見出し画像

黒川くん。

「あなたと一緒にいたい」ではなく、
「あなたから離れたい」にいつの間にかなっている自分と、共に生きている苦しみがあなたには分かるだろうか。



黒川くんは明後日から海外へ行く。
黒川くんは私の元カレで私は黒川くんの元カノジョ。
でも今は、「元恋人」ではなく「友人」という関係性になっている。
あくまでも私は「元」を付けたとしても「恋人」という形容はせず「友人」というランクで生きたいと願っているが、黒川くんにその気持ちが伝わっているかは正直分からない。

海外に旅立つ前に会う相手として、元恋人の私を選び連絡をくれた黒川くん。
私は友人の黒川くんと会う約束をした。

別れを切り出したのは私。
別れるのには何カ月もかかった。
別れを切り出したタイミングはわりと早かった。

別れを切り出した理由は、どこかでこの関係にピリオドを打ちたいと私がずっと思っていたから。私はずっと思っていた、彼は違ったけれど。

私には結婚願望があり、彼はそこまでまだ考えていないふんわりとした感じだった。

「楽しかったら俺はそれで幸せ。ユキちゃんがいたらそれでもう幸せ」

そんなふんわりとした考えに私が不安になり、しびれを切らして関係性をグレードダウンさせた。
贅沢な悩みかもしれない。

でも、曖昧さが苦手で、なんでも計画的に、そして将来の事もしっかりプランニングしたい私にとって黒川くんのふんわりとした思考は、時々私をイライラさせていた。

わがままなのかもしれない。
でも女性は不安の生き物。

雲行きが見えない世界を進んでいくことは怖く、「女性」という生き物に生まれたがゆえに「妊娠」や「出産」という女性特有の自分で自分の人生をコントロールすることが難しくなってくる時期がやって来る。
私は子どもを持ちたいという願望があったため、産むことのできる年齢などを考えると、やっぱり「結婚」を視野に入れた相手を見つけていく時期だと思った。

「ユキちゃんがいたらそれだけで俺は幸せ」

そんな黒川くんの言葉にはたくさんの無性の愛が詰まっているように見えるが(本人もきっとそう思っているだろう)、それがかえって「女性」という生き物の複雑な心を不安にさせ時に怒りさえ生む材料となってしまう。

すれ違いが繰り返される日々の中で、私にはパチパチという小さな火花の音が聞こえる日が増えていっていた。

気が付くと火花は炎となっていた。



久しぶりに黒川くんに会った。何も変わっていない子どものような彼。
その幼さに懐かしさを覚えつつも、時々「恋人がするような関わり方」を冗談半分でしようとしてくる彼に少しだけがっかりもしていた。と同時にそんな風に、彼に「大人のようなふるまい」を求めている自分がいることに葛藤した。

「私が多くを求め過ぎなのだろうか」と。

「もう恋人じゃないんだよ。」そう言いたかったけれど、少しでも強く言うと悲しい顔をすることを知っていたからグッと堪え。
でもすぐに、「もう恋人じゃないんだから言ったらいいじゃん」と、自分の気遣いに対して自分が喝を入れていた。



「意外と楽しいね」
初めに向かった宇宙科学館で、私は友人の黒川くんとそれなりに楽しんでいた。
黒川くんも始終笑顔で、元恋人との時間を楽しんでいるように見えた。
黒川くんといると、私の中に「子ども」が戻る。
無邪気さというかなんというか…。

こういう時に黒川くんも必要な存在だなと思ったりした。
でも私たちは友人なのだ。関係性といものをはっきりとさせ大事にしたい私にとって定義は重要。
私たちは友人——。

宇宙科学館の中でガラスのブロックを通して光の屈折する様子を見たり、
三原色のライトを重ね合わせていろんな色を作ったり、
音がやたら大きく反響する部屋で小声で話してみたり…

久しぶりのプラネタリウムでは人工だけれども美しさもある星たちに包まれ物語を聞いていた。

私は一度も黒川くんの顔を見ないようにしていた。

見てしまったら私の中で定義している「友人」という枠から逸脱しそうで、そこに怖さを抱えていたから。
私に対して心残りがある様子を感じさせる黒川くんの気持を再燃させないように、こちらも気を付ける義務があると感じていたから。
私には心残りは全くないのだけれど、彼の細かな言動から滲み出るもので感じていた。
「この人はまだ、心の整理ができていないんだな」と。

別れを切り出した人間の義務だと思う。想いを再燃させないように気遣うことは。

どうやら私は、何が何でも復縁を避け、「友人」という関係を守り抜きたいようだった。


なぜ、男性は、復縁を求めるのだろう。
なぜ男性は、女性が離れていってしまった原因に、気づけないのだろう。
なぜ男性はそういう予兆があることを察知できないのだろう。

何度も信号を出していたけれどその時は掴んでもらうことが難しく、離れてから気づかれる。
永遠のテーマかもしれない。

「私はもう限界です、あなたと別れたい」

何度も言った。

でもその時は必ず「ごめんね」の謝罪と「次から改善するから」と続けようとする言葉。
この流れがワンセットの台詞のように滑らかにいつも繋がっている。

別れ話を女性から切り出されることはつらいかもしれないけれど、切り出す方もつらいのだ。
そしてそれ以上に、関係を続けようと必死になられることが、比にならないくらい苦しい。苦しいというかその感情を超えた先にある「落胆」というか「哀れみ」にも似ているような感情に行きつく。

「どうしてそんなに必死になるの?あなたが必死になればなるほど離れたい気持ちは増幅していくのに。どうして原因を考えられないのだろうか…」と冷めた感情、とても冷たくて暗い、冬の夜の「かまくら」に一人いる時のような感覚。

何か鎖がまとわりついているようで。
重たすぎる愛が鎖のように絡みついてくる。

「あなたと一緒にいたい」ではなく、
「あなたから離れたい」にいつの間にかなっている自分と共に生きている苦しみが、あなたには分かるだろうか。

たくさんの「自分なり」の愛で愛している気持ちでいっぱいのあなたにはきっと、この苦しみが分からないだろう。
自分なりの愛の形に酔いしれて、きっと盲目になっているだろう。
愛しすぎることで生じる苦しみに苦しんでいたのだろう。
その愛から逃げたくてたまらなかった真反対の向こう岸に存在する私の苦しみの事は、きっと想像もつかないのだろう。



そうこうしているうちに、宇宙科学館でのプラネタリウムが終了した。
星の一生を学んだ。とてもスケールの大きな話だった。
星は生まれた時から燃え続け、燃え尽きて死を迎える。
ただ、一生の死ではなくその燃えカスからまた星が誕生する。

不死鳥のようだった。

人間の愛は不死鳥のように循環しない、切れたら終わる。
そこからまた再生はしない。
再生することが大きな苦しみを伴うことを、私たちは無意識のうちに知っているのだと思う。
愛は永遠ではないことが多い。
だからその脆いものに自分の心が壊されてしまう前に、防衛反応として自ら破壊していくのかもしれない。
もしかすると私は別れを切り出したのも、心なしかそのような感情が自分の無意識の領域で働いていたのかもしれない。

分からないけれど。


夕食まで少し時間があったため少し散歩をしていた。

夜桜が美しく咲いていた。
私たちが「恋人」になったのも、今より前の春だった。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?