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コロナ感染4日目:「with コロナ」っていうけど

早々とネタは尽きた感はある(笑)

何の衒いもなく言わせてもらえば、
2022年4月現在のコロナ感染は流行し始めた2年前ほどの「絶対に死ぬ」といった絶望感はない,と思う。今となっては風邪と同じ症状なんて言われている。
その当時あまりに衝撃的だった、志村けんが亡くなった事件からもう2年になるが、自分が飲んでいる薬を飲んだら彼は助かったのかもしれないとさえ思う。
当時よりも罹患者数も増え(当時も夜遊びしまくっていた人への偏見、自分だけじゃないという安心感と罪を共有する感覚?)、それほどに重症化しないし(今のところは)、ワクチンもしたし、ましてや重症化させないための新薬(特効薬?)も出始めている。
そんななかでもう、「withコロナ」に向けて世の中は舵をとり始めている。

誰でも、いつでもコロナになりうる

東京都民1400万人のうちすでに120万人以上が感染している。もう10人に1人はコロナ感染者なのである。おそらく調べていないキャリア数を含めると恐らく倍以上はいるに違いない。「自分はならないし、なってない!」でも恐らく感染していて無症状の場合も往々にしてあるだろう。いや、あり得る。
だから、注意しすぎるくらい注意していたのに罹患してしまった自分は間抜けだと思わないようにしている。僕には家族がいる。家族が罹患しなかっただけでも良かったのである。コロナ感染への「注意」は継続するに値する。

もしかすると子供や妻が罹患していたら…と思うと実はここ2日近く眠れていなかった。
コロナに感染してしまい、僕は自分自身を父親としても一家の大黒柱としても失格だと思っていたし、この感染初日から身体の不調のほかに軽いうつ状態に陥っていた。自分自身、満を持してという状態で病名を告げられるわけではないので心の準備さえもできてはいなかった。

ただ、いつもと違う咳、いつもと違う風邪の症状、いつもと違う花粉症の症状、この「いつもと違う」が早期発見には有効だったと思われる。営業に出る前に鼻の奥がなんか変だから耳鼻科に寄って行こう、で陽性であることが判明したが、寄らずにそのまま営業先でばらまいたと思うとぞっとする。
「バレなきゃいいんじゃね?」という考え方もあるが、公共心と社会性のうえでその考え方は排除した。

それで今回、ホテル隔離を真っ先に申し込んだ。
家族に感染させるわけにはいかない。もしかすると感染しているかもしれない。兎にも角にもすぐ電話で妻と話して僕が「ホテル隔離する」ことで合意した。
それと会社は感謝以外の何物にも代えがたいものを用意してくれた。コロナ感染者に特別休暇として10日間の有給休暇を取らせてくれるという。まだ社内適用は2例目だというが、これはありがたいことだった。

「with コロナ」という社会の構築のために


それに隔離とは言え、ホテル生活もできている。あまり深刻に考えていないように見えるが、深刻に考えないようにしないと意外とやってられない。

罹患してみてこういうものかと思ったが「伝染させない」というのも不便なものだ。これで経済を止めてしまうというのもまた不経済な話である。

この居心地の悪い世界には「神」は介在しないらしい。恣意的に自分だけをコロナから都合よく隔離してくれているわけがない。そのリスクは平等に与えられている。古今東西の神々は人間を実存的には救済しないのである。
あらゆる神学者と宗教団体の長たちよ! 国に寄付したまえ!(爆)

だからこそ、「社会の寛容な部分」を是非に「行政」に担ってほしいと思う。

それは、ソーシャルサービスの部分である。どうせ今後税金だって(国が)上げるのだろうし、教育だってめちゃくちゃじゃないか(学力の低下も著しい!)。いま、手厚くしなくてはならないのは国民への「保護」である。単なる選挙のための「バラマキ」ではない措置が必要なのだ。
借入金への減債措置や社会保障を始め、飲食店だけではない救済措置が必要なのである。かくいう僕だって2年前に比べて年収は200万ちかく減っているし、共働きではないからその減額はダイレクトに家計に響く。前年度より収入の減っている人を対象に助成金の追加支給してほしい。減額幅で調整できなくはないはずだ。一律10万でなくても良いではないか。

それがなくては「with コロナ」という社会は成立しえない。

枠組みもなけりゃ、カネもないなんて、そんな社会に順応しえるほど人は国家奴隷になりさがれるわけじゃない。国民国家という名のもとに団結を訴えるならば、そういう措置を行政として検討してほしいもの。

ただ、ここの隔離されているホテルの飯は良い(笑)

行政の、都政の寛容さがでているものだと思う。てっきり僕は「病人食」が出るものだと思っていて、あまり期待はしていなかったのである。
サナトリウム的な非人間的な扱いをされるものだと思い込んでいたが下卑ているのは中の人間たちだけで人権やそのホテル内での生活は保障されているのである。
無償で隔離して飯を食わせてくれるなんてそうそうないことである。まあ、たしかに外界に接触させないように隔離は徹底されてはいるのだが。

さあ、それでは今日の3食を見てみよう。

パンと生ハム、サーモンと根菜のマリネとサラダを和えてあるもの、玉子焼き・マカロニサラダそれにデザートはライチの実
ハンバーグにケチャップの載せたもの、マッシュポテト・あんかけ卵焼き・春雨の中華サラダ・キャベツと桜エビの煮びたしなど
春巻き・エビが載った肉シュウマイ・あんかけ卵焼き(グリンピースが入っていた)・ナスの漬物・大根の漬物・おからと野菜の和え物

弁当の容器は同じなので同じ業者が作っているのだろう。
タンパク質をとらせるために割とパワーフード的なものが多いのが特徴か。女性はいささか重たいかもしれないし、若者は足りないかもしれない。そこは焼きそばが支給されている。

個人的にはカップ焼きそばならペヤングなのだが、贅沢も言ってられない(笑)これは都が買い上げたのだろう。

普段から権力について懐疑的になっている僕らはこういう事実を突きつけられると途端に小池都政への従属を表明したくもなる(笑)。たしかにこれがそうなのかよという意見もあるだろうが、すくなくとも行政が機能していないアメリカなんかよりは随分とマシだと思う。ここは当たり前だと思わずにこういった行政対応や国民皆保険制度のありがたみを味わおうではないか。

日本は売られるかもしれない瀬戸際

目くら滅法に選挙で自民党に入れていると水道や電気やガス、などインフラ設備や保険制度などが民営化されていくのである。
「民営化」という言葉に注目してもらいたい。「民営化」とは「株式会社」になるということだ。民主主義的にみんなで管理するのではないのだ。

例えば、水道管が老朽化して変えなくてはならない場合に、水道インフラが企業化されていたならば、採算がとれないと判断されたら水道管はそのまま放置されるのに値段だけは上がるという事態になる。実際にフランスでは水道の民営化が為されて大失敗している。

当たり前にあることを半永久的にあるのだと盲信するのではなく、当たり前にあるものを守るためにはどうするのか、という意識が大切なのだ。

そう思わないだろうか?

note ――つくる、つながる、とどける。

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