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#エッセイ

それは努力か、才能か

幾度も繰り返される、努力か才能か、論。中には「努力する才能」なんてものも存在する、ってなると、全ては才能だとも言える。で、僕がどう思っているかというと、才能というのは自分では気づかないので、たとえあったとしても、主観的には無いのと一緒。なので、主観的には、努力が全てと思いがち。ただ客観的には、その人の才能というのは見えるので、才能の割合が高くなっていくと思います。 才能というのは、あくまで他者との比較において成り立ちます。世の中に人間が1人しかいなかったら、その人は、背が高

リーダーとフォロワー

 AIの活用で、人間の主体性が無くなっていっていますが。ま、AIといっても最先端のことは知りませんので、普通にスマホでおすすめ動画を出してきたり、絵を自動で生成してくれるというレベルの、おもちゃみたいなやつのことですが。おすすめ動画というのが流行ってから「検索」という行為すら廃れていっている、と聞いて、ほうほう面白いなと思いました。そりゃ、自分から情報を取りに行くより、目の前に出されたものを受け取る方が楽ですからね。そんなものです。楽な方に流れます。  AIは過去の好みから

人として弱いから歯医者に貢いでいます。

七分前まで歯医者にいた。今帰って来た。 とても落ち込んでいる。全く共感することのできない思想を持った集団に無理矢理ノセられてしまい、お金を支払ってしまったような気分だ。 真隣で治療を受けている50代のおばさんが「じ、次回ですか?」と言った。 「あと2回か、3回ですね」と50代のいおじさん歯医者が答えた。強い口調だったことから「次回ですか?」と我々に聞かれることを彼は恐れているのだなと思った。 「はい。」とおばさんは言った。 分かる。めっちゃ分かる。俺はもうこの歯医者に今月だ

迷惑をかけないように生きても、自分のことは好きになれない。

「自己肯定感の低さ」は、親からの愛情不足が原因だと言われます。 「良い成績じゃないと、自分は愛されない」 「行儀が良くないと、自分は愛されない」 「親の期待に応えないと、自分は愛されない」 子どもながらにそう感じて、親に愛される努力を続けていくうちに、自己肯定感は低くなるそうです。 僕は、自己肯定感が低い方ですが、親からの愛情が不足していると思ったことはありませんし、親からの愛情をすごく受けたとも感じていません。 もちろん、「○○でなければ、自分は愛されない」と思った

"未来の友達" へ

おはようございます!atom.です。 嬉しいことに、 塾で担当していた高校生の生徒が 全員、第1志望の大学に合格しました。 ということで、急ではありますが私も生徒も もうすぐ塾を辞めることになりました。 今年は塾講師として、 週1回・たった90分の授業だけで 賢くなるわけがない! 「家に帰ってからの勉強の仕方」や 「残りの6日間の使い方」を伝えよう! という考えの下、教科書を一切使わずに 塾の指示を無視して 好き勝手に授業をしていました。 "普通じゃない" 授

まじめを手放すテンミニッツ

ちょっと前にやっていていつの間にか取り組むことすら忘れていた「10分で書く」をまたやり直す。この書き方のポイントしてあるのは、「立ち止まらない」こと。何を書くかを考え込む時間をもつくらいなら、その分、手を動かす。それは理性で脳から指へ命令するものでもなく、本能的にそのときそのときに脳内で浮遊してるものを虫取り網で捕まえる作業であり、捕まえて文字にしてあげることで供養させてあげる慈しみでもある。 今自分が書いてるものに対して「単語の使い方が間違っていやしないか」や「ちょっとニ

頭がおかしくなった自分と戦った2年間の総まとめレポ&元々人間に「やる気」なんてない話

頭がおかしくなってしまった大学時代 僕は大学時代に「誰かに盗撮されているのではないか?」という妄想から逃れられなくなったことがある。ありとあらゆるカメラが怖くなってしまい、エレベーターが一切使えなくなり(エレベーターにカメラがあることに気が付いたから)目指す場所がどれだけ高い場所にあろうとも階段を使っていたし、そのうちドライブレコーダーが怖いとか思いだして、外に出ることができなくなった。それに加え、自分の思考が口から出ているのではないか、という訳の分からない妄想にも駆られ、