解してくれるのは、彼しかいない気がしていた。わたしに必要なのは医者ではないことだけは確かだった。
でも彼が住んでいるのは沖縄だ。沖縄に行けるエネルギーは今のわたしには残っていないし、世間はコロナ禍で移動もままならない状況だった。

それでもこの身体を何とかしてくれるのは彼しかいない。そう確信せずにいられなかったわたしは、夫にお願いして、彼に連絡をしてもらった。藁にもすがる思いだった。これでダメなら多分もうダメだ。最後の一縷の望みを託した。

彼からの返信は、オンラインでなら身体を見れるというものだった。遠隔セッションというものだそうだ。どんなものかはわからないが、親しい人のテレパシーを受けとってしまう体質のわたしは、目に見えないエネルギーに対して抵抗はなかったし、この際このコントロールの効かなくなった心身を見てくれるならもう何でもよかった。

そして、彼の遠隔セッションを受けることになった。

スマホの画面に身体全体が映るように、布団に横になった。目を瞑り身体を預ける。温かいエネルギーが身体に流れ込んで来ているのを感じた。

20分後、画面の向こうから名前を呼ばれた。
彼がわたしの身体から発される声を拾い、今の状態を伝えてくれた。

『婦人科系の臓器に、抑圧され外に出せなかった悲しみや恐れが何層にもなって積み重なっています。おそらく何十年分と溜まっているのだと思います。相当分厚く重なっていて、これが皮膚症状、不安感などすべての体調不良の原因になっています。特に悲しみは皮膚に出ます。子宮、卵巣、膣、それぞれのエネルギーがフルで100あるとしたら、今の状態は2〜3です。瀕死の状態です。ここまで耐えてこられたのは奇跡です。』

涙が止まらなかった。
やっとわかってもらえた安堵感だった。
そして彼は今後の施術の提案をしてくれた。

『今の身体の状態だと、ヒーリングに耐えられるのは20分が限界です。それ以上やると、好転反応が酷くなり、余計に辛くなります。なので、これから週に2回20分、遠隔ヒーリングで少しずつ浄化を進めていくのがいいと思います。どうされますか?』

『それでお願いします。』

そして、そこから、本当の意味で地獄の日々が始まった。

身体が熱くて痒くて夜も眠れなかった。
実家療養で少しずつ良くなったかのように思われた皮膚症状はみるみるうちに悪化した。好転反応とはいえ、身体のあちこちには十円玉サイズから千円札サイズにまでどんどん大きくなる傷口、爛れる皮膚、身体の奥底から湧き上がってくる恐怖や悲しみが、連日連夜わたしを苦しめた。

それでも、施術をしてくれ、辛い状況をメールで話したり、それを励ましてくれたり、そんな理解者がいてくれることは何よりの救いだった。

彼には1年間寝たきり生活の、超重症アトピーだった過去があった。そんな彼が伝えてくれる言葉は、わたしのチカラになった。


『今あなたのカラダはクリアな状態に戻ろうとしていて、それを妨害するというかストレスになるもの(こと)に対しては、拒否反応が出るような状態なのかもしれません。

書かれていた通り、横になっているだけでもカラダは回復してくれるので、眠れないことに焦りを感じず、きつく感じると思いますが、カラダは現時点での最善の策をとってくれていると信頼してみてください。

不安や恐怖というのは、それ自体は悪者ではなくて、自分を守るために必要な感情です。

幼少期から今にいたるまで、あなたをなにかから守るために、出てきてくれている感情です。

だからといって頻繁に、そして強く出てきてしまうとやはりストレスに感じてしまうと思いますが。

不安や恐れを悪いものだと認識せずに、「なにを守ろうとしてくれているんだろう?」と俯瞰してみるのもいいと思います。

あとは、抑え込んできたものが出てきているということもあるでしょうし、まだホルモンバランス(自律神経)が不安定なので、どうしても感情もネガティブになってしまいやすい状態です。

いま心身に起こっている現象は、不快だと思いますが、それでもあなたがクリアな状態に戻っていくため、そして守るために、自分の意識を超えた大いなるものがやってくれていることです。

一見ネガティブに感じられるものでさえも、です。

とはいっても心身がきつい状態だとどうしてもストレスに感じてしまうと思います。

そんなときは深く考えずに、ただただ流れに身を任せてみてください。

自分の意志で努力をして良くなろう、というのは、もう少し先の段階です。

いまはただ流れに身を任せて、起こることを見守っていてください。

人知を超えたレベルのエネルギーが、いい方向に導くために動いてくれていますから。

そのすべてを理解しようとする必要もなくて、ただ信頼するだけでいいと思います(それが難しいのですが)。

あとは、現実的な話に戻すと、全体的には改善してきていますが、どうしても体調の波(浮き沈み)はあります。

どんな人でも、あります。

気候も、晴れの日もあれば雨の日もあります。

浮き沈みがあることが、自然界の中で生きているということです。

なので、どうしても調子が悪くなると気になってしまうと思いますが、そもそも浮き沈みがあるのは当たり前のことなんだと思って、やはり流れに任せてみてください。

大丈夫です。

大丈夫だと思えない時もあると思いますが、でも、大丈夫ですから。』


わたしは大丈夫だ。              初めてそう思えた瞬間だった。



施術を受け始めてから1ヶ月が過ぎていた。
まだまだ悪化する皮膚症状に耐え難い苦痛を感じながらも、7月に入ると睡眠導入剤とホルモン剤の両方の薬を手放すことが出来たのは本当にうれしかった。

『とにかくストレスは禁物です。今の状態は甘えではなく、瀕死の状況である自覚をしてください。周りの人に頼って何もしないでください。』


施術開始直後から彼に言われ続けたとおり、自宅では出来るだけ何もしなかった。
それでも最初は、家事や育児をしてしまう。そこに自分の存在価値を見出すかのように。そして辛くなる、その繰り返しだったが、施術が進むに連れて、それが一番逆効果だと言うことが少しずつ理解できた。

ただひたすら横になっていた。

家事も育児もどんどん手放した。

わたしはわたしの身体のために、ただ横になって休むことだけに集中する努力をした。

料理は夫が全てやってくれた。
娘も楽しそうにひとりで遊んでいた。

寝ているだけなのに、いろんなことがうまくまるようになっていく光景が、不思議で仕方なかった。自分の身体の声を大切にしたら、周りにも大切にされるようになってきたようだった。

これまで溜め込んできた感情は、日に日にいろんなカタチで表に出てきた。辛かったし苦しかった。たまった邪気のようなものがリリースされるとき、人は不眠症になるんだそうだ。それでも、これが過去に見て見ぬ振りをしてきた自分自身の感情なんだと言う実感は、浄化を進めてくれた。
こんなにも無視してきた感情があることに、今更ながらに驚いた。

施術を受け始めて2ヶ月が過ぎた頃には、わたしの婦人科系の臓器のエネルギー数値は1桁台から60くらいにまで復活していた。
身体の土台が整ってきた目安である、数値40を過ぎた頃からは、肌に直結する大腸の調子を整えるための乳酸菌サプリを飲み始めた。
身体の微細な声を拾って、必要なタイミングで必要な提案をしてくれる彼の施術は、本当に心強かった。

そして、7月半ばに福岡で出張施術があると言われ、新幹線に乗って福岡へ出向くことも決めた。遠隔ではなく直接身体をみてもらえたことは、わたしの心身にさらにいい影響を与えた。施術の一環で、束の間そっと握ってくれた手の温もりは、わたしをそのまま子ども時代に還らせてくれた。あのとき欲しくたまらなかった両親の温もり。だけど叶えられなかった願い。それを今、こうやって感じさせてもらえている。それだけで十分だった。その後も順調にデトックスは進み、内側はどんどん元気になっていった。外側の皮膚症状はまだまだ拡大していたが、8月に入った頃に、突然ピークが去ったような感覚がやってきた。施術開始からは3ヶ月が経っていた。

その頃から、また彼の提案でプロテインを飲み始めることになった。プロテインはただのタンパク質で、皮膚再生に最も必要な栄養素なんだそうだ。運動している人が飲むサプリのように思われがちだが、人間の身体は、水を除くと、その80%はタンパク質でできているとネットの記事でも読んだ。
プロテインを飲み始めて、皮膚の爛れがみるみる引いていくのを実感した。

そして今現在、わたしの傷口はほぼ、小さな瘡蓋だけになった。

まだ完全に治ったわけではないし、今もまだ2週に一回というペースで施術を続けている。
その中で、また違うトラウマが浮上し、浄化されている最中でもある。

しかし施術を受け始めて4ヶ月、わたしの心身は大きな波を超えていた。
その中で、過去に浄化しきれなかった感情というのは、まず身体を癒すことでクリアになっていくのだという貴重な体験をした。
人の助けがあって、初めて起こる癒しがあると知った。人で出来た傷は、やっぱり人が癒してくれた。それがわたしのいちばんの救いになった。

わたしの調子が良くなっていくにつれ、娘のアトピーまでが改善していった。娘もどんどん元気になった。

自分の身体が醸し出すエネルギーやオーラが、身近な人に多大な影響を与えていたのだということも目に見えてわかった。

だから、もう無理はしないことにした。

どんなにやらなければならないことが目の前に山積みになっているように見えても、わたしはそれをやらないことにした。

いまだにメインの食事は夫担当で、わたしの唯一する家事は掃除と洗濯だけになった。
その洗濯でさえ、やりたくなければやらないし、夕方に干すこともザラだ。

洗濯物は朝干さなければならないという概念は捨てた。そんなことより、自分の身体が望むこと、心地よいことをまずは選ぶ。それは、映画やドラマを見ることかもしれないし、娘と遊ぶことかもしれない。その時々で選択肢は変わるが、昨日の望みが今日は違うのは当たり前だから、一貫性という縛りも捨てた。コロコロと変わっていくのが自然であって、今この瞬間の自分の本当の望みに耳を傾けることが重要なのだと知った。

側から見たら、出来損ないの妻であり母だろう。何にもやらない、何にも出来ない、悪妻愚母上等といったところかもしれない。
だけど、家族はのびのびしている。夫は半沢直樹を見て大笑いし、娘はこだわりのファッションを身に纏って楽しそうだ。それは多分、偽りの良妻賢母ではなく、わたしのありのままの姿、自然な笑顔が増えたからだろう。
そして、買い物や料理を当たり前にしてくれる夫に、心から感謝出来るようになった。
わたしの人生でいちばんの幸運は、彼と結婚出来たことだと今なら思う。

人は、親との関係性の中で根付いた感情のパターン、もしくはそれ以外でも強い感情経験によって作られたパターンを、人生のすべてのものに当て嵌めて、幻想を見てしまいやすいようになっている。それは仕方のないことだと思う。わたしはその幻想の中で苦しんだ。両親や夫の冷酷な部分ばかりに反応して、自分で自分を追い込んだのも事実だ。死に物狂いで働いて、圧倒的な結果を見せつけて、それでも満たされなくて、結局わたしが認めて欲しいと願ったその矛先は、両親だった。時が経ち、俯瞰で見れるようになって初めてわかることというのはやはりある。でも、わからなければわからないままでいい。ちゃんと自分の悲しみだけを見つめてあげる時間が、まずは必要だと思うから。だから自分を痛めつけるような無理だけはしないでほしい。どんなに先が見えないように思えても、抵抗せず流れに身を任せていれば、いつか必ず辿り着ける安らぎの場所はあるはずだから。そんな小さな希望だけはなくさないでいてほしい。



最後に実家で過ごした二ヶ月近い両親との邂逅の日々は、幼き日の傷をリアルに思い出すいい機会になった。おかげで、その後の施術での浄化がスムーズに進んだ気がする。

すべては成るように成っていたと、今ならわかる。

わたしは、家族ではなく、身近な人でもない、一人の整体師の彼に、人生の苦境を救ってもらった。彼はわたしの身体の声を拾ってくれた上に、その先まで見せて導いてくれた。彼に出会っていなければ、わたしの回復劇は別の道を辿ることになって、もっと時間がかかっていたような気がする。正直、今生きていたかどうかさえもわからない。あの時、頭に浮かび続けた彼に連絡をして、本当によかったって思う。

今もし、これを読んでいる中で、苦しみの渦中にいるという人がいたなら、【なぜかわからないけど真っ先に頭に浮かぶ誰かの存在】を、迷わず頼ってみて欲しい。

頼ったり甘えたり、助けを求めたりすることは、人によってはとても勇気のいることだ。拒絶される恐怖は、人を立ち直れなくさせてしまうこともある。わたしはきっと生まれた瞬間は、両親に全力で受け入れられていたはずだ。けれど、生まれた後は拒絶されることが増え、そんな良いと悪いの繰り返しの波の中で悲しみばかりが降り積もり、その気持ちを外に出すことが出来ずに成長していったんだろうなと思う。それは大人になってからも続いていて、今、ようやくゼロに戻ろうとしている。

だから、全部これでよかったんだと思う。

人には人の受け入れられる器の大きさがあり、それはその人の問題で、わたしのせいではなかった。
両親には両親の事情があった。今言えるのは多分それだけだ。わたしを愛していないわけではなかった。わたしは無意識に愛されていないと思い込むことで、辛さを増幅させていた。これが幻想のトリックなのだと思う。だから、仕方がない。悲しいけれど。

それでも、そんな簡単に割り切れない想いがあるのは百も承知だ。両親には無償の愛を注いでほしい。そう願うのは、幼い子どもなら当たり前のことだと思うから。


叶わなかった愛に絶望したまま大人になり、だけど、そんな時にさえ救ってくれるのは、どうあがいたって人の温もりだけなのだ。
お金を払って、マッサージや整体に行くだけでもいい。人の温もりは、自分が今生きているということ、存在しているということを、ただ示してくれる。命の価値に優劣などないことを思い出させてくれる。

だから、諦めないで、勇気を出して、その温もりに手を伸ばしてみて欲しい。

それが難しいなら、ただゆったりとお風呂に浸かるだけでもいい。
自然の恵、その水の感触は、いつもあなたを優しく包み込んでくれる。そんな、大いなるものの存在を思い出すきっかけになるかもしれない。

湯船に浸かっていると、いろんな想いが浮かんでは涙してしまうことが多いわけは、きっとそこにあるのだと思う。

そして最後は何も言わずに、自分を抱きしめてあげてほしい。
身体の叫びが、生きたい衝動が、命の振動が、その手からきっと伝わってくるはずだから。

わたしがこれまでの波乱万丈な人生をかけてまで手に入れたかったものは、この温もりだった。
“わたしはここにいる” そんな心身の叫びを受け止めて欲しい、それだけだった。
それをいつも自分以外の誰かに与えてもらおうと求め続けた。悲しい、寂しい、そんな本当の気持ちを言葉に出来ず封印したままで、ただ欲望のままに求めた。だから余計に苦しかった。
なんという遠回りをしたんだろう。

でもこれからは、目の前の娘に全力でこの温もりを伝えたい。ただ抱きしめたい。
怒る日もある、うまくいかない日もある、それでもあなたが大好きと言うその変わらない気持ちを、娘に伝わるように、言葉に態度に出して、表現していきたいと思う。いつもどんなときも、まなざしだけはぬくもりに満ちたものでありたいって思う。

そして、自分が選んで関わろうとする人、その全てに対しても、出来る限りそうでありたい。
ただそう思う。

もう悲しみの連鎖は嫌だ。
人はきっと本当に大事なことを、ただ忘れているだけなのだと思う。                

すべての人間の命の価値は同じだ。
その温もりに、何も変わりはない。
それだけが真実だと思う。
だから、まずはこの世でたった一人の
自分のことをせいいっぱい愛そう。

堂々と出来損ないになろう。

ちゃんとしなくていい。
しんどい時は一日中布団に寝転がっていればいい。      

何も出来なくても大丈夫。


どんな姿でも、あなたはあなたなんだから。





(完)



②つめの【邂逅】編を描くのが辛すぎて、早く救いにたどり着きたいあまり、一気に描き上げてしまいました。

細かいところは端折りまくっているので、知りたいところが描かれていないと思われる方もいらっしゃるかもしれません。

でもわたしが最後に伝えたかったメッセージは、記せたと思います。

『どんなに辛くても、明けない夜はない。』   

これはよく聞く言い回しだと思います。だけど、本当にそう思います。とても普遍的で素晴らしい言い回しなんだなって、初めて使ってみてそう感じました。

長々と、苦痛な表現が続く物語を、最後まで読んでくださった方には、本当に心から感謝いたします。

まだ描けてない部分や端折ってしまった部分は、物語とは別の記事として、気が向いた時にちょこちょこ描いていこうかなって思っています。

基本的には、前向きで救いのある記事を描いていこうと思っていますので、また気が向いた時にぜひ読みにいらしてくださるとうれしいです。


最後に、この流れつづける世界の中で、いつか辿り着きたいと願う『どこか』へ想いを馳せた詩と、闘病の辛さがいちばんピークだった時の身体との対話を綴った詩を添えて、物語を閉じたいと思います。





あわせて読んでくださるとうれしいです。



心音










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