ほろりと涙。5歳の健気さと優しさに気づかされた大切な気持ち

子育てしていると、つくづく感動させられることがある。つくづく、健気さ、優しさ、いじらしさに、涙目になることがありますよね。大人ながらに、5さいの優しさに、気づかされることも。

今日、チョウを追いかけ追いかけ、何度か逃しながら、ようやく網で取り、虫カゴにいれたココちゃんは、嬉しくて、可愛いね〜なんて眺めながら、うきうきしてた。その様子を見て、ママも良かったねえーって嬉しい気持ちになってた。

帰りの電車の中で、蝶々の飼い方について、携帯で一緒に調べたら、" 蝶のメスは20日間、オスは10日間生きて、死んでしまう。"と書いてある。

"空を飛び回るのがそんなに短いんだね"
と話した。生きてる間に、メスは赤ちゃんをアブラナとか、キャベツなどの葉にたまごを産むんだよね。

カゴの中にいたら、パタパタして羽を傷めてしまい、すぐ死んでしまうことが多い、と知った。

ここちゃんは、"蝶が可哀想だから駅に着いたら空に放してあげる"と、言いだした。

あんなに嬉しがっていたのに、"え、本当にいいの?"と聞いたら、"可哀想だから、そうしてあげたい" という。

駅に着いてすぐに、カゴの扉を開けてあげてあげた。🦋気持ちよさそうに蝶がヒラヒラ空高く飛んでいくのを一緒に見送った。直後、ココちゃんは、突然に悲しそうに、目に涙が溢れそうになるのを我慢しながら、、、😢

"本当はね、、、ココちゃん、蝶々に、蜜をあげたりして、一緒にいたかった。。。でも、蝶々の羽が痛いのも、死んでたまごうめないのが可哀想だから、、、だから、自由になって欲しかった…"

と、言いながら、眉を8の字にしながら、ポロポロポロポロと、涙をこぼし泣いた。その後もしばらく、自転車の後ろに乗り、ママがこぐあいだ、俯いていた。

ひらひらした蝶々が可愛くて、自分のそばに置いておきたいのに、蝶々の幸せのために、自分から空に放ってあげていた。そんな5歳の優しい気持ちに、一歩下がる健気さに、、、なんとも心打たれて、、、ママは涙目になった。

なんなんだろう。。このいじらしさというか、健気さは…。大人でも、過去にこういうことが思い当たる節が、誰しもあるんじゃないかな。

何かを欲しいから、執着して執着して、絶対手に入れたい、または離したくないと、自分の気持ちしか見えないとき。何かを好きで大切で、自分のそばにおいておきたいとき。得たくて、得たくて、自分にとっての利益ばかりに目を向けているとき。

自分の気持ちは、大切だから近くに置いておきたいけど、でも、その大切なもののことを考えてあげる、空に放して自由にしてあげられる優しさを感じた。

"悲しいかもしれないけど、でも、ココちゃんに自由にしてもらった蝶は、生きてるうちに卵をうんで、また青虫🐛がサナギになり蝶になれるね、蝶はとても、嬉しいよね、きっと"

"また蝶を探して観察してみよう、今度は、蜜をあげてみようよ、そしたらまた、空に放してあげよう"
と、話したけれど、帰る自転車にのりながらずっと悲しそうな顔していた。

丁度、マンションに着いたら、大きな水槽に草を入れた男の子の親子がいた。

"わーすごいですね!なにが入ってるんですか??"

と聞いたら、なんとモンシロチョウ、カブトムシの幼虫、ガンホという虫がいるとのこと。一年中、河川敷で虫や幼虫をみつけて、家で育てて、孵化させてるらしい。家のベランダは虫帝国化しているらしい…(ちょっと恐ろしい)笑 

超がつくほど虫に詳しくて、色々教えてくれて、虫博士に👩‍🎓会った気分。ココも悲しさを忘れ、その、虫博士親子の話を聞き入ってた。

なるほど、蝶々の幼虫は多摩川河川敷のアブラナの葉の裏にいるのか!と知り、次なる目標ができた。。

帰宅し、家のドアをあける時には、次なる目標に明るい気持ちに切り替わっていた。なんだか、とても、清々しい気持ちになっていた😊

神様ありがとう!と感謝!で、一日が終わったのでした。

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