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#7「マンガ家を目指すところから始まった旅。ユニバーサルスクールをつくる」。すぎやまさんの「はたらく」ができるまで。


今回の「あの人の“はたらく”ができるまで」は、すぎやまゆうこさん。

すぎやまさんは「マンガ家」だ。と言っても、「マンガ」だけでなく、映像表現、写真展、自主映画等、様々な活動をされてきた。


はじめに

みなさんは「ストーンスープ」という民話をご存知だろうか?
私は、杉山さんから教えてもらい初めて知ったのだが、次のようなあらすじの物語だ。

ある日、旅人が鍋に1つの石を入れ「世界一美味しいストーンスープ」を作っていました。

その様子に興味を惹かれた村の人々が、次第に集まってきます。

人参、じゃがいも、季節の野菜など、人々が具材を持ちより、気付けばスープが出来上がりました。

村人はみんなで美味しいスープを分かち合いましたとさ。

杉山さんはこの物語を映像にした。主人公はネコ。
このネコが意志を放つところから物語は始まる。

「ネコ。」「旅。」「スープ。」

物語と現実が、まるで重なるように、杉山さんの活動は進んでいる。

お話を聞かせて頂いた中で、杉山さんの「はたらく」を紐解く要素は3つだと感じた。
「art」「みんな」「場」だ。

杉山さんの「はたらく」は、どのようにして創られてきたのだろう。お話をうかがった。

※冒頭のデッサンは、ストーンスープの主人公「旅猫」リューイ。杉山さんがデッサンした現物を、手に取らせて頂き、お写真として提供頂いた。

【プロフィール】
すぎやまゆうこ さん
女子美術大学日本画科卒業。白泉社アテナ新人漫画賞新人賞を受賞し、マンガ家デビュー。マンガ作品「Boys’☆PROJECT」「白線上のアリア」等コミックス6冊公開中。

マンガ図書館Z
https://www.mangaz.com/title/index?query=杉山祐子

映像作品「旅猫リューイと不思議の石」「赤い蝋燭と人魚」「旅猫リューイと不思議の石」
https://youtu.be/hr6BX56z1KI

「赤い蝋燭と人魚」
https://www.youtube.com/watch?v=zIx22PQaNEc&feature=youtu.be

また、マンガスクール中野、中央高等学院アートアカデミー、ゆめとぴあ学苑にて講師を担当する傍ら、個人向けレッスンも行っており、海外からオンラインで学ぶ生徒もいる。
「小学生から始めるマンガ教室」の著者でもあり、日本国内、海外にて、「実際にマンガを描く体験」ができるワークショップを開催。
そのノウハウを活かし、テレビ番組「にじいろジーン」「世界仰天ニュース」にて、出演者にレクチャーしたことも。

その他、NPO法人FILMe&あーすりんく理事として、「映像」「表現」を通し、子どもたちをはじめ、多世代にとっての居場所づくりに取り組む。

「宇宙桜プロジェクト」のメンバーとして、宇宙桜(国際宇宙ステーション「きぼう」に運ばれ、地球を4100周して帰ってきた桜の種)をテーマにしたアートコンテスト「ゆめぴっく宇宙桜グランプリ】を主宰している。
現在は、年齢国籍問わずアート、表現、音楽、映像、ダンス等、「多様な学び」ができるユニバーサルスクール「MAM✳︎Earthアカデミア」の設立準備中。


マンガとの出会いからデビューまで。

―本日はよろしくお願い致します!

杉山さん よろしくお願い致します。

―早速お聞きしたいのですが、杉山さんは、小さい頃から「マンガ家になろう!」と思っていたのでしょうか?

杉山さん そうですね。「マンガ家になろう!」と決めたのは中学生の頃ですね。ただ、小学校の頃から、本と絵が大好きで周囲からは「変わってるね」と言われてまして(笑)なじめない、浮いている感じはあったかと思います。

―そうなのですね。私の中では「変わってる=オリジナリティが溢れていて素敵」ですけどね。

杉山さん ありがとうございます。それに、父が厳しくて、小学校までは「テレビアニメもマンガもNG」という教育環境でした。でも、中学生になった時、父親が単身赴任になりまして。そこから一気にオタクになりました(笑)

―オタクに(笑)そこから「マンガ家になろう!」までの流れにとても興味があります。

杉山さん テレビ(アニメ)もマンガも解禁されたことによって、一気にそちら方面に惹かれていきました。

―「マンガ」のどんなところに惹かれていきましたか?

杉山さん マンガの主人公って、基本的に「変わってる」ことが主人公たる武器であり、パワーじゃないですか?

―そうですね(笑)空を飛んでも、破天荒でも、allokだと理解しています!

杉山さん そうなんですよ。一般常識とは違う世界を体験出来ること。「それを描けるマンガって素晴らしいな」と思ったんです。「こういう生き方をしても良いのかもしれない」と勇気をもらえることもあって。わたしのように「生きづらい」と感じてる子どもたちをマンガを通して幸せにできるかもしれない。そう思ってから、私にとってマンガは「最強の心の友」になりました。

―なるほど!そのように思い、マンガに惹かれていったんですね。

杉山さん はい。アニメも好きだったんですが、アニメは大勢で創るでしょう?それに比べてマンガはペン1本あれば良い。「マンガなら1人で描けるんだ」と思いました。そのような流れでしたね。

―そこからオタクの道へ突き進むんですね。具体的には、どんなことをしていたのでしょうか?

杉山さん 「コミケ」と呼ばれるコミックマーケットに行ったり、始発に乗りマンガ家のサイン会に行ったりしていました。マンガ家のインタビューがあれば、それを録音して何度も聞いたり、マンガアニメ雑誌や昔のマンガを収集したり。数少ないマンガ友達とコピー本をつくったり、アニメ上映会に通ったり。そんなことばかりしていました。

―探究心がすごいですね。

杉山さん そうかもしれませんね。そして、14才の時、「将来マンガ家になる!」と宣言しました。「私みたいに生きづらさを抱えている子どもがいるはず」「そんな子どもに希望を与えられるのがマンガ家だ」と思ったからです。
でも、それを両親に伝えたら父親は大反対でした(笑)

―あらら。とっても素敵な「思い」なのに、お父様は反対なさったんですね。お母様の反応はどうだったんでしょう?

杉山さん それが幸運で、母は反対しなかったんです。と言うのも、母方の母つまり私にとっての祖母は「創ること」が大好きな人で。女子美大の先輩でもありました。和裁、洋裁、お琴、唄などの習い事をいくつもしていた記憶があります。

―味方がいて良かったですね。

杉山さん ええ。そこから必死に勉強して、女子美術大学の付属高校に入学しました。その高校には「アニメ同好会」や「マン研」があって、夢のような高校だと思いました。でも、高校で1度挫折したんです。

―挫折ですか?どういうことでしょう?

杉山さん 入学してみると、付属の中学校から進級している生徒もいて、非常にレベルが高い。「天才だろう」と思う人や「才能の塊」みたいな人がゴロゴロいるんですよ。結果、同じ学年でプロデビューした人が4人も出る、とんでもない学校でした。

―すごい学校ですね。そのような周囲の人たちを見て尻込みしてしまった、ということでしょうか?

杉山さん そうですね。「わたしなんかにプロは無理かも」と思いました。そこで、「漫画家は無理かもしれない。でも、他に何ができるんだろう?」と思い、他のことにも目を向けました。例えば、アニメ、声優、演劇、音楽など。環境は素晴らしかったので。

―どのような環境だったのでしょうか?

杉山さん 高校の部活では、アニメスタジオ見学に行く機会があったり、クリエイターに直接話を聞ける機会もありました。例えば、宮崎駿さんに直接お話を聞く機会があったり、さいとうたかをプロを見学したり。そのような素晴らしい環境でした。

―とても良い環境ですね。でも、「漫画家は無理かもしれない」という心持ちのまま、大学へ進学されたのでしょうか?

杉山さん そうですね。だから、大学入学後は、「演劇」や「ミュージカル」「合唱」などの身体表現や、ボランティアを中心に活動して、「オタク」を脱却して人間改造(笑)しようとしてましたね。

―そうなんですか(笑)でも、そのうち就職活動に入りますよね?

杉山さん ええ。いよいよ就職活動になって、ある時、出版社の面接に行ったんです。その時、面接官から「本当に君のやりたいことは何?」と聞かれて、私は「絵を描くこととお話を創ることです」と答えました。そうしたら「それってマンガじゃないの?」と言われて。

―なんだか、色々見て、一周して戻ってきた印象を受けますね。

杉山さん そうですね。当時、漫研の友人に誘われて同人誌を年1回ほど描いていて、それを読んだ朝日ソノラマ編集者の方に「マンガを描ける子はたくさんいるけど、読後感を感じさせるマンガを書ける子はあまりいない。君のマンガは読後感に残る何かがあるね。応募してみたら?」と仰って頂いて。

―すごい評価されているじゃないですか!

杉山さん 有り難いことに、そうですね。だから、そのように背中を押してもらって、就職活動の代わりに応募してみたんです。

―ドキドキします!結果はどうだったんでしょう?

杉山さん ビギナーズラックで、年間新人漫画賞の佳作を貰い、有り難いことにデビューが決まり頂きまして。

―すごい(笑)!おめでとうございます!!!

杉山さん でも…

―「でも?」ですか?

杉山さん はい。在学中にマンガ家としてデビューが決まったんですが、なんと、その雑誌が突然休刊することになりまして。

―ええ?そんなことあるんですか?すると、デビューできなかった、ということでしょうか?

杉山さん いえ、別冊「Duo」でデビュー作と、もう一本掲載されたのですが、その後、雑誌そのものものがなくなりまして。

―なんと!それでどうされたんでしょうか?

杉山さん 思い切って、当時、私の好きなマンガ家さんがこぞって連載していた出版社、「白泉社」の中でも1番大きな賞に応募しました。

―またドキドキしますね!結果は、どうでしたか?

杉山さん 有り難いことに、新人賞を頂きました。

―きた~(笑)!!物凄いことですよね。それが、「アテナ新人賞漫画賞」でしょうか?

杉山さん そうですね。ありがたいことに、憧れの雑誌別冊「花とゆめ」でデビューを果たしました。
また、以前休刊した雑誌が、改めてホラー少女漫画雑誌を創刊することとなり、ホラーやミステリーのお仕事も増えて来て。
そのため、フリーとなり、色々な雑誌で、読み切り、シリーズ連載、連載など、作品を発表するマンガ家人生がスタートしました。
でも、振り返ってみれば、順風満帆とは言えないですね。だって、これまで、休刊、廃刊、倒産など、全部で7社。そのような経験をしましたから。

―なんと!デビューしたからと言って、全く安泰じゃないんですね。

杉山さん フリーランスのクリエイターというのは、そういう側面がありますね。



マンガ「作品」も素敵、それ自体が芸術。でも、「その作品を創った人」こそが“最高の芸術”なんじゃないか?

―マンガ家を一旦お休みされた時期もあったんでしょうか?

杉山さん そうですね。子どもが生まれたことがきっかけですね。「マンガ家として活動している時間」と「子育てをしている時間」、ONとOFFの切替が難しくて。

―何かを創作している時の脳や身体の使い方、子育てをしている時の脳や身体の使い方、なんとなく違いそうな気がしますね。

杉山さん そうなんです。こどもに背中を向けて仕事優位になっている時にふと思ったんです。「そもそもマンガで子どもを幸せにする!」と目指した仕事なのに、「今、自分の子どもは幸せにできているだろうか?」って。だから、一旦お休みしてみようと思いました。

―そこでお休みできたからこそ、その後の活動に幅がでるのですね。

杉山さん そうですね。ペンを置いてから、「子どもと一緒に、何か創作できないだろうか?」と考え、写真や映像の勉強を始めました。それから、ご縁が重なり、自主映画を撮ったり、写真展を開催したりしました。

―マンガとはまた違う世界ですね。

杉山さん そうなんです。下北沢「ラカメラ」での「少年紀」という写真企画展の際、寺山修司氏ゆかりの映画監督山田勇雄氏よりアートディレクションいただき、映画プロデューサー寺山偏陸氏と共にコンセプトを固める場面にも携わらせて頂くことができました。映画制作にも記録カメラマンとして同行させていただき、映像制作の大変さ、難しさ、面白さを知りましたね。

―経験できて見分が広まった、という感じでしょうか?

杉山さん そうですね。ペンをフィルムに持ち替えて、自主制作映画を撮ったことで、「映像は総合芸術なんだ」と実感しました。そして、人の教育にも「映像」は役立つかもしれない、とも思いはじめました。

―「映像は総合芸術」という言葉、もう少し教えて頂いても良いでしょうか?

杉山さん 映画は、演出する監督だけでなく、役者、音響、照明、撮影カメラマン、衣装、美術、音楽など、様々な分野の芸術家が、才能を結集させて一つの作品を創り上げていきます。
アニメもそうですが、一人では出来ないからこそ、個性を活かし、助け合い、コミュニケーションし、連携した作品づくりを通して「人間力」を身につけられる。
力をあわせて素晴らしい作品を生み出す、その
「結果」も大切なのですが、制作の「過程」にある「人間力の育成」こそ「教育」の根幹ではないかと。

―なるほど。

杉山さん 「演劇」も「音楽」も、同じなのかもしれないですが、「生」ももちろん素晴らしいんですけど、わたしはどうしても「後に残したい」欲があって。
更にネットの世界になって、「映像表現」の可能性は無限に拡がったと感じています。

―今の活動の1つの「講師業」にも繋がってきそうですね。先ほど「教育」というワードが出ました。そのような体験、思いが重なって「マンガ講師」も始められたのでしょうか?

杉山さん そうですね。先程とは真逆の論理ではありますが、マンガはたった一人で「総合芸術」を表現出来る最高峰の芸術ですからね。
その制作過程でも「人間力」は必須ですし、制作を通して磨くこともできます。

―そうですね。

杉山さん そのような経験を通して、映像表現の素晴しさに気づくと同時にその制作環境があまりに劣悪なことや、クリエイター側が、尊重されるどころか、搾取される側となってる日本のクリエイター業界の仕組みに戸惑いも感じました。
もっと組織的に、マンガ、映像の表現者の組合をつくり、クリエイターが社会参加することで、地域活性化、まちづくりにも貢献出来るのではないか?
次世代の育成に取り組むことで、クリエイターの権利を護り、地位向上にもつながるのではないか?と考えました。

―なるほど。

杉山さん それで、15年前、2007年11月に映画監督らと共に、「NPO法人映画表現育成協会FILMe(フィルミィ)」を設立しました。
当時の活動の中心としていた下北沢は、駅前の再開発で町が揺れていて、開発賛成派、反対派と分れていました。
下北沢映画祭や、アートイベント下北沢大学の発起人のひとりとして、アートによる「まちづくり」にも、積極的に関わりだしたのもその頃です。

―まちづくりにも繋がるんですね。

杉山さん はい。下北沢の面白いところは、その「指向性の違い」「多様性」を「art」で表現しようとしたんです。元々そのような文化的素地があるから、出来たことだとは思います。
劇場もライブハウスもあるし、映画館もあるし、今でもクリエイターを育む環境があります。
官民学、様々な力を活かし、対話しながらより魅力的なまちづくりを進化させている、数少ない成功例となってると思います。

―下北沢、大好きです。よく通っていました。

杉山さん そうですか!嬉しいです!
下北沢で、NPOとして、映画祭や、映像ワークショップ、アートイベントの実行委員などの活動を通して、改めて思ったのは、「特性(特異な才能)」のある子を育てる土壌がまだまだ日本には少ないな、ということを感じました。
私は「女子美」という学校に行けたから、たまたま伸び伸びと育ててもらえる環境があったけど、特性がある子は、普通の学校ではその才能を伸ばせないどころか、異端として弾かれたり、排除されたり、というケースもあると思うんです。わたしが中学の頃「オタク」といじめられたように。

―確かに。そういう一面もあるかもしれませんね。

杉山さん 作品づくりも楽しいですが、今、わたしが最も楽しいのは「人づくり」です。
マンガなど「作品」は、それ自体が「芸術」なのは間違いないですが、実は「その作品を創った人」「作家」こそが“最高の芸術”だとも思うんです。
だから、そうした芸術家、表現者を育てるのも、素晴らしい芸術活動のひとつなんじゃないか?って。

―なるほど!そういうことですね!そのような経験、思いがあったからこそ、マンガスクール等で教えることはもちろん、現在進行形の活動、「ユニバーサルスクール」という構想が生まれてくるんですね。繋がりました。

杉山さん そうですね。


「ユニバーサルスクール」をつくる。


―杉山さんは、現在、「ユニバーサルスクール」を設立する取組みも進めていますよね?

杉山さん はい。今まで取組んできた点と点が繋がり、集大成となるような、マンガや映像を教科書に学べる、ユニバーサルスクールを設立しようとしています。そんな話をしていたら、この前、ある方から「ミュージアムも良いんじゃない?」という話もあって。

―マンガミュージアムですか?

杉山さん そうですね。「ミュージアム」だと、マンガ作品そのものを収集することもできますし、後世に残るアーカイブ、保管庫的な役割も果たせる。
マンガアートミュージアムこそ、「表現者」を深く識る、“学びの場”に最適なのではないか、と。

―先ほどのお話「マンガ作品も芸術だけど、その作品を創った人こそが最高の芸術」という言葉に繋がりますね。

杉山さん そうですね。私は、作品を“生み出している側”に興味があるんです。どんな生い立ちで、何を考え、どのようにその作品が生み出されたのか。

―その視点、とても分かります。とある作品が生み出される大元ですよね。同じクリエイターさんでも、その人の生涯において、ある年代とある年代の作品のテイストが変わっていたりしますもんね。

杉山さん そうそう。ユニバーサルスクールは、「場」です。その人自身がもつ「表現」を活かして、子ども大人もお年寄りも、みんなが学生であり先生となって、多様な学びを分かち合う場にしたいんです。

―なるほど。だから、ユニバーサルスクール設立に向けたマイルストーンとして、「心あるスペシャリスト、クリエイター等、多様な方たち」と設定していらっしゃるんですね。

杉山さん そうですね。

―脚本家、デザイナー、舞踏家、イラストレーター、マンガ家、保育士、教員、大学教授、科学者、プログラマー、映画監督、ゲームデザイナー、作曲家、造形作家、アナウンサー、専門家などなど。このような人たちと触れ合える「学びの場」を創るのですね。

杉山さん そうですね。従来型の学びの形だけでなく、そのような方たちと生で話ができ、交流し、その人のことが“良いな”と思ったらそのまま何かを習えたりできる。そのような「場」ですね。

―なるほどです。そのような「場」がキッカケとなり、大小問わず、その人独自の「作品」が出てくるようになったら素敵ですね。

杉山さん そうですね。

―体験学習、身体表現、自然体験、造形、仕事体験、等々。とてもグラデーションのある「場」になりそうですね。その取組み、応援しています!本日はありがとうございました!!!


※以下は杉山さんのリンク集です。

漫画家
すぎやまゆうこ
(杉山祐子)
https://www.facebook.com/2564696713755148/posts/2821311214760362/?d=n

女子美術大学日本画科卒業
白泉社アテナ新人漫画賞新人受賞
コミックス6冊公開中
マンガ図書館Z
https://www.mangaz.com/title/index?query=杉山祐子

「旅猫リューイと不思議の石」
https://youtu.be/hr6BX56z1KI

「赤い蝋燭と人魚」
https://www.youtube.com/watch?v=zIx22PQaNEc&feature=youtu.be

講師
マンガスクール中野
https://www.nakanomangaschool.jp/sp/
中央高等学院アートアカデミー
ゆめとぴあ学苑

にじいろジーン
世界仰天ニュース
番組出演

NPO法人FILMe &あーすりんく
理事
https://earth-link.org/
映像、表現によるこども、多世代の居場所、子ども食堂、クリエイターの社会貢献、地域活性化、国際交流

誰でも分け隔てなく学び合える
多世代オンライン&リアルのフリースクール
ユニバーサルスクール
MAM✳︎Earthアカデミア
設立準備中

ゆめぴっく
宇宙桜グランプリ
yumepic.earth-link.


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