こ林

1996年生まれ。

こ林

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マガジン

  • 生きるの下手くそ日記

    自分の苦手なことについて書いたnoteを集めました。

最近の記事

見捨てられ不安との向き合い方

なんだかまた、不安に襲われるようになってしまった。ここ1年は気持ちが安定していて、ほとんど不安を感じることなんてなかったのに。 一度不安に襲われると、一時的に不安から解放されたとしても、すぐにまた不安がぶり返してしまう。そうやって繰り返し不安に襲われていると変に癖づいてしまって、なかなかそのループから抜け出せなくなる。 今繰り返し感じているのは「見捨てられ不安」だ。これには子どもの頃から悩まされてきたけど、「見捨てられ不安」と呼ばれるものだと知ったのはほんの2年前のことだ

    • モチベーションで仕事するのはやめたい

      最近やたらと仕事が忙しく、自分のやりたいことが思うようにできない日々が続いている。やりたいことをする時間も気力もなくて、寝る、ご飯を食べる、仕事をする、お風呂に入る、稀に掃除するという、ただただ生きるために必要なことだけしている状態になっている。 好奇心が仮死状態になってしまっていて、YouTubeですら内容の濃いものは見ることができない。やりたいことはあるのに、体が拒否してしまう今の状態は、かなり精神的にくるものがある。 こうなってしまったきっかけが、同じチームの社員や

      • 値段で妥協するとほぼ100%後悔する

        PCを買った。 持っているPCが使い物にならなくなり、しばらくの間使える自宅用のPCがない状態で過ごしていたのだけど、さすがに不便すぎるということで新しいPCの購入に踏み切った。前回PCを購入したのが約8年前の大学2年生の時だから、そりゃ使い物にならなくなってもおかしくないよなと思う。 自宅用PCがない期間とリンクするように「メンタルは安定しているはずなのになぜか何も手につかない」という時期が1年以上続いていたのだけど、仕事以外の作業ができる環境が整ったおかげで、色々勉強

        • 結局、距離を置くのがいちばん早い

          ただ生きているだけなのに、舐められてるな〜と感じることが多い。こっちが勝手に舐められていると感じているだけで向こうはそんなつもりはないのかもしれないけれど、「舐め」が滲み出ちゃってるなーと思ってしまう。「こいつならこれくらい言っても大丈夫だろう」という雰囲気を勝手に感じ取ってしまって、勝手に悔しい気持ちになる。 私が舐められやすい人間だなと感じ始めたのは子どものころだ。「舐める」という言葉は知らなかったけれど、言語化できないモヤモヤとして「舐め」を感じていたように思う。親か

        見捨てられ不安との向き合い方

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        • 生きるの下手くそ日記
          337本

        記事

          自己評価と他己評価の乖離について

          自己評価と他己評価の乖離が、想像していたより大きいのかもしれないと思い始めた。 私自身としては、自己評価が低すぎもせず高すぎもせず、割と妥当なラインなのではないかと思っていたのだけど、思っているより自己評価が低いのではないかと思う場面が、ここ数年で増えてきた。自己評価よりも他己評価の方が高い状態、つまり、買いかぶられている状況ってことだ。自己評価よりも良い評価を受けると、「私はそんなふうに思ってもらえるような人間じゃないのに」と、胸がザワザワする。 例えば、私のコミュニケ

          自己評価と他己評価の乖離について

          読みたい本を、読みたいように読む。

          本の読み方を、一気喰い方式からつまみ食い方式に変えた。 「やりたいことをやりたいようにやる」という映像研の浅草氏の言葉に感銘を受けてから、ことあるごとにこの言葉を思い出して日々を過ごしてきた。そしてついに、本を読む時も「読みたい本を読みたいように読んでみよう」と考えるようになった。 これまでの読書スタイルは一冊集中型で「今日はこの本を読むぞ」と決めて一気に読み進めると言うことをしていた。でも今思えば、集中力のない私には明らかにその方法は適していなかった。 集中して読もう

          読みたい本を、読みたいように読む。

          記憶の冷凍保存

          久しぶりに文章が書きたくなって、smartkeyboardを買ってしまった。 まだ打ち慣れていないので、簡単な文章でも打つのに時間がかかってしまうけど、これでいつでも思い立った時に文章が書けると思うとうれしい。モチベーションが高いうちに、しばらく文章を書かないうちに頭の中に溜まってしまっていたことをnoteに書いていこうと思う。 気づけば、前回noteを書いてから随分と時間が経ってしまっていた。体感的には2年くらい更新していないような気分だ。実際には7ヶ月前に書こうとした

          記憶の冷凍保存

          「癒える」とは「考えなくなる」ということ

          去年のちょうど今頃から、しばらくの間長いうつ状態だった。 うつ状態の時は、死にたいと思うことが常態化していた。でも、死にたいと思うのが当たり前になりすぎて「みんなも落ち込んだらこうなるだろう」と甘く考えていた。 この程度で受診してしまっていいのかと言うためらいを抱えながらメンタルクリニックを受診し、問診票の「希死念慮がある」という項目は「いいえ」を選んだ。今思えばなんでそんなことをしたんだろうと不思議に思う。あんなにも毎日死にたかったのに。 一切死にたいなんてことを考え

          「癒える」とは「考えなくなる」ということ

          何故おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行くのか

          『ひどい民話を語る会』読了。「ひどい民話」を一つずつ対談形式で紹介していく形式で、民話一つにつき2〜3分で読めるからさらさら読めた。移動時間に最適な本だと思う。 最初の方で紹介されているのはうんちとかおならとか、子どもに大ウケしそうな内容ばかりだった。おならを使って漁をする話なんて、あまりにもばかばかしくて笑ってしまった。おならって出せば出すだけその分吸い込むということになっていて、海に向かっておならをすると魚たちが肛門の中に大量に吸い込まれていくって話。聞いたことない。

          何故おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行くのか

          「しあわせ」より「ゆたかさ」を追求したい

          ここ最近、特に土日は、良い感じに疲れて気持ちよく睡眠に入ることができている。これは偏に日々が充実しているからだと思う。 「やりたいことをやりたいようにやる」と決めてから、ネガティブな思考に陥ることも少なくなった。ポジティブと言うよりは、無の心地よい状態がずっと続いてている感じだ。 最近は読書にハマっていて、読みたいと思って買ったものの積んでしまっていた本や、趣味の本屋巡りや即売会で購入した本をひたすら読みまくっている。疲れたり飽きたりしたタイミングでやらなければいけない家

          「しあわせ」より「ゆたかさ」を追求したい

          いい本屋とおいしいカレー屋がある街には文化がある

          センスの良い本屋さんと美味しいカレー屋さんのある街はいい街だ。 文化がある。京都、下北、吉祥寺、神保町エトセトラエトセトラ……。 今日は吉祥寺ZINEフェスティバルに行ってきた。最近本を際限なく買ってしまう。生活スペースが圧迫されるのは嫌なのでできるだけ電子書籍を買うことにしているけど、電子書籍では買いようのないZINEやリトルプレス、個人出版の本を帰る場には積極的に参加する。罪悪感なく紙の本を買えるので。 こういうイベントに参加する時は一応事前に下調べするけど、その場の

          いい本屋とおいしいカレー屋がある街には文化がある

          座右の銘、聞かれて困る質問第1位だよね

          座右の銘って、日常意識することがほとんどない割に聞かれることが多いもの第1位だと思う。まともに答えられた試しがない。ていうか、座右の銘ってなんとなくわかったような気になっているけどよく分からない。 時々ぱっと答えられる人がいるけど、なんかそれっぽいことを言っているだけか、就活とかの時にキャッチフレーズみたいな感じで考えたことをそのまま言っているだけだと勝手に思いこんでいた。どっかのタイミングで「よっしゃ、次座右の銘聞かれたらこれ答えたろ」ってなったのかなって、心のなかでちょ

          座右の銘、聞かれて困る質問第1位だよね

          コスパの良いお悩み解決法

          たいていの悩みはお金で解決できる。お金さえあれば仕事なんてしなくて良いので好きに使える時間が増えるし、仕事がしたいのであれば道楽で好きなことを仕事にできる。ルックスに悩んでいれば気が済むまで美容整形を受ければ良いし、勉強がしたければ良い塾に通って大学に入れば良い。勉強する時間もたっぷり確保できる。 しかし、対人関係においてお金はほとんど意味をなさない。お金で釣れるような人間はたかが知れているし、別の解決法を見つけ出さねばならない。そもそも解決するためのお金がないことで悩みが

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          雨穴『変な絵』|残された違和感

          ※ネタバレなしですが、結末についてのざっくりした感想を書いたので注意! 雨穴『変な絵』を読んだ。 9枚の絵にまつわる3つのエピソードがあり、読み進めていくうちにそれぞれのエピソードが絡み合っていく。少し残酷な表現もあるものの、子どもでも楽しめる本だと思った。 物語は、前作に引き続き、考察によって進んでいく。話の流れのほとんどは登場人物の誰かの考察で、「これが真相です」というようなはっきりとしたことが書かれずに終わる。 「こういうことだったんだろう」と言う程度で、裏付け

          雨穴『変な絵』|残された違和感

          頼ることで、逆に誰かを救うかもしれない

          誰かに頼ってもらえると嬉しい。信頼してくれているんだなと思う。でも、私は人に頼るのが苦手だ。 みんないろんな人に頼られているんだろうなと思うと、私なんかが手を煩わせるのは申し訳ないと思ってしまう。それに、距離感がバグっている人間なので、どれくらいの距離感の人にどれくらい頼ればいいのかわからない。 思えば小さな頃から誰かに頼るということが苦手だった。両親にもこちらから頼ったことはほとんどないような気がする。頼るにしても、本当に切羽詰まってどうにも立ち行かなくなった時にやっと

          頼ることで、逆に誰かを救うかもしれない

          目標:行動と思考を分けて考える

          目標 行動と思考を分けて考える 下書きには、これだけが書かれていた。しばらく前の下書きだから、どんなことを書こうと思っていたのかは思い出せない。ただ、わざわざ記事に起こそうと思うくらいだから、自分の中では大切な気づきだったんだろう。 行動と思考を分けて考える。 多分、実際に行動するかどうかと、行動するしないに関わらずそのことについて思考することは別問題だということを書きたかったんだと思う。 私には「こんなことを思ってはいけない」と思考を制限する癖がある。そう思ってしま

          目標:行動と思考を分けて考える