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「首の皮一枚つながってれば生きてけんだ」

「首の皮一枚つながってれば生きてけんだ。」

これは2年前に亡くなった爺ちゃんが、酔っ払うたびに言っていた言葉だ。酔っぱらうといつも、これを繰り返し繰り返し言っていた。

首の皮一枚は辞書的に言うと、「皮1枚で首がつながっていること。 まだわずかな望みが残っていることのたとえ。」だ。

実際には、首の皮一枚つながっているだけでは生きていけないんだけど、爺ちゃんは「どんなにつらくても、生きてればなんとかなる」ってことを言いたいのかなって思っていた。

爺ちゃんはなんだかちょっと怖くって、一対一で会話したことなんてほとんどなかった。でも、酔っ払ってこれを言うときだけは、まっすぐ私の目をみて、何度も何度も説き立てるように言っていた。

両親は爺ちゃんがこの状態になると、そそくさと帰る準備をし始める。すると爺ちゃんはその場で横になって寝てしまい、大きな声で寝言を言い始めるのだ。


爺ちゃんの話をする時、私はいつもこの言葉を思い出す。繰り返し何度も言われた言葉だから、爺ちゃんの顔とセットになって浮かんでくるのだ。でもこれを両親に言っても「そんなこと言ってたっけか」と覚えてない様子だ。

あんなに何度も言っていたのに覚えていないなんて。
もしかしてこれって、私だけに言っていたことなんだろうか?
毎回酔うたびに、私にだけ言い聞かせていたのだろうか?

しかし、こう何度も聞かされた甲斐あって、この言葉は自分の中に深く染み付いている。その証拠と言っていいのかはわからないけれど、つらかった時も、命を絶ってしまいたいと思ったことは一度もなかった。

会社に行けなくなったのは、爺ちゃんが亡くなってすぐのことだったけど、もしかしたら爺ちゃんのこの言葉が助けてくれていたから、落ち込みすぎずにすんだのかもしれない。


そう思うと、爺ちゃんは私が会社に行けなくなってからのことを知らないんだな。もし知ったらどうなるだろうか。なんだかすごく叱られる気がする。

いや、もしかしたら、またおんなじ言葉を言われたかもしれない。

「手足が無くなったって、首の皮一枚つながってれば生きてけんだ。」

って。

これ、座右の銘にしようかな。
噛みしめれば噛みしめるほど、いい言葉だと思う。

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