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リーダーとフォロワー

 AIの活用で、人間の主体性が無くなっていっていますが。ま、AIといっても最先端のことは知りませんので、普通にスマホでおすすめ動画を出してきたり、絵を自動で生成してくれるというレベルの、おもちゃみたいなやつのことですが。おすすめ動画というのが流行ってから「検索」という行為すら廃れていっている、と聞いて、ほうほう面白いなと思いました。そりゃ、自分から情報を取りに行くより、目の前に出されたものを受け取る方が楽ですからね。そんなものです。楽な方に流れます。

 AIは過去の好みからの判断ですから、当然、成長しません。変化というのはストレスです。心地良いということは、変化しないということです。ま、そういう話になると、よくある落とし所というのは、そういう罠に囚われないように、自立して意識的に生きていこう、ということです。で、そういう話を聞いて、よし、自立して生きていこうと思える人なら、そりゃそれでいいんですけど。ほとんどの人がそうでは無い。自立しろとか、ソクラテスの昔から言っているわけですから。2000年、言っても変わらないわけですよ。

 僕の考えは、人間のほとんどは自立的では無いし、本質的にフォロワーであると思っています。ただそれは、とある分野において、です。他の分野では、フォロワーがリーダーになることもある。仕事では無能だけど、飲み会の幹事は張り切る、みたいなイメージです。そういう分野が無数に、本来は、在る。だけど、今の社会はとても均質化しているので、「他の分野」に当たることが、ほとんど無い。結果、自分は主人公になれない、フォロワー人生なんだ、と思う人が多く発生するんだと思っています。

 本質的に、リーダーが偉くてフォロワーは価値がないとか、そういう話では無いですよ、もちろん。役割の違いです。人間は群れの動物ですので、とある集団ミッションをしようとした場合に、一部が(僕の感覚的には10%ぐらい)リーダーになり、その他がフォロワーになる、一部は批判者になる、という集団形成を行う、と思っています。だから大半の人は、検索もせずに、垂れ流されるおすすめ動画をスワイプするわけですが、そもそも、そういう集団形成をする動物だと思っているわけです。皆が自立できるわけが無い。

 問題は、人間の本能的には、おそらく10%程度、少なくとも1%程度がリーダーなんです。これが0.01%ということは無い。人間集団は100人ぐらいが基本単位ですから、0.01%だとリーダー不在になります。でも現代社会は、0.01%以下の人がリーダーになる社会です。99.99%以上がフォロワーです。なぜなら、技術発展により、それだけ多くの人を管理できるようになったからです。集団サイズが大きくなったから、リーダーの数が少なくなったんです。

 すると、本来的にリーダーの能力を持っている10%程度の人は、その能力を発揮できずにいる。一方でフォロワー側も、適切にケアされていない。学校だって、少人数クラスの方がケアが行き届くでしょう。大人数になると、質が落ちるでしょう。集団が大きくなるということは、人間関係が希薄になり、誰も、その人のことが分からないし、その人をケアできない。すると大きな、どうしようもない括り方、例えば「40代男性」という括り方でケアしようとする。そんな雑なケアで人間が生かせるわけもないのです。

 ということで、話をまとめると。皆が自立した社会を作るというのは、無理。2000年前から言っていて、目指してきて、それでも無理なのだから無理。そして現代社会は、極少数の人がリーダーになって、大多数がフォロワーになる、非自立社会。そして、大多数へ対するケアは行き届かず、生活のクオリティが下がる。人間の能力が生かされていない。人間は本来、絶対的なリーダーもフォロワーもおらず、それは場面や時代で入れ替わるもの。なので、そういう前提に立った社会形成が必要。ってことです。はい。またあした。

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