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迷惑をかけないように生きても、自分のことは好きになれない。

「自己肯定感の低さ」は、親からの愛情不足が原因だと言われます。

「良い成績じゃないと、自分は愛されない」
「行儀が良くないと、自分は愛されない」
「親の期待に応えないと、自分は愛されない」

子どもながらにそう感じて、親に愛される努力を続けていくうちに、自己肯定感は低くなるそうです。

僕は、自己肯定感が低い方ですが、親からの愛情が不足していると思ったことはありませんし、親からの愛情をすごく受けたとも感じていません。

もちろん、「○○でなければ、自分は愛されない」と思ったこともないです。

仮に、家庭環境に自己否定感を生む要素があったとしたら、それは何だったのだろうか。

僕は、自分なりに考えてみました。

すると、子どもから今まで、自分が捨てたくても捨てられない価値観が、一つあることに気づきました。

それは、「誰かに迷惑をかけてはいけない」という価値観です。

決して、両親が「他人に迷惑をかけてはいけない」と口うるさく言っていたわけではありませんが、子どものときから、父や兄が他人に迷惑をかけている姿を見て、母が大変そうにしている姿を見たり、僕自身も振り回される機会が多くありました。

子どものときから、理由が何であれ、自分が迷惑をかけてしまったことは、なかなか忘れられませんし、それを思い出すと、どこまでも自己否定ができます。

親に迷惑をかけても愛されている兄の姿を見ているので、「誰かに迷惑をかけたら、自分は愛されない」とは思ってはいませんが、それでも、「迷惑をかけて、誰かを困らせることはしたくない」と強く思っています。

もう、誰かが困る姿を見たくなかった僕は、誰も困らせないように努めてきました。

おそらく、自分の能力を上げるための努力も、自分がお金を稼ぐのも、自分が我慢をするのも、その根っこには、誰にも迷惑をかけたくない思いがあります。

しかし、誰かに迷惑をかけないための努力は、とても辛くて寂しいです。

自分が何かをできるようになっても、嬉しい気持ちはこみあげてきません。他人に迷惑をかけないレベルに達したことにホッとするだけです。

相手のことを想って何かしても、他人に迷惑をかける結果になるかもしれないので、勇気が出せなくなります。

なりたい自分になるよりも、他人を不快にさせない自分になることで、毎日が忙しく、そんな日々に疲れています。

「迷惑をかけないように生きる」とは、「常に他人を気にしながら生きる」ということです。

それじゃあ、他人の気分や価値観に左右されすぎて、生きるのが面倒くさくなります。

そもそも、誰にも迷惑をかけずに生きている人はいませんし、迷惑をかけても、愛される資格は誰にだってあります。

今までの僕は、少しでも他人に迷惑をかけてしまう結果になると、自分を強く否定していましたが、それはちょっと、自己否定の基準が厳しすぎたのかもしれません。

せめて、自己否定しないように生きるのではなく、自分を好きになるために生きるようにしていきたいです。

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